第150話 手詰まり

ザックは、ゆったりと「お座り」していた。

その視線の先では、アデルとルウエン少年が、階層主であるミュレスに果敢に挑んでいた。


そのミュレスの粘液によって、損傷した毛皮はもうもとに戻っている。

フェンリル族は、その生命力、治癒力においても人間の比ではないのだ。


もうひとりの“階層主”であるオロアは、その体が実体でないとは分からぬほど、ゆったりと寛いでいた。


視線は、ミュレスの戦いを見ているが、時おり、ちらりとカプリスやマヌカたち、百驍将を見やる。


カプリスが、笑った。


「オロア殿。わたしたちを片付けて、ミュレス殿を加勢するという目論見は崩れましたな。」

「ザックがいるのでは、そうもいくまい。」


オロアは、答えた。


「ここに、我らはあまりに多くの戦力を集めすぎてしまったようだ。互いを滅するまで戦い抜かずに、なにか妥協点はないのか?」

「オロア殿ともあろうお方が、日寄りますか?」

「多少は、な。我々の受けた任務は、あのルウエンという少年を、陛下のもとにお連れすることだ。

お主らは、なんと命令をうけた?」


「なるほど。」

カプリスは、頷いた。

「なるほど。わたしは、アデル様とドロシー様を、黒の魔手からお守りすることです。」


「ならば妥協はできよう。今回は。」

オロアの目の前に、荷馬車ほどの固まりが落下した。


腐食性があるのか、周りの植栽を枯らし、地面がグツグツと煮え始める。

オロアでなかったから、十分、致命傷になり兼ねない近さだった。


「カプリス。お主はまだ四聖獣を召喚してはおらぬし、マヌカも切り札は切ってはおらん。そして」

「そうだな。俺もいるからな。」


ザックは気前よく「お手」をした。


「逆にいうと、圧倒的不利なのは、オロア。あんたの方だぜ。いくら階層主でも、百驍将4人に囲まれて、無事ではいられまい?」

「そんなことがあるか。ミュレスが合流すれは…」

「ミュレスは、合流できないわ。」


マヌカの顔色はようやく、戻りつつある。

ということは、彼女のダメージの大半は、魔力の使いすぎによる魔力欠乏によるものだったのだろう。


「あなたがたは。

いえ、わたしたちもだけど。

アデルを傷つけるわけには行かないの。つまり、ミュレスはアデルを無傷で捕らえるしかない。」


ミュレスと、アデルたちの戦いは続いている。

剣に炎を宿らせ、粘液を蒸発させながら切り裂くアデル。

一方で、ルウエンはなにをしているのかはよく分からない。


ミュレスが作り出す粘液の槍を、かわし、抜いた剣から発する風で吹き散らし、防御一方のようではあるが。


戦いに熟練した彼らは、ルウエンの真意を汲み取った。


ミュレスからの攻撃のほとんとを自分に引き付けている。

それがどんなに高度で、危険なことか。


触手と戦うアデルを、緑の津波が包んだ。

孤剣ひとふり。どう避ける? アデルよ。


アデルは剣を振り上げ。

全力で振り下ろした。

大気が歪む。

巻き起こった竜巻が、ミュラスを吹き飛ばした。


「ルウエン!」

振り向いたアデルは肩で息をしていた。

「これはキリがないぞ。こいつのコアはどこだ?」


「だめだよ、アデル? コアを攻撃しちゃあ。」

「なんでよ!!」

「ミュレスが、死んじゃうじゃないか。」


「でも、このブヨブヨをなんとかしないと。」


2人が戦っているのは、倒壊した建物のうえだった。

当たりは薄暗く、足元は不安定だったが、2人ともにそれをものともしていなかった。


「さっき、ザックの術やブレスで大分削っているみたいなんだけど、いっこうに質量が減らない。」


崩れかけた壁から飛び出した触手を、ルウエンは、もう一振の剣で受けた。

剣に巻きついた触手は、痙攣し、色を失って、地面にはおちた。


「攻撃が通っていないわけではない。ニーサ・カーダの毒はきいてるみたいだ。」

ルウエンは、真剣に考え込んだ。

「致命傷ならず、ダメージを与えて、こいつらをここから、退散させる方法というと…」


「じっくり考えている場合かっ!」

アデルは、新たな敵に直面している。


身の丈は30メトル。竜に似た姿をとった粘液の塊だ。


「そうだ! いい方法がある。」

ぼんと、手をうって、少年は叫んだ。


暗い空に向かって。


「おおい!

見てるんだろ?

全員手詰まりだ。おまえが、なんとかしろ!」


暗い暗い空は、その一角をなおも暗くした。

そこから、黒い黒い男が現れた。

粗末な椅子にどっかりと腰を下ろし、肘をついている。

少し酔いが回っているのか、ぼんやりした視線。


だらしなく着崩したシャツは黒。パンツもゆったりとした黒。

それらが、この男の存在そのものに馴染んでいる。

三十代半ばに見える偉丈夫だ。


だが、枯れてはいない。

色気のある成熟した男性だ。


男がいるのは、おそらくは酒場だ。

居心地はよさそうだが、間違っても王宮ではない。

座る椅子も木製の簡素なもので間違っても玉座ではない。


だが、この男にはすべてが似合う。

錫杖に王冠を被って宝玉をくり抜いた玉座にいても、鎧兜に身を固めて戦場を疾走していても。


それが、この男だとわかる。

どこにいても、どんな場面でもこの男が場の主役なのだ、と。


その唇が笑みの形につり上がった。


「久しいな。カザリーム以来、か。」




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