第130話 乾いた空

実際に、出発までは少し時間が、かかった。

幼い子どもの命がかかっているときの主人公の行動としては、誠に相応しくないとは思うのだが、ぼくはもともと主人公タイプではないし、なにしろドロシーが、倒れてしまったのだから、しかたないと思う。


「今朝までは、それなりに幸せだったの。信じられる?」


ベットに寝かされてドロシーは、ぼくの手をしっかりと握って、つぶやいた。


「わたしは、サイナにお乳をあげて、朝ごはんの準備が遅いって、あの人が怒って、うちのお金を全部もって出て言ってしまって。エイメはね。それでもあの人になってるもんだから、は今度はいつ帰るのパパって言って。」


あまり、幸せそうでは無い描写をえんえんと聞かされた。

まあ、それでもそこには「日常」があったのだろう。

ドロシーは、もともと、平凡な生活に憧れを抱いていた。

もし、魔王とか真祖とか神獣とか、そんな馬鹿げたものたちと同級生にならなければ、たぶん上級の魔法学校を卒業して、もともと親の代から仕えていた子爵家で、仕事をもらい、なんとなく、身分が釣り合って、性格の合う男性と、結婚して、ランゴバルドの街で、心穏やかに暮らせていただろう。


その場合は、当然ながら、西域をふたつに割った戦争など起きない。

魔王もいなければ、災いの女神は、ぼくの伴侶におさまって、たぶん、クローディア女公爵になっているはずなのだから。


ぼくと出会わなければ、ランゴバルドの街角で暮らしていたはずの、ドロシーは、とんでもない運命に翻弄されたが、ここアラゴンで一応は家庭を築いていたのだ。

それがこの半日で、リウのハタモト衆に追いかけられ、夫とその愛人に殺されかけ、アラゴンの支配者となり、“踊る道化師”に入団させられ、子どもを誘拐され。


「ルウエンは、50ダルは欲しい?」

「もちろん、欲しいよ。」

ぼくは、ドロシーの額に手を当てた。

「目をつぶって。少し眠るといいよ。

こっちの護衛には、ロウとルーデウス閣下を残しておく。」


「あの女“貴族”だけ、敬称付きなのね。」

目を閉じたまま、ドロシーは呟くように言った。

「ぼくは、閣下に血を吸われてて、目下、彼女のしもべなのさ。」

「へえわそうなの? まるで、逆みたいに感じるけど。」


ドロシーはそのまま、黙ってしまった。

正常な寝息を確認してから、ぼくは寝室を出た。

悪人面の小男がよってきた。

「ルウエンさん。」

「呼び捨てでいいです、ラッツさん。」

「んじゃあ、遠慮なく。」


ラッツは、懐からタバコを取り出して火をつけた。


「ルウエン…姐御とは、昔からのお知り合いなんですかい?」

「むかし、カザリームでちょっと、ね。」

「姐御がカザリームに住んでたのは20年ばかり、昔のことだとお聞きしましたぜ?」

「さあ?

その時かもしれないし、それからあとにたまたま立ち寄ったカザリームで会ったのかもしれないし。」


ラッツは、ドロシーの護衛を頼んだロウとルーデウス閣下に、よろしうお頼もうします、と、どこか古風な挨拶をして、一緒に階段を降りた。


待っていたのは7人。

お馴染みのアデル。

冒険者…というより傭兵集団“紅蓮大隊”のリヨンと、キャス。

リウのハタモト衆ジェイン。

『調停者』ゲオルグ老。

そして、ほぼ完全に敵になったフィオリナの百驍将ヘンリエッタと、ヘンリエッタの剣の師匠でもある元百驍将のベルフォード。


「ゲオルグさん、助けていただくことは出来ますか?」

ぼくは、威厳ある老魔法使いに、アタマを下げた。

「よろこんで。“踊る道化師”のリーダー殿。」


「……ならジェインを抑えておいていただけますか?」

「おい、ルウエン! わたしがこの期に及んでなにかするとでも……」

「逆になにかしない理由があるか?」


絶句したジェインに、ぼくは続けた。、

「オリジナルのフィオリナなら、そうするからだ。」

「それは」

「きみを高く評価してるから、そう言ってるんだ。」


ジェインは、黙ってしまった。


「リーダー殿。あまり、これを刺激してくれるな。」

ゲオルグ老が、口をはさむ。

「これでも“殺戮人形”の異名をとるハタモト衆きっての武闘派なのは違いない。」


「そうだ。リウがあとから植え付けたその忠誠心込の愛情を抜き取ってみようか?」


ジェインは。そして、ゲオルグさんまでが、怯えたような顔でぼくを見た。


「そんなことができるのか。先ほどの魔法の痕跡から“貴族殺し”を特定したように。常識のワクを軽々と超えてくる。

逆に、お主が、“踊る道化師”のリーダーでなかったのなら、なにものだ?」


「いや、“踊る道化師”のリーダーをちゃんと仰せつかってますからね。

それに、リウの植え付けた感情の除去なんて、ほんとはしませんよ。」

「お、おう、そうか。」

「それは、ジェインが自分でやるべき事ですからね。」


ぼくは、出発を待つ、アデル、リヨン、キャスを向き直った。


「わたしたちたげでも先に行かせた方が良かったのに!」

リヨンが不満げに言った。


「残念だけど、ブテルバさんはかなりの強者だ。一緒にいるはずのカプリスは、百驍将の筆頭だろ?

追いつけたにしてもきみたちが倒されちゃったら意味は無いね。」

「わたしとキャスが負けるとでも?」

「こっちにはハンデがあるんだ。ドロシーのお嬢さんたちとラウレスが人質にとられているし、場合によってはエッグホッグとシャロンも盾にされるかもしれない。」

「まあ、その場合は一緒に蜂の巣でいいと思うけど?」

「バカを言うな。50ダルだぞ。生きて連れてかえるに決まってるだろうが。」




「ねえ、ルウエン。悪いこと言わないから、みんなで一緒に“女神さま”のもとに行こうよ。」

ヘンリエッタが言う。

「少なくとも“黒”よりは話がわかるし、あなたのことも歓迎してくれるに決まってる。それに、ドロシーだって、その子どもたちも安全だし」

アデルが、ヘンリエッタの肩をポンと叩いた。


ヘンリエッタは、剣士だ。それもかなりレベルの。

気安く肩を叩けるような相手じゃない。その肩を無造作に叩いて。


ヘンリエッタの顔が苦痛に歪んだ瞬間、ベルフォードさんの剣が、アデルを襲った。

なるほど。さすがに師匠だけあって、ヘンリエッタより、一枚上だ。

だが、アデルの剛力は、肩を掴んだまま、ヘンリエッタを振り回して、ベルフォードさんに叩きつけた。


「わたしは、“黒”も“災”も大嫌いだ。」

二人の師弟を見下ろしながらアデルは行った。

「もし、ヤツらに会うことがあれば、ヤツらを切る覚悟がついたときだ。」

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