第120話 魔女は浮気を責められらる
ゲオルグは、大量の水を召喚して、火事を消し止めた。
こんなところも、ドロシーのようは凡人からは遠い。途方もない質量を扱えるのは、途方もない魔力を持ったものだけだ。
エイメは、泣きわめいていた。
焼け死ぬ恐れがたぶんにあった火事にではなく、ゲオルグの生み出した水に驚いたのだ。
サイナを抱っこしているので、手が自由にならない。
いずれにしても、エイメの下着を交換してやらなければ、どこにも行けなかった。
ドロシーは、彼女の娘たち、それに二人は、ドロシーの家に戻った。
炎はここまでは、回ってはいなかったが、ゲオルグの生み出した水は、濁流となって、ここまで押し寄せ、家具を倒壊させていた。
ドロシーは、荒れ果てた我が家を呆然と見つめた。
エッグホッグは新婚の甘さの残る頃から、およそ家事を手伝ってくれるタイプではなかった。
この手の作業は得意なつもりでいたドロシーだったが、さすがに子どもふたりの面倒は手に余る。
部屋はかなり、乱雑にはなっていたが、そこには、生活があった。
幼年学校に通わせようと、準備していたエイメアのドレスのはいった衣裳ケースも、きれいにたたんだサイナのオムツを積み上げたソファも、泥だらけになって、横倒しに、なっていた。
なんだか。ここでの生活が終わってしまってような気がした。
「おい、こりゃあ、どういうことだ!」
怒声が、響いた。
エッグホッグだった。
背中にへばりつくようにして、シャロンが震えていた。
「ね、ね、ね、ちゃんと生きてるでしょ?
殺すなんてぜんぜんほんきじゃないんだから。ちょっと、痛い目に合わせて、主人が、誰かってことを教えてやってから、家を少し荒らしてやれって、そう言っただけよ。」
「俺の家だ!」
エッグホッグの当然な反論を受けて、シャロンは、黙り込んだ。
「で、こいつは、どういうことなんだ、ドロシー。俺がちょっと家を開けた間に、なんのザマだ? 留守宅でガキに飯を食わせることも、満足に出来なかったのか?」
「黒づくめの弓士の集団に襲われたの。」
ドロシーは、すらすらと応えた。
「エイメとサイナを連れて逃げたんだけど、周りに火をかけられて。
危ないところをこちらのお二人に助けてもらったの。」
「お、おまえたち!」
シャロンの、顔は鬼の形相だった。
「裏切ったのか!!」
「ほう? なにか契約書でも残っているかな?」
ゲオルグが、ふざけた声色で言った。
「ま、前金を渡している!」
「はて?」
ゲオルグは首を傾げた。
「わしらは、ドロシー殿の住居をうかがっただけだが?」
「どうもこいつは、水掛け論ってことになりそうだ。」
エッグホッグが、したり顔でそう言った。
「どうも、俺はドロシーが俺のいない留守に、男を引き込んでいるんじゃないかと疑っていたんだが」
半分裸の若い女を、背中にへばり付かせながら、エッグホッグは、続ける。
「……なんてことだ。予想が当たっちまったってことか。そのじじいがおまえの色なんだな?」
これには、百戦錬磨のゲオルグも、魔道人形たるジェインも顔を見合わせてた。
「こんなじじいまで引き込むなんて、恥知らずもいい所だ。色ボケは、出たいけ。」
ばあっと、シャロンの顔色が明るくなった。
「それじゃあ」
「おっと、てめえを後添えにするかは、こらからのお前次第だぜ。」
「あ、あたりまえよ! わたしエッグホッグに、ぞっこんなんだから!」
ぞろぞろと。
集まってきた凶相の1団は、数十人。
なかでも異彩を放つ赤を基調とした制服姿のメンバーたちがいた。
「紅蓮大隊の“紅鬼”キャスの姐御。」
エッグホッグが、もみ手をしながら、近づいた。メンバーの中心の女に頭を下げる。
「約束通り、俺ら西町のギルドはあんたの傘下にくだる。これで、借金は帳消しだ。こいつは、どうする? 追い出しても殺してもいいが、娼館でしばらく稼がせるのもいいも思うぜ。ちょいと歳はくってるが、まだまだ人気がでると思う。」
「エッグホッグ。」
がっかりしたように、紅蓮大隊のリーダーの女は天を仰いだ。
「おまえは、わたしにギルド経営や賭博場を子分つきで明け渡す、と約束した。」
「も、もちろんだ。その代わりに俺の借金の棒引きと、邪魔な古女房を片付ける、と。」
「そうだよな。」
キャスは、異形の集団と言っても良い“紅蓮大隊”のなかでも一段と異様であつた。
肌は蝋のように世紀を失った白さで、その下に赤い血がながれているのか不安になるほどだった。
対して長く伸ばした髪は、真紅。
首の周りに髪より赤い蛇が巻きついている。
「手入れの悪いおまえの酒場なんぞ、二束三文にもならない。それなりに腕もいいおまえの部下ども、こいつらがこみてやっと値がつく代物だ。」
「だ、だから、子分共も込みで」
「子分たちは、そうは言っていないようだぞ?」
な!
エッグホッグは絶句して、まわりを見回した。
“紅蓮大隊”は5名ばかりで、残りは全部、彼の手下のはずだった。
借金をつくった賭博の実質的なボスである“紅蓮大隊”に、払えないならシマをよこせと、言われて頭を抱えて、自分のギルドに戻ったところで、シャロンから旅の腕利きを雇って、ドロシーを殺させるよう依頼したと伝えられた。
渡りに船とはこの事だ。
手下たちの手前、シャロンを怒鳴りつけはしたが、しめしめとすぐに動ける手下をかき集めて、やってきたのだ。
だが。
自分を見つめる手下どもの目つきがおかしい。
まるで、汚らしいものでも見るようにか彼を見つめている。
なかには、いや半分くらいの視線には、明らかに殺気がこもっていた。
「な、なんだ、おまえら!」
エッグホッグは叫んだ。
「ボスは俺様だぞ。おい、ドロシーを縛り上げろ。」
誰も動かなかった。
紅の蛇女は、高らかに笑った。
「こりゃ驚いた。エッグホッグ、あんたは自分のものでもない組織を担保に差し出していたのか。
面白いな。まったく。」
そのまま、ゲオルグに向かって一礼した。
「田舎町の小競り合いとはいえ、なかなか面白い状況です。“調停者”なら、ここはどうお裁きになりますか?」
ゲオルグは髭をしごいた。
「もとより、調停者は国と国の外交を調停するもの。そうやすやすと引っ張り出されては身が持たぬ。だが、アドバイスな、少々。」
「是非!!」
「ことは、西の街のギルドとおぬしらとの争いだ。つまり、それはおぬしらとドロシーで決着すればよいこと。」
くぼんだ目がじろりと、エッグホッグを睨んだ。
「このボスを自称する道化とその情婦は、この場に不要じゃな。」
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