第八章 魔女の細腕繁盛期
第116話 銀雷の魔女は夢を見る
明け方にみた夢だった。
最近は、ぐっすりと心地よく眠れた記憶がなかった。
悪夢は、繰り返し襲ってくる。
多くは昔の記憶だ。あのとき、ああしていれば。
こうしていれば。言うべき一言が言えず、次の瞬間には街は燃え上がり、瓦礫のなかを救えたはずのものを探して、歩き回る自分がいる。
でも、この日みた夢は悪くはなかった。
もう何年も前になるが、彼女は、とある山村で、ギルドの手伝いをしながら酒場の切り盛りをして、何年間かを過ごしたのだ。
百軒を越える大きな集落で、山を開墾した畑からの収穫と、山の幸で暮らしていた。
そこは、ギルドといっても自警団の集まりに毛が生えたようなもので、一番の任務は、近くの迷宮で、魔物が増殖して溢れ出さないように、定期的に間引くことだった。
彼女の評判は、自分で言うのもなんだが、よかったように思う。
村を尋ねた貴族の御曹司が、吹雪の山で、遭難しかかっていたのを助け、つあ契りを交わしてしまった。
彼は、そのまま、下山し、自分はほどなく村を離れた。
「ママあっ!!」
3歳のエイメは、下の子が産まれてからは、さらに子供に戻ってしまったようだ。
出来るようになったはずのお着替えも、なにかと彼女を頼る。
生まれた妹に嫉妬しているのだ。
それはわかるし、可愛いのだが、まだはいはいも出来ず、乳を与えなければなならない乳児の世話は、すでにエイメで1度経験しているとはいえ、ドロシーをかなり消耗させている。
エイメは、またおしめを濡らしていた。
おトイレもひとりで行けてたのに。
エイメを着替えさせている間に、ヘビーベットのサイナがぐずりはじめた。
赤ん坊なんて、泣くのが運動も兼ねているので。少し泣かしておいてもいいのだが、今度は男の怒声が、響いた。
「ドロシー! ガキを泣かすなと言ってるだろうが!」
口答えせずに、手早くエイメの着替えを終えると、ドロシーは、乳房をサイナに含ませようとしたが、サイナはいっこうに乳を吸おうとはせず、なおもぐずっている。
ああ、おしめのほうか。
ドロシーも馴れ、というものがある。
エイメとサイナだけなら、なんとかなる。だが。
「おい、俺の朝メシはどうなってるんだ!」
ごそごそと起き出してきた夫が、わめいていた。
彼はこの街で知り合った。
傭兵相手の酒場で、博打の胴元をしているという触れ込みだったが、どういうものか、ときどき、胴元のくせに負けていた。なんどか、その損失の補填をしてやっているうちに深い中になった。
妊娠してしまったのは、ドロシーのミスである。
魔法の技には、そんなものもいくつかあったのだが、ある晩、それはよく覚えていないが、酔っていて、つい避妊をおこたってしまってのだ。なにかとても辛いことを思い出してしまった日のように思う。
そのまま、ドロシーは、エッグホッグを受け入れた。
彼女の妊娠に、エッグホッグは、少し驚いたようだが、男らしく、結婚を申し込んだ。
あるいは、けっこうな額になっていた彼女への借金をこれで、棒引きに出来るかもしれない、とかんがえたのかもしれなかった。
いずれにしても、ドロシーはささやかな結婚式をあげ、あれよあれよという間に、町外れに新居をかまえて、新婚生活をおくることになった。
確かに、結婚の時期としてはだいぶ遅い部類にはいる。
そして、残念ながら、愛を交わす相手としては、エッグホッグは、ドロシーの理想とはかけ離れていた。
庇護したくなるような美形も、頼りがいのあるマッチョも、彼女はどちらも好きだったが、エッグホッグは、頼りがいのないないマッチョで、しかも不摂生のため、そろそろ腹も出ていた。
それでも、エイメが産まれるまでは、まだ愛情深く彼女に接していたような気がする。
産まれたエイメが女の子だったことに、明らかにエッグホッグは、落胆し。
生まれて初めての難行を成し遂げたドロシーに文句さえ言ったのだ。
さらに、出産祝いと称する集まりで、カレの仲間のひとりが、男の子が授からなかったのは、エッグホッグが、ドロシーをその、性的な意味で満足させて居なかったからだと、詰まらぬ蘊蓄を語り、その日から、エッグホッグの持ち込んださまざまな器具で、ドロシーの寝屋は、描写出来ないようなありさまになったのだ。
そして生まれた第2子であるサイナもまた女の子だったことで、この最初から怪しかった夫婦の愛情には大きく亀裂が走ることになった。
「飯の用意ができねえなら、外で喰うわ。金。」
ドロシーは、黙って天井から下がったザルを指さした。
そこには、日常生活に必要な小銭が入っている。
夫はそれを覗き込むと、その殆どをポケットにねじ込んだ。
そのまま、大股で家を出ていく。
また、何日かは帰ってこないのだろう。
おそらくは。
酒場の若い女のところに転がり込む。
そして、その女には要求できないような変態的な行為を体が欲求したときだけ、ここに帰ってくるのだ。
明け方にみた夢は、寂しい夢だった。
前に働いていた村に、懐かしいものたちが、尋ねてくれる。
ドロシーは嬉しく嬉しくてしょうが無かったが、彼をここに留めてはいけないことは分かっていた。
だから、彼女は自分を殺させて、彼を送り出したのだ。
ちりり。
と、玄関の呼び出しベルがなった。
どなた?と誰何する人妻に、ランゴバルドからのお届けものです、と男の声が答えた。
ドアを開けると、帽子を目深に被った小男が、油断なくドロシーを目上げた。
「エッグホッグは、あのまま、博打場にすっとんでいかれましたぜ。」
届け物をわたすふりをしながら、小男は言った。
「賭けにいったんじゃありません。昨日のツケを払いに行ったんだ。午前中に穴を埋めないと、指を落とすと言われてたようですわ。」
男は、部屋のなかを覗き込み、乱雑に散らかった部屋の様子に顔を顰めた。
「姐さん。」
改まった口調で男はいった。帽子のひさし下に隠れた顔はみるからに悪人面であっまたが、表情は真摯なものがこもっていた。
「その子たちに父親はいたほうが、そりゃあいいんでしょうが」
「ラッツ。わたしは、いまささやかな日常に手一杯なんだ。あまり余分な悩みは」
「だからこそ、です。」
男の口調に力がこもった。
「あんたは、恐ろしく頭が切れる。呆れるくらいに腕もたつ。一時は、あの“銀雷の魔女”じゃないかって噂もたったくらいた。」
「わたしは、そんな大層なものじゃない。ただの冒険者くずれだ。」
「はいはい、それは納得いたしました。
銀雷の魔女だったら、あんたの祝福をうけた男は、立身出世間違い無しのはずですが、エッグホッグはあの、ていたらくです。」
「それは、わたしのせいじゃないよ。」
「おっしゃる通りです。しかし」
男は、受領書をうけとり、小声で、かつ早口でささやいた。
「いま、エッグホッグが付き合っている女は、いささか曲者です。知能が足りないタイプの上昇志向者ですわ。あんたを亡き者にしちまえば、エッグホッグと組織がまとめて手に入ると思い込んでいる。
ま、この街の連中で、あんたに手を出す阿呆は一人もおりませんが、流れものや、ほかの街の殺し屋を使う危険もある。」
さすがに顔を顰めたドロシーに、丁寧にお辞儀をしながら、男は続けた。
「1対1なら、あんたは無敵だと思いますぜ。だが、傭兵部隊を使うかもしれねえ。
早めにご決断を。俺らは、あなたに付きますぜ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます