第107話 脱出試験

驚いたことに、ヘンリエッタは目を覚ました。

本人は否定するが、シチューの香りにひかれたのに、まちがいはない。

怪我をしたほうのうでは、添え木をあてて、固定してある。

骨は折れてはいないが、傷口が閉じるまでは動かさないほうがいい、というドロシーの配慮だった。


「わたしの分もください。」


ぼくは、手を貸して彼女をたちあがらせて、隣に座らせたが、それについての感謝の言葉はなかった。


「話はだいたい、聞いてます。」

利き腕が使えないヘンリエッタだったが、食事はパンとシチューだった。

これなら、パンをシチューに漬けてそのまま、食べればいい。

「わたしも、参加する。」


「そのつもりでした。」

ドロシーは静かに答えた。

「お相手は、ベドフォード卿をご希望ですか?」


「もちろんだっ!」


「しかし…」

そう言いかけたのは、ルーデウス閣下だったが、ヘンリエッタに睨みつけられて黙った。


「えらいです、ルーデウス閣下。」

ぼくは、閣下を褒めた。

「そ、そうかな?」

「チンビラに睨みつけられて、黙ってしまうところなんて、本物の人間の淑女らしいです。」

「そ、そうか!」


ルーデウス閣下はうれしそうに、にこにこと笑った。

吸血鬼は、人間に混じって暮らし、人間を獲物にする生きものだ。

もともとは、その発生からして人間とは別種の生き物だったらしい。「らしい」というのは、その当時の吸血鬼(原種とよばれる)が誰一人残っていないからだ。

彼らは獲物である人間を狩るために、人間の社会に溶け込むことを、是とした。

外見を人間に近いものに、変えたのは当然としても本来、必要のない「呼吸」「鼓動」「涙」等々も上手に真似ることは、彼らにとって、たのしいゲームだったのだ。


現在、“貴族”と呼ばれるに至った人類の友人たちにもその価値観は受け継がれている。


「だ、だれがチンピラだ。」

ヘンリエッタが、腰をうかしかけたが、アデルに引き戻された。


「突っかかるな。」

「でも」

「ルウエンもルーデウスもおまえの怪我を心配して言っている。」


ヘンリエッタは、椅子に座り直した。

腕の傷は深い。

痛みは麻痺させているが、キズそのものが治ったわけでもなく、失血も多いはずだ。


とても明日、戦える状態ではない。


「ベドフォードがここで人以外のものに、なりはてているのなら、引導を渡すのは、弟子のわたしの役目だから。」


ヘンリエッタは、ぼくとルーデウス閣下を見比べながら言った。

「しかし、手が」

「片腕で使える技など、百はあるわっ!」


剣士としての矜恃か。

百驍将とやらの誇りか。


アデルは、傷をおっていないほうの肩を軽く叩いて言った。

「好きにやらせてやろう。」



翌朝。

集まったぼくらに、ドロシーは、1人ずつ外に出るように指示した。

好きなところを好きに歩けばいい。

「こちらから、仕掛けさせてもらいます。勝負は相手を抹消すること。」


まず、ヘンリエッタが、立ち上がる。

負傷した腕は肩からつったままだ。


「ちなみに、あなたがたが1敗でもすればそれで終わりです。

刻の輪は閉じて、あなたがたもこの世界の一部として暮らすのです。」

ドロシーは、笑った。邪気のない笑顔だった。

「それもまた、良いかも知れません。

わたしの記憶にあるのは、恐らくは5年前のものですが、世界はかわりましたか?」


「いいや。」

と、ゲオルグさんが答えた。

「いいや、変わっておらんよ。何一つ。」



ヘンリエッタは、しっかりとした足取りで出ていった。

ぼくの記憶が正しければ、ヘンリエッタの流派は、以前のグランダ王国で、近衛隊長を勤めていたある伯爵のものだ。

彼自身は、たいした才能がないうえに、年少者への加虐趣味のある、近衛隊長や王立学院の最高師範には、まったく相応しいところのない男だったが流派そのものは、かなりトリッキーな動作からの俊敏な突き技を主体とした物で、負傷のヘンリエッタにも勝機はあるかもしれない。


しばらく、そのまま時間が経過した。

ヘンリエッタは、どうなったのか。

戦いはどうなったのだろう。少なくともゲームが続いている以上、ヘンリエッタは負けてはいないはずだ。


「ルーデウス伯爵。」

ドロシーは静かに閣下に呼びかけた。

「お願いします。」


「ヘンリエッタはどうなったのだ。」

吸血鬼は、赤光を放つ瞳でドロシーを睨み、無視されて凹んだ。

「お答えできません。どうします?

棄権されますか? その時点であなたがたの敗北が決まりますが。」


ルーデウスは、そのまま、店を出ていった。


さらに30分ほどおいてから、ドロシーは、ラウレスを指名した。

まだ幼子の外見をもつ古竜は、頷いて立ち上がった。そこにはなんの感情もうかんでいない。

ただ、出口のところで、くるりお振り返り、ぼくに向かって

「世界ごと壊していいの?」

と、尋ねた。

「ブレスのことを言ってるんなら、絶対ダメ。」

ぼくはそう答えた。

「いまのおまえじゃ打てないし、打ったら体が崩壊する。魂も砕けて、二度もと復元はできないだろう。」

「わかった。」

ラウレスは、にごりともせずに、それだけ言って、店を出ていった。


次に指名されたのは、ゲオルグさんだった。

「わしは、最後にするかと思ったぞ、ドロシーよ。」

老魔道士は、不満そうに言った。


「ご期待に添えずに申し訳ありません。」

理不尽なクレームだと思ったが、ドロシーは、丁寧に頭を下げた。

「わたしは、とても面倒くさがりなので、わたしたちが早く一勝をあげられる順で、みなさんを送り出しています。」

「つまり、戦闘力の低い順か。」

ゲオルグさんは、うめいて、ぼくとアデル、ジェインを見つめた。


「なるほど。この三人は、わしより上と判断したのだな。」

「はい。あくまで、わたしの見立てですが。」

ゲオルグさんは、悪態を、ひとしきりついてから、店を後にした。


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