第143話 階層主と姫君
いったいなにが起こったのだ。
マヌカにとってはそれは戦いにすら感じられなかった。
ミュレスのいたあたりが、突然膨張したのである。
まるで、丘そのものがもうひとつ誕生したかのようであった。
それは緑を主体にさまざな色を混ぜ込んだような、人間の目からすればなんとも汚穢な代物だった。
それは、粘液のようであったが、自ら蠢き、上空から襲いかかる巨大な顎を迎え撃ったのである。
顎は、それに食らいついた。
さらに粘液は膨張した。
顎はそれに食らいつき、飲み込み(飲み込んだ粘液はどこにいくのだろう?)、また食らいつく。
奇怪な食事は何分続いたのだろう。
マヌカが我にかえったとき、粘液の山は半分以下になっていた。
飽食した顎は、消滅し、空からザックが降ってきた。
神獣フェンリルの姿のままで。
「いやあ。階層主ってのは凄いもんだな。」
のんびりとした口調で、仔牛ほどもある犬は、舌を出した。
「これでもトドメがさせんとは。」
残りの粘塊は、終息し、人の姿をとった。
ミュレスである。
きわめて不快そうであった。
「ザック殿。」
「いやあ、無理だわ。ミュレス。」
ザックは鷹揚にしっぽを降った。
「とても食いきれん。」
「全身の60パーセントを食われたのはひさしぶりです。それこそ『黒の御方』と試合って以来かもしれません。」
「別だん、美味くはなかったぞ。」
「しかし、ここまで、力をセーブされて、戦われたのは、ぼくは、はじめてです。」
ミュレスは。
怒っている。
とんてもなく、怒っている。
「神獣フェンリル。少しは、本気になっていただきます。」
「お待ちください、ミュレス様!」
カプリスがその目の前に、転がり込むようにして、立ちはだかった。
「あなたと、ザックが全力で戦えば、この一体は、命なき荒野に。
それでは、アデル姫やドロシーを連れ帰るというあなたの目的は、達成できなくなってしまいます。」
「ぼくたちの受けて説明では、最優先するのは、ルウエンといつ少年だ。」
ミュレスは面倒くさそうに答えた。
「彼を捕獲して生きたまま、我が主のもとに連れていく。アデル姫やドロシー殿、ロウ=リンドはその次だ。
そのものたちは、いまは、アラゴンにいるのであろう?
ここからは十分に離れている。
たとえ、影響が及んだとはいえ、それ出お命をおとされることなど、万にひとつもあるまい。」
「し、しかし!」
「これ以上、ぼくに『話』をしようとするな、カプリス。」
ミュレスは冷たく言った。
「ぼくは『試し』が終わっていない人間と意思の疎通をするつもりは無い。これまでの会話は、おまえを百驍将筆頭だということを加味してのサービスだ。」
カプリスは、それ以上話しても無駄なことを悟った。
瞬時に紡いだ停滞魔法は、発動も効果も完璧なはずであったが、ミュレスもオロアも楽々とレジストしてみせた。
「ミュレスさま!」
「お主には、話す資格はないと言った。」
「ミュレス、マヌカ。ここに魔法障壁をはれ。
街に影響がでないように。」
ザックが、言った。
「俺も本気でやる。」
ぶるっ
と水を弾き飛ばすように、ザックは身震いした。
続いて、天を向いて咆哮をあげる。
それだけで。
オロアの死人軍団が、吹っ飛んだ。
なかには、高位のアンデットも混じっていたはずだが、なんの抵抗も出来ない。
風邪に木の葉が散るように。
木の葉が焚き火にあぶられるように。
燃えながら、その姿を消していく。
「よいなあ、ザックさん。やっと本気になってくれて。」
「ミュレス殿!」
「ぼくに話しかけるな、カプリス。我々と話す資格があるのは、“超越者”または、我々の“試し”を終えた人間のみ!だ。」
「そっか。よかった。」
ばごおおんっ!!
転移では無い。
ただ、走ってきただけだ。
魔法も使っていない。強化のためのオーラもまとっていない。
その少女は駆け込んできた勢いのままに、ミュレスを殴り倒したのだ。
ミュレスは吹っ飛んだ。そのまま、岩に叩きつけられ、その岩に放射状にヒビが走った。
「わたしは、ギムリウスの“試し”を終えてるよ! わたしの言うことなら聞いてくれるよね?
少なくとも話し合いには応じてくれるよね!」
オロアが、アデルを見つめて、溜息をついた。
「…それは、確かにその通りです、アデル姫。」
オロアは、初対面の彼女にそう話しかけた。彼の記憶の中の、フィオリナと、あるいはアウデリアと。あまりに彼女は似すぎていた。
「でもなんで、話し合いをしようとする相手をまず、ぶん殴るのですか?」
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