第108話 残されたもの
「高く評価いただいてありがとう。」
ぼくの言葉に、ドロシーは心からの笑顔で、どういたしまして、と答えた。
最初にヘンリエッタが出ていってから、もう二時間近くが過ぎている。
ここをたまり場にしている村の冒険者たちは、こぞって、迷宮に出かけてしまっているので、訪れる者もいなかった。
柱時計が刻を刻む。
ドロシーがお茶を入れてくれて、また入れ直して、それも冷めた頃に、ドロシーは言った。
「次はジェインさん。
お願いします。」
フィオリナを模した魔道人形は、本物を思わせる目付きで、ドロシーを睨んだ。
むろん、ドロシーはびくともさなかった。
「わたしは、“災厄”のコピーだ。わたしのほうがこの2人より強い。」
「うん、ここらへんは、わたしの勝手な判断なのでお許しくださいな。」
ドロシーは、ジェインをあやす様に言った。
「アデルさんは、“災厄の女神”の実の娘ですし、ルウエンさんは、“災厄の女神”と“黒き御方”のリーダーだった人物です。それはさぞかし、つよいでしょうね。」
「ここでそれを確かめてもいいんだが。」
殺戮人形ジェインは肩をそびやかすようにして言った。
「わたしの使命はドロシーを確保すること、そのために、ここから脱出することだ。それを優先しよう。」
「冷静でよいご判断です。」
「冷静ではないよ。わたしは怒っている。その怒りは、対戦相手にぶつけるつもりだ。」
ジェインが荒々しく、店を出て言ったあと、アデルがぽつりと言った。
「フィオリナってのもあんな感じなの?」
「あんな感じだよ。」
「やっぱりフィオリナのこと、よく知ってるのね?」
「有名人だからね。でも、こちらがいくら知っててもむこうは、ぼくを知らないんだ。よくあることだよ。」
それから、時間が過ぎ。
「アデルさん。そろそろお時間です。」
ドロシーが言った。
アデルは、腰を上げた。
「あれ? わたしのほうが強いのに、とかの文句がでると思ってましたが。」
「それはともかく。」
アデルは言った。
「この場において、キーになるのは、あなたなの。
この変なお芝居も、そっちのいんちきドロシーさんが、ルウエンと2人きりになりたいから仕組んだことでしょう?
実際には、わたしたちの勝負なんてどうでもいい。
ここから出られるかどうかは、あなたにすべてがかかってる。」
そう。
そう言って、アデルはフィオリナそっくりに、まるきり存在を消したような静けさで店を後にした。
「あれは、フィオリナがほんとに怒ってる時の歩き方なんだよ。」
ぼくは、ドロシーにそう説明した。
「やっぱり、あなたはフィオリナをよく知っている……」
「有名人だから、知ってるだけだよ。向こうはぼくを知らない。」
ドロシーは、なにか言いたげにぼくを見つめていたが、その言葉が形になるまえに、どやどやと、ミルラクの冒険者一行が帰ってきた。
近くの迷宮に巣食う怪物たちが、溢れ出さないように間引きに、行っていたあの一行である。
首尾は上々だったらしく、大声で、あの剣さばきがどうのとか、あそこでの斧の一撃が、とか互いを褒めちぎりあっている。
食堂に併設されたギルドの受付に、血のシミがついた大きな布袋を、おくと袋を開く。
なかからは、数十個の肉塊がこぼれ出た。
「討伐証明だ。」
リーダーの髭面が吠えた。
「負傷者もゼロ。今夜は宴会をやるぞ。ドロシー、用意を頼む。」
はいはい。
と、ドロシーは、手ぶくろをはめて、袋のなかの肉塊を数え始めた。
倒した怪物の体の一部を持ち帰って盗伐の証明にするのは、よくある手口だ。
すると、これは今回の盗伐の対象だった牛蝙蝠とかいうものの、たぶん舌だろう。
迷宮では、倒した魔物から採取した部位そのものに、価値がある場合もあるが、牛蝙蝠には、そんなものは無さそうだった。
しばらくは、事務的なやり取りが続いた。
牛蝙蝠の討伐の対価が支払われ、今回の戦いで消耗した武器や治療薬、防具の修理費などを差し引いた代金から、各自に報酬が配られる。
「こ、こんなに!」
のちに、若くしてアジャール伯爵領の騎士団副長になるバルディ・アジャールは、もらった硬貨に感激したように、目を潤ませた。
「これで、旅の装備を整えられます。銀雷の魔女を探す旅が続けられる。」
パーティリーダーのおっさんと、ドロシーは素早く、バルディが気が付かぬほど素早く、目配せしあった。
「それはまあ、飲みながら話そうや。」
パーティリーダーは、そういいながら、酒を出すように、ドロシーに頼んだ。どうやら、日暮れを待たずに宴会をはじめるつもりのようだった。
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