第119話 逃亡の果て
ドロシーは、エイメを抱き上げた。
風を起こして、サイナをベビーベッドごと巻き上げた。
そのまま、裏口へと走る。
ドアが吹っ飛んだのは、次の瞬間だった。
ドロシーは、足に風をまとった。そのまま、氷塊を打ち出して裏口を撃ち抜いた。
壊れた裏口から、滑るように外に出た。
戦うにしてもこれはまずい。
ここは繁華街の一角だ。一通りも多い。
周り巻き込んで。いやそれより、エイメとサイナがいる。
「待て、ドロシー!」
ゲオルグの声が後ろから聞こえた。
「わしは調停者として“黒”から依頼を受けている。暴力に訴えかけることは、しない。話を……」
なら、その凄まじい殺気にまみれて、魔道人形はなんだ!
ドロシーは、地元の住民だけがよくしる裏路地をかける。
抱き上げたエイメが、キャッキャッと笑う。まずいことに、浮遊させたまま連れているベビーベッドで、サイナが泣き出した。
うまく、ゲオルグたちを撒けるかと期待したがこれでは無理だ。
子どもを足でまといに思うのか。
違う、わたしは子どもたちを巻き込ん出しまわないように、逃げているのだ。
それなのに、その子どもを邪魔に思うなんて!
ろくでもない母親だ。
くちびるを噛んだドロシーの頭上を炎の矢が何本も走った。
そうか。
少なくとも殺す気はないようだ。
この距離なら、リウのハタモト衆ならぼ外すことはない。わざと外したのだ。
それにしても。
木造の急造住宅の多いこの地域でそんなものを連発されては。
家は容易に燃え上がった。
ドロシーはわずかに迷った。
火災は初期鎮火が肝心なのだ。燃え広がってしまっては、被害は格段に広がってしまう。
その迷いが命取りとなった。
ドロシーの頭を超えて、火炎球が投じられ、それは、ドロシーの目の前の建物に炸裂し、それを炎上させた。
逃げ道はなくなった。
いや、ドロシーひとりなら、魔法障壁を張り巡らして、炎のなかをつっきることも考えただろう。でもエイメとサイナがいた。
「手間をかけさせるな。」
フィオリナそっくりの魔道人形は、まるにりの無表情だった。
感情がないわけではない。ぎゃくに恐ろしいほど怒っているのを、封じた込めたのが、その無表情だった。
「落ち着け、ドロシー。おぬしに害するつもりはない。」
ゲオルグは、魔道人形の後ろから姿を現した。
「それはおまえの答え次第だがな。」
魔道人形が言った。
「どういうこと?」
サイナをベッドから抱き上げると、エイメも抱っこをせがんできた。
かくして、ドロシーは、両手に我が子を抱いたままで、恐るべきリウのハタモト衆と対峙するはめになった。
「陛下がおまえをご所望だ。」
「わたしはこの街で、家庭を持って、平穏に暮らしてる。断ると言ったら?」
「その場合の指示は特にない。」
冷静な、いや冷静なふりをして、魔道人形は言った。
「だから次善の策をとることになるだろう。
“災厄の女神”もおまえを回収するために動いているから、それは最悪避けねばならない。」
チラリとゲオルグを見あげて、魔導人形は続けた。
「殺すか。」
わああああん!
エイメが泣き出した。つられて、サイナも、泣き出した。こちらはたんにおしりが濡れているだけだった。
ああ。
ドロシーは天を見上げた。
火は燃えひろがり、まわりを取り囲みつつある。これ以上最悪なことって……。
その肩に矢が突き立った。
それでもとっさに反応はしたのだ。
体をひねらなければ、胸を射抜かれていた。
「妙な話をしてるじゃねえか?」
屋根の上に姿をあらわした黒衣の1団は、面で顔を隠し、弓矢を装備していた。
そのひとりが、ゲオルグに話しかけた。
「俺たちは、シャロンさんから依頼を受けた冒険者パーティ“無窮の装弾”。おまえらが、請け負ったのは、その女の殺しだろうが。なにを“黒の御方”だのハタモト衆だの」
「ジェイン。」
ゲオルグが、恐ろしく冷酷な声で言った。
「こいつらを始末しろ。」
「ふざけるな、おい、」
「おぬしらがシャロンの雇った本命じゃろ?」
ゲオルグが言った。
「わしらに仕掛けさせて、隙をつくらせて、手柄をさらう。」
「……」
「わしは調停者だ。“背教者”ゲオルグ。こちらはきいた通りだ。ハタモト衆のジェイン。
わしらはドロシーに用があってやってかたのだ。まかり間違っても、色ボケの情婦の甘言にはのらんよ。」
こ、殺せ!
リーダーは喚いた。
少なくとも彼らは、ドロシーたちとゲオルグ、ジェインを包囲し、距離は十分に弓矢の距離だ。
たとえ、格上の冒険者でも、この体勢なら倒せる。
そう踏んでの行動だったが、これは完全に裏目だった。
一斉に放った矢は、ドロシーに殺到したが、彼女が立ち上げた氷の壁に遮られた。
矢は、全て止まったが、ドロシー自身は舌打ちをしている。
周りは、すでに炎が燃え広がっている。
こんな中での氷の壁は強度が不十分になる恐れが確実にあった。
腕が鈍っている。
戦闘に対するカンも。
ああ。
また、それを子どもたちのせいにしようとした自分の感情を、ドロシーは責めた。
空から。
切断された首や手足がおちてくる。
一瞬、屋根までジャンプしたジェインの技だった。
8人いた殺し屋パーティ「蒼穹の装弾」はひとりも生きてはいない。
「話を聞いてもらえるか?」
もう一度ゲオルグがきいた。
ドロシーは頷くしかない。
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