第153話 魔道人形は進歩する
「ど、ど、どこに逃げるつもりなのよおっ!」
シャロンが叫んだ。
長いスカートは、走るには不向きだ。
手を引っ張って欲しかったのだが、エッグホッグは、エイメを抱き抱えている。
その三歳児が、自分たちの命綱なのは、シャロンもよく理解している。
走る彼らの後ろで、爆炎が上がった。
座りこもうとしたシャロンの尻を、エッグホッグが蹴飛ばした。
「バカヤロがあ。死にたくなかったら走れ。」
それはその通りなのだが。
あの爆発だと、エッグホッグのもうひとりの娘であるサイナは、確実に死んだだろう。
そのことに、気がつきもしないエッグホッグを、このときシャロンは、初めて恐ろしいと思った。
いままで、シャロンは大抵のことをウインクひとつで、あるいはもう少し金のかかるお願いは、ふとももを見せてやるか、キスひとつで解決してきた。
それに乗ってこないつまらない男も少数いたがそれはそれで、そいつらが悪いのだとシャロンは考えていた。
オトコならば、わたしを欲しがるべき!
それも出来ずに、怖気付くのは、股間のモノを使うことも出来ない弱虫なのだと思っていた。
でも、まさか。
そっちがまともで、ほいほい誘いに乗ってくる男のほうがクズなのでは?
それはとても恐ろしい考えだったので、シャロンは頭からその考えを追い出した。
「でも、いったいどこに向かって走ってるのよ!
アルゴスには、もう戻れないし、野宿なんていやよ、わたしっ!」
シャロンは立ち止まって地団駄を踏んだ。
たいてい、これで男は狼狽えてなにかプレゼントを買いに走るものだった。
エッグホッグが、短刀を首に押し当ててくるなんて、想像もしていなかった。
「黙れや、シャロン。」
刃はとんでもなく、冷たくって熱かった。
「てめえが、殺し屋なんぞ雇うから、こんな始末になってるんと違うのか。」
「で、でもあんただって」
シャロンは、カラカラになった口で言葉を紡いだ。
「あんただって、ノリノリで百驍将と取引してたじゃん。」
ナイフがピュッとひかれて、シャロンは自分が死んだと思った。
実際に切れたのは髪だけだった。
「…ったくよう。」
エッグホッグは、地面に痰を吐いた。
「災厄の百驍将だが知らんけど、たかだか田舎町の傭兵団と、駆け出しの冒険者どもにこんなに手こずるとは、こちとらも予想外だぜ。」
「『紅蓮大隊』の隊長は、その昔、悪名をふりまいた『燭乱天使』の生き残り、副長は、魔族が作った強化人間“王具”の改良型のようだ。
百驍将、ハタモト衆以外にも人はいるものだな。」
エッグホッグとシャロンは、真っ青になった。
話しかけてきたのは、たったいままで、そこにいなかった老人。
シャロンが、ドロシーの暗殺を依頼した旅の冒険者ゲオルグだった。
同行の美貌の剣士ジェインは、剣にでもかけず、のそりとその隣にたっていた。
「こ、この裏切りもんがあっ!」
シャロンが喚いたが、ゲオルグは、にたりと笑った。
「だから、わしらはドロシーの居場所を尋ねただけだよ。別にお主の依頼をうけるとも言ってはおらんしなあ。」
「ま、ま、ま、まってくれ。」
エッグホッグは、すでに膝をついて頭を地面にこすりつけている。
こういうときの判断は早いのだ。
シャロンも慌てて、同じようにした。
エイメだけを頭上に高く掲げる。
「ど、どうぞ!」
ゲオルグとジェインは、顔を見合わせた。
「こ、こいつは、ドロシーの娘です。百驍将に騙されて人質に取らされました。
あなたさまにお返しいたします。」
「…ちょっと何言ってるのかわからない。」
ジェインが呟いた。
「いえ、ですから、あなた様たちが用事があるのは、ドロシーでしょう?
こいつは、ドロシーがお腹を痛めて産んだ、紛れもないやつの娘です。こいつをエサにすれば、必ずドロシーは現れます。」
「……って、おまえの娘でもあるんだろうが。」
「いえいえいえ、なにをおっしゃいます。俺はつくるときちょっと手伝っただけで。」
「わしが、ドロシーの親でなくてよかったな…」
ゲオルグは、土下座するエッグホッグに一歩近づいた。
そのまえに、幼女が手を開いて立ちはだかる。
「パパに、酷いことしちゃダメ!」
また、ゲオルグとジェインは、また顔を見合わせた。
「まったく、どうしたものか…」
「わたしが受けた命令は、ドロシーを連れてこい、だ。」
ジェインが言った。
「ドロシーと赤子は、一緒に移動させる必要があり、それぞれの健康を考慮すると、いま移動させることは難しい。」
「その通りだ。」
嬉しそうにゲオルグが言った。
「故に、ここはドロシーが居場所を移さないことを条件に、いったん引くべきだと思う。」
「ジェイン!!」
ゲオルグは、満面の笑みをうかべて、ジェインの背を叩いた。
「見事な進歩だな。あのルウエンという少年との出会いがよかったのか。彼が本当にハルト王子で、“踊る道化師”の元リーダーなら、いやいやそこまでは望むまい。」
そこで、ちょっと怖い顔になって続けた。
「しかし、ドロシーが居場所を動かないとどうして言える。我々の追求を逃れるため、危険を覚悟で居場所を移すかもしれないのだぞ。」
「そのために、エイメを連れていく。」
「人質…というわけか。」
ゲオルグは、悪人ではない。ただそれは「悪」という雑な括りでは、括りキレないだけで、べつに聖人というわけではない。
「しかし…幼子を親から引き離すのは、残酷な行為ではある。」
「そうだな、ゲオルグ老。わたしもそのは考えた。」
殺戮人形の指は、真っ直ぐにエッグホッグを指さした。
「親が一緒ならば、そうそう酷くはない。そうだろう?」
「こいつらごと連れていくのか?」
「たしかに、こいつらに食いブチすら勿体無いが、エイメに快適に過ごして貰うためには止むを得まい。」
「ま、まってくれ!」
エッグホッグは、頭がめり込むほどに、土下座した。
「俺たちは、“黒の御方”のところなんか行きたくない。エイメは、やるから、俺たちはここで解放…いや、もしなんなら、シャロンもつける!」
世にも醜いニヤニヤ笑いをうかべながら、エッグホッグは顔を上げた。
「これで、なかなかいい女っす。なにより床上手で」
ゲオルグたちがなにか言うより早く、シャロンのカカトが、エッグホッグの頭を踏みつけていた。
完全に気を失ったエッグホッグ、それに取りすがってパパ、パパと泣きわめくエイメ、憤然とそれを見下ろすシャロン。
「まったく、気は進まんが、ジェインの案をとろう。」
ゲオルグが渋々頷いた。
「シャロン。命の保証はしてやるから、こいつを担げ。ここから移動する。」
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