第151話 黒の邂逅
考えてみれば、とアデルは思う。
ルウエンとの付き合いはそんなに長い訳では無い。
街で絡まれていたところを助け、そのあとすぐに、冒険者学校の入学試験の受付会場で再会し、試験料を稼ぐために一緒に働き、一緒に試験をうけて、合格して、一緒に学び、一緒に冒険し、一緒に戦った。
ルウエンがその頼りなさそうな外見とは裏腹に、恐ろしく強いことはわかった。
それに頭がいい。
それに、それに。
この手のことには、奥手なアデルにだって分かるのだ。
ルウエンは彼女のことが大好きなのだ。
一緒に生活し、一緒に旅をする中でわかったことは、いくつもある。
わからないこど増えていく。
わかったことのひとつに、彼はときどき物凄く寂しそうな顔をすることがある。
それは、なにかに期待してそれを裏切られたときの寂しさなのだろう、とアデルは思う。
最近だと、ロウや、ギムリウスに会ったときだ。
記憶を思い起こすと、冒険者学校のルールス総長や、その護衛を兼任するネイア先生にはじめて会った時も同じ表情を浮かべていたかもしれない。
いまもそうだった。
裂けた空間の向こう側にいる“黒の御方”に名を呼ばれたとき。
彼は物凄く寂しそうな表情を浮かべたのだ。
思わず抱きしめたくなるくらいに。
なぜ、ルウエンって呼ばれるだけでそんな表情を浮かべるのだろう。
なにか、ほかに。
呼ばれたい名前があるのだろうか。
例えば「ハルト」とか?
すっかり、彼に気を取られていたので、はじめて父親に会った衝撃は、すっかり吹っ飛んでいた。
運命の親子は、互いに目を合わせた。
…めっちゃ気まずい。
「ああ」
と、魔王は咳払いをした。
「息災のようで何よりだ。クローディア大公やその奥方は、お元気だろうか?」
「もし、じいちゃんとばあちゃんのことを言っているんなら、元大公ね。もう十何年前に大公位は退いてるから。」
「アデル。」
ルウエンが脇腹を突っついた。
「なに?」
「すっごい気まずくなってる!
話題を変えるんだ。」
「ああっ…ええっと、あんたをぶち殺しに行きたいんだけど、何処にいるの?」
意外にもこの答えを魔王は、気に入ったようだった。
彼は嬉しそうに笑った。
そして言った。
「いいぞ。さすがはオレの娘だ。そっちのガキともども招待してやる。遠慮なく、ぶち殺しに来い。」
「なんか、雰囲気よくなった!」
「似た者親子かっ!」
竜の形態をとったミュレスが、ひとの姿に戻り、一礼した。
「ご命令ははたせませんでした、陛下。」
「上々だ、ミュレス。」
黒き魔王は、鷹揚にミュレスを労った。
「オロアもご苦労。」
「なにも出来てはおりませんよ、陛下。」
苦虫を噛み潰したような顔で、オロアは言った。
「災厄が、ザック殿とマヌカまでつぎ込んで来るとは意外でした。はっきり申し上げて、わたしとミュレスの投入は過剰かと考えていたのですが。」
「何を言う。戦果は十分ではないか。」
黒の魔王は、敵対するものたちを睥睨する。
「百驍将筆頭のカプリス、二極将ザックとマヌカ。それにもうひとり。
これだけの者どもを一度に平らげることができるのは、この上ない僥倖だ。
さらに、そもそもの目的であった我が娘アデルと、優秀な魔道士であるルウエンを確保できた。」
「随分と、強気にでるなあ、リウ。」
ザックが、牙をむき出して唸った。唸り声ではあったが、その声は周りの者たちには、確かにそのように聞こえたのだ。
「俺たちは、悪いがスライムと死霊には楽勝だ。 おまえがそこから降りてくるなら、一緒に相手をしたやるぜ?」
「そうだな。」
リウは、遠い目をした。
「ここならば、オレが直接手を下しても誰にも分からぬわけだ。
そうしてもいいな。いいな。」
唇が、残忍につり上がった。
「実にいい。そうしようじゃないか。
我が愛娘をこの手で直接、抱きしめることも出来るわけだしな。」
「ハルト!」
「ルウエン!」
あれ? ルウエンは、ハルトと呼ばれたかったのだはないのか。なにかほかに呼び方があるのかな。
首を傾げて、アデルは思い当たる別の名前を呼んでみた。
「ウォルト?」
「ルウエンでいいよ。名前で遊ばない!」
「わかった。」
本当の名前を呼んで、この少年を喜ばせるのは、あとの楽しみに取っておこう。
「ルウエン。わたしはあいつが嫌い。
もし、わたしがあいつを今殺すのをやめさせたいなら、あいつをここに来させないで!」
「ワガママに育ったな、アデル。父さんは悲しいぞ。」
リウは、立ち上がった。そのまま。
こちらに向かって歩き出す。
ミュラスとオロアが跪いた。
カプリスとマヌカが、障壁を展開する。
すでに存在すらわすれ去られている百驍将バルムトウェッグが、蝙蝠に姿を変えてこの場を逃げ出そうとしたが、ザックの前足が翼を踏んずけて、彼を転倒させた。
笑みを浮かべながら、魔王はゆっくりと歩いた。
彼がいる場所はどこなのか。
背景の酒場は薄暗く、どこかの街のあまり、高級ではない酒場、ということしかわからない。
しかし、物理的な距離になんの問題があろうか。
ここは、迷宮。
世界から切り離された別空間。
入り口さええれば、距離などは関係ないのだ。
リウは。
ゆっくりと。歩を進め。
立ち止まった。
さきほど、彼は立ち上がり、確かに「こちら」に向かって歩き出した。
だが、その距離は縮まらない。
「侵入のためのキーが書き換えられている!?」
魔王は掌に、闇色の球体を作り出し、投げつけた。
それは間違いなくこちらに向かって投じられたにもかかわらず。
まったく近づいてはこなかった。
「誰だ、こんな書き換えを行ったのは?」
視線が、カプリスたちを彷徨い、百戦錬磨の驍将たちの顔色を変えさせた。
ザックですか、毛皮を膨らませており、そのため、かなり太って見えた。
「災厄にはここへのアクセスキーは、与えたはいない。」
魔王は、目を逸らした。
視線は、ミュレスとオロアを捉えた。
「お主らも、ここへははじめてのはず。魔王宮から、ここへの位相を可能にするためのゲートの調整は、結局行われなかった。」
「だから、ぼくだよ。リウ。」
ルウエンは、愉しげに言った。
「ぼくではないと思いたいのかもしれないけど、ぼくだよ。
ロウだって、ギムリウスだって、こんなことをするのは、得意じゃないだろ?
きみが、征服戦争やら夫婦喧嘩に精を出していた間、まあ、ぼくも」
凄まじいまでの、魔王の眼光を浴びた少年は、照れたようにほほえんだ。
「…ぼくはぼくで、いろいろやってたのさ。」
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