第142話 死霊と神官
マヌカは、試験管を割った。
煙が立ち込め、次の使役獣が現れる。
屍どもの群れはちっとも減ったようには、みえない。
上空では、射出される粘液の槍を、ザックが避け続けている。
飛ぶのではない。跳んでいる。
空気を足場に、方向転換を行うのだ。消費する魔力は単に飛翔したり、浮遊ひたりするより、遥かに大きい。ブラス筋力も必要だ。
だが、ザックは神獣だ。やつもまた人間とはランクの違う生き物なのだ。
そんなやつの魔力切れとか筋肉痛を心配してやること自体無駄だろう。
しかし、いつまで回避を続けるつもりなんだ。
こちらはもう。
マヌカは、破邪の障壁を円柱状に構成し直した。
それを回転させながら、屍の群れに送り込む。それ自体はかなりの魔力を消費ひてしまうが、広範囲に密度の濃い障壁を展開し続けている余力は、もうマヌカにはなかった。
魔力が尽きる前に。
使役獣を出し尽くす前に。
この死人を召喚しているオロアにダメージを与えねば!
破邪の円柱を、二本、三本と作り出す。
まるで竜巻のように、死人の群れを蹴散らし、ジグザグに動き続ける。
だが、壁と違って撃ち漏らしは生じてしまう。
それは、マヌカの使役獣たちが始末した。
電光を纏った獅子が、鎧武に身を固めた身の丈3メトルはある骸骨に打ち倒された。
召喚士と召喚獣ほどには、繋がってはいないものの、マヌカ自身にも鈍い痛みはある。
しかし、さきほどまで、腐乱しかけた体で動き回るゾンビやスケルトンだらけだった屍の軍団に、上位のアンデッドが増えている。
まだまだ、オロアには余裕たっぷり、ということなのだろうか。
なんとか、やつのところまで。
屍どもの列が別れた。
そのなかを静々と、オロアが歩いてくる。
汚泥と腐臭に塗り込められた世界でそこだけが、清浄であった。
「こんなことをなぜしているか、わかるか?」
オロアの声は、しみとおるように響いた。
「お主に抵抗の無駄を悟らせたいからだ。
これまでも“黒の御方”はいつでもお主らを妥当できた。だが、しなかったのだ。」
“黒の御方”と“災厄の女神”は互角。
“黒の御方”のハタモト衆と、“災厄の女神”の百驍将もまたほぼ同等の力を持っている。
だからこそ、全力で戦って共倒れにならぬように、両者は権謀術数をめぐらして、互いの力を削いできたのだ。
それなのに。
「“黒の御方”は、あれでなかなか懐の深いお方だ。お主やほかの百驍将、いや災厄自身でさえ、そのお傍に居場所はいる。」
だから降れ、と。
降参しろと?
フザケルナ!!
ツノウサギの一撃は、完全にオロアの虚をついた。
破邪の光を宿した角は、オロアの体を深々と貫いた。
オロアは、その身体をガッチリと捕まえた。
破邪の光は発光し続け、オロアの身体光の渦に飲み込もうとしている。
「なぜ、わたしを倒すのに聖なる光をもって行おうとする?」
マヌカは、叫んだ。
声にはならない。
魔力の使いすぎだ。声は苦しげなヒュウヒュウという音になっただけだ。
それでも破邪光の竜巻は、オロアを直撃し、その体を包み込んだ。
マヌカは、立っていることも出来ずに、地面にしゃがみ込んだ。
したたる脂汗が顔を濡らす。
使役獣たちが、次々と打ち倒されていくのがわかる。
破邪の竜巻は、オロアに届いた。
そのはずだ。
たとえ、倒せなかったとしても無傷でいられるわけは無い。だって…。
「そもそも死んでいることが“邪”であると、なぜ決めつけるのだろう。」
声はすぐ側から聞こえた。
なんとか、顔を上げたマヌカを、慈悲深いオロアが、見下ろしていた。
傷はまったく見えなかった。
その手を抱かれたツノウサギが、ビョンとジャンブしてマヌカに抱きついた。、
「おまえは無事だったのね。」
マヌカは、柔らかな毛皮を震える手で撫でた。
「生きていることのみが、尊く、正しいとするのは、生者の奢りというものだろう」
マヌカは、ウサギを煙にかえて、試験管のなかに吸収した。
「あいにくとわたしは、ひねくれていてなあ。」
マヌカは、ゆっくりと立ち上がった。
かつての彼女のリーダーがしていたような人を苛立たせる笑みを浮かべて。
「意見が対立するのも仕方ない。」
オロアは、感慨深げに頷いた。
「ならば、1度死んでみると良い。」
手を伸ばしかけたその体に、光の剣が打ち込まれた。
胴体を貫いたそれを、オロアは、見下ろして、やれやれ、と言った。
「これでは、試しにならんな。少なくとも有効なダメージが通らないようでは。」
ゆっくりと伸ばされた手は、紛れもなく人間のそれで、オロアの姿にも言動にも、いや感じられる魔力にさえ、人間を逸脱したものはまるでなかった。
だからこそ、恐ろしかった。
マヌカは、最後の力を振り絞って、破邪の障壁を展開した。
オロアは。
抵抗すらしなかった。
そうだ。
泣き笑いの中でマヌカは、思った。
これは、邪悪なるものを滅する魔法。この男は、グランダでは、自らの命と引き換えに、疫病から国を救った聖人なのだ。
「そこまでです。オロア老師。」
ふいに、破邪の壁が燃え上がった。
突然の焔に流石に身を引いたオロアだったが、マヌカのほうはそうは行かなかった。
髪が。服が。体が燃え上がる。
絶声をあげて転げ回り、水を作り出して日を消し止める。
「カプリス殿か。」
見上げた空に羽ばたく大鳳から、神官服よ男が飛び降りた。
神官服は、装飾らしきものはすくない至ってシンプルなものだった。そでが
羽ばたくように揺れ、まるきり体重すら感じさせず、ふわりとカプリスは地上に舞い降りた。
「よいところにお越しいただいた。おかげで、マヌカ殿に苦痛を与えることをせずに済んだ。」
オロアはそう言いながら、ちらりとマヌカを見やった。
かろうじて、人間の範疇にはいるが、マヌカも、ただものではない。
焼けた皮膚を再生しながら、立ち上がろうともがいている。
もっとも、マヌカのその負傷は、カプリスが、マヌカの魔法制御に干渉し、破邪の障壁を暴走させた結果である。
「かわりに、マヌカ殿を倒していただきいたことに、礼を言うべきかな?」
「あなたは、あのままなら、マヌカの心の臓をえぐり出していただろう。その状態から蘇生させるよりは、ダメージが少なかったのだから、彼女も納得はしたくれると思う。」
「そんな、野蛮なマネはせんよ。」
オロアは、ザックとミュレスの戦いに目をやった。
一見、戦況はなんの進展も起きていない。
自らの身体から粘液の槍を作り、射出し続けるミュレス。それを驚異的な機動力でかわし続けるザック。
だが、その回避の軌跡が。
「積層立体魔法陣!?」
その奇跡が赤く輝き始め。
やがて、虚空にぱっくりと口をあけた巨大な顎になって、ミュレスに遅いかかっていた。
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