第121話 間違いだらけのギルマス

とっさにエッグホッグは、最高に間違った判断に出た。

自ら、ドロシーにナイフを突きつけて拘束しようとしたのだ。

昔は、いやいまも腕がたつのは分かっていたが、いまは手に赤子を抱いている。思うように動けないはずだ。


その赤子が自分自身の子であることなど、エッグホッグの脳裏からは消え去っている。


ふるったナイフは空を切った。

顔に傷をつけてやるつもりで振るったので、あきらかにかわされたのだ。

たたらを踏んだエッグホッグに、手下たちから失笑がもれた。

くそっ!


閨では、なんども、この女を組み敷いているのだ。

同じことをやってやる。


その足に痛みが走った。

抵抗のしようもない激痛に、エッグホッグは足を押さえて転げた。


乳児を抱っこしていて派手に動けないドロシーは、足を上げて下ろした。

その動作で、エッグホッグの足の甲を踏み砕いたのだ。


シャロンは。

少なくともエッグホッグより、すこし頭が回った。

彼女は、エイメに飛びかかり、その首を抱いて喉元にナイフを突きつけたのだ。


「降伏しろ、ドロシー。てめえはもう詰んでるんだよ。」

シャロンは舌なめずりして言った。

「 さあ、着てるものを脱いで、それで自分の両手を縛って跪け。妙な動きをしたら、このガキの生命はないぞ。」


「その子は、エッグホッグの子でもあるんだけど。」


ドロシーは冷静に指摘した。


「ああ、そうだな。大事に育てて、女になったら、おまえと一緒の娼館で働かせてやるよ。親子で仲良く暮らしな。」


「ボス。」

小柄な男が、ドロシーに頭を下げた。

邪魔な位置に転がっているエッグホッグを、蹴飛ばしてどかせることも忘れない。

「俺のムチは、あの女のナイフより迅いです。」


「エイメに万が一にも怪我をさせたくない。」

「俺の腕を疑うんですかい?」

「おまえも自分が産んだ娘を人質に取られてみると、よくわかるよ。」


ドロシーは、空を見上げた。


「さっきから見ているヤツら!

介入するなら、今だけど?」





エッグホッグは、脂汗をながしながら、体を半分起こした。

注意は、シャロンとエイメに集まっている。


激痛は事実。足の甲は間違いなくヒビが入っている。だが、なんとか動けた。

そろそろと剣に手を伸ばす。


ナイフはほんの脅し。彼の得物はこの長剣だ。

くそっくそっくそっ!


目にもの見せてやる。

やつは、赤ん坊を抱いていて動けない。

袈裟懸けに切りつければ、かわすことは難しいはずだ。


そうすると、彼の娘でもある赤子をも切ってしまうことになるのだが、エッグホッグの脳裏にそんな物はない。



振りかぶった剣の一撃は、十分に、彼の愛する家族を抹殺できた。

その剣を。

鷲掴みにしてもぎとった者がいた。

動きが見えないほどの高速移動では無い。

ただ単に。

威風堂々と、一直線に、そいつは、歩いてきたのだ。


その拳もまたゆっくりと、持ち上げられた。

正面から。

何ひとつ細工のない一撃だった。


エッグホッグは、顔面から路上に叩きつけられた。


そのまま、ピクリとも動かない。

「こ、こらあっ!」

シャロンにナイフを突きつけられたままのエイメが叫んだ。

「パパを虐めるなあっ!」


エッグホッグの剣を取り上げ、一撃で地面に叩き伏せた女は、困ったようにエイメを見た。

まだ、成人もしていないような女戦士だ。

髪は、燃えるようなオレンジ色で、その逞しく鍛えた体と相まって、まるで肉食獣の鬣のように見えた。


シャロンは、二転三転する情勢にぼぼ正気をうしないつつある。

全部うまくいく、全部の世界がわたしのものになる。、なにもかもが。


ナイフを握る手に知らず知らず力がこもった。

切っ先が、エイメの喉をきずつけ、血が流れ始めていた。


冷たい霧が、シャロンの露出の多い体を包んだ。

“愚かだ。”

シャロンの目前に輝く瞳が現れた。


“貴族”特有の赤い目だった。

一瞬で、シャロンは正気を失った。

この瞳の持ち主に支配されたい。

体液を吸い尽くされて、惨めな骸になって永久にお仕えしたい。

その感情に、シャロンは恍惚として、溶けた。

「ち、血を」

喉元の霧が濃くなり、牙の形をとった。


じゅる。

じゅる。

じゅる。


静まり返った街角に、霧に拘束された美女が霧に血を吸われている。

その光景に、荒くれぞろいのエッグホッグの元部下も、「紅蓮大隊」の精鋭も、言葉を失っていた。


なにが行われているのかは、わかる。

その行為を行うものを「吸血鬼」という差別的な表現で呼ぶものは、耐えて久しい。

だが。


霧状への変化をよくする“貴族”は、多く、陽の光のなかで出歩く“貴族”もまた多かった。

だが。


白昼、霧化の術を使い、そのまま「食事」のできる貴族は、きいたことがなかった。

血の気を失った白い顔で、ぐったりとしゃがみ込んだシャロンの手から抜け出して、エイメは、一目散に、倒れ込む父親のもとに走った。


「パパ!! バパぁ、大丈夫?」


エッグホッグは、のろのろと頭を起こし、自分に、駆け寄るエイメを見つめ、抱きついてくるその体を力いっぱい抱きしめてた。

首に手を回して。


「てめえら! 1歩でも動いたらドロシーの娘の生命はねえぞ!」

「だから、あんたの娘でもあるんだけど。」


疲れ果てたように、ドロシーは言った。

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