第136話 蛇と刺青
アラゴンの街を寝じろにする傭兵集団「紅蓮大隊」の隊長リヨンは、傍らを歩くキャスに目を向けた。その白い首筋を際立たせるアクセサリーのように紅い蛇が巻きついていた。
蛇は、風の匂いを嗅ぐように、鎌首をもたげて、四方をせわしなく見回している。
地図にもないような小さな街だ。
とはいえ、ここは街の中心部なのだろう。酒場やどんな街にもつきものの冒険者ギルド、日用雑貨を売る店や食材を扱う店が軒を連ねている。
だが、人はひとりもいない。
客がまばら、というレペルでは無い。
店員すらいないのだ。
「ヘンリエッタとその師匠殿は、あそこの酒場に入った。
たぶん、仲間からの接触待ちなんたろうね。」
「どうします? まだシャロンの体温を追いかけますか? それともヘンリエッタを見はりますか?」
「ヘンリエッタたちは、グランダに伝わる古流の伝承者だったはずだよ。」
リヨンは、考え込んだ。顔一面に施された刺青を除けば、かわいらしいと言える顔立ちである。
「二対二でひけをとるとは、思わないけれど、ブテルパたちに合流されたらやっかいだ。」
「なら、さきにシャロンたちを?」
「うん。」
リヨンは糸切り歯をみせて、笑った。
「場合によっては、そのまま始末するよ。」
ふたりは、シャロンの痕跡を辿って、通りを進んだ。
すぐに、街並みは途切れ、左右は誰も使っていないような、掘っ建て小屋が、まばらにならんでいる。
シャロンの蛇は、そのうちの1軒の前で動かなくなった。
「なかにいるのは、二人だね。」
リヨンの右目に複雑な紋様が、一瞬だけ浮かび上がった。
それが、室内を透視するものなのか、
それとも、体温をもった生き物がなかにいることを教えるものか。
その性能は、副長として仕えるキャスにも不明である。
そもそも、リヨンの能力は、その身体に描かれた紋様が引き出すものらしい。
通常は、刺青で行うものだが、リヨンのそれは、刺青にはみえても、実際には特殊な塗料で、つまりは何度でも書き換えが可能なのだ。
リヨンは数ヶ月に一度、何日か街を離れて、紋章の描き直しを行っている。
リヨンは、片手をあげた。
肘から手首にかけて、腕に巻き付くような意匠の紋章が、うねうねと光る鞭となって、腕からはいでた。
「ち、ちょっと!!」
キャスは慌てて、リヨンをとめた。
リヨンが小屋ごと中身を吹っ飛ばすつもりなのを察したのだ。
状況次第では、死んでも構わない。だご出来れば生きて連れ戻して欲しい。
それが、ドロシーが、浮気した夫とその愛人にかけた50ダルの懸賞金の意味であり、たかだか50ダルだからといって、はなから、無視していいものだとは、キャスは思わなかった。
リヨンは、構わずに手を振った。
小屋の屋根の部分が、まるごと吹っ飛んで、バラバラになった木材が地面に転がった。
「い、命ばかりはっ!」
エッグホッグとその情婦は、床に頭を擦り付けた。
別段、縛られるなど、なにかの拘束を受けていた様子はない。
着ているものは、剥ぎ取られていたが、いや剥ぎ取られたのか、自分で脱いだのかは、不明だった。
なるほど。
キャスは心の中でつぶやいた。
「紅蓮大隊」の隊長は、かなり奔放なたちで、けっこうなことをやり散らかすのだが、それは、自分自身に対してだけで、他人については、かなり、禁欲的な態度を望むのだ。
とくに、日のあるうちからの秘め事については、かなり厳格であった。
ふたりは、リヨンとキャスが無言で見守っているのをある種の許しをえたものと解釈したのか、いそいそと服を見に付け始めた。
着替えながら、シャロンが言った。
「ねえ、“紅蓮大隊”さん。いま、なにがどうなっているのか理解はできている?」
エッグホッグは、この女に、ギルドとそれに併設した賭博場を仕切らせていたから、リヨンもキャスも顔は知っている。
そのうえで、こいつを嫌っていた。
理由は阿呆だからだ。
自分たちの組織が、ドロシーのものだと言うことに気がついてもいない。
実際に表で、でかい顔をしているエッグホッグは、それでもドロシーを排除しようとはしなかったが、シャロンは違った。
ドロシーに幾度となく、嫌がらせをしかけ、ついには本気でドロシーを亡き者にしようと、殺し屋を雇おうとして、誰からも相手にされず。
ついに雇えたのは、ドロシーを連れ戻しに来た“黒き御方”のハタモト衆だった。
「ゴタゴタに紛れて、エイメとサイナを誘拐した犯人を追いかけてきたんだよな。」
リヨンが答えた。口元は笑いの形であるが、その状態からでも彼女は平気で、命を奪える。
「実行したのは“災厄の女神”の百驍将ブテルパとカプリスだ。おまえたちがどんなふうに手引きをしたのかは、今のうちから言い訳を考えておけよ。なんの対価がもらえるのか、知らないけど、随分と損な道を選んだもんだ。」
「違う。違うんだよ。隊長殿。」
リヨンを苛立たせるように、シャロンは、すっかり落ち着きを取り戻していた。
「百驍将は、2人じゃない。すでに6名の増員が駆けつけているんだ。紅蓮大隊さんがいくら強くても8人もの百驍将には、敵わない。」
リヨンとキャスは、顔を見合わせた。
たしかに。2人と8人では、大違いだ。
リヨンたちの表情を見てとったシャロンは畳み掛けた。
「そればかりじゃない。百驍将のなかでも“二極将”と呼ばれている“不死身”のザックと“聖者”マヌカもこちらに向かっているんだ。
悪いことは言わない。こっち側につきなよ。
ドロシーの子どもたちはいまんとこ、怪我ひとつしちゃあいないよ。あれは、母娘ともどもに“災厄の女神”のもとに送られる。残ったわたしたちは、“災厄の女神”から多額の恩賞を貰って、懐豊かに暮らすのさ。
そうだね。アルゴスなんてチンケな街はあんたらが好きにしなよ。わたしらはランゴバルドか、カザリームで一旗あげればいいんだから!」
「マヌカ?」
と、リヨンがぼつりと答えた。
「そうだよ。自らの胎内で育てた使役獣軍団をつかうあのマヌカだよ。その力はひとを越え、あの神獣ギムリウスにも匹敵するっていうあのマヌカだよ!
あんたらがいくら腕利きでも」
リヨンは、面倒くさそうに手を振った。
「いいよ。マヌカのことは、たぶん百驍将どもより詳しいし」
凄まじい魔力が彼らの反対側。
丘の向こうで弾けた。
リヨンとキャスだけではない。
シャロンもエッグホッグも、呆然と魔力が炸裂した方向を見上げていた。
エッグホッグにいたっては、腰を抜かしている。その股間に、もらした小便が広がっていった。
「この魔力は、間違いなくマヌカだ。懐かしい。そして、万全の準備でお出ましだよ。うれしいね。」
「リヨン!」
キャスは、ただでさえ、白い顔をさらに青ざめさせて言った。
「あなたは…二極将のマヌカを知ってるの?
それに。」
再び。
魔力が膨れ上がった。
「それに拮抗、いや凌いでいるこの魔力の持ち主はいったいなに!?」
「キャスってば。わたしは全知全能じゃないんだよ。でもまあ、これだけの魔力だと」
リヨンはベロリと唇を舐めた。
「魔王宮の階層主くらいしか、思いつかないけどね。」
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