第98話 忘れられたもの
ぼくは、心の中で哄笑をあげていた。
心の中だけで。
こんなことをするから、腹黒いって言われてしまうんだろうけど、まあ、面と向かって嘲笑しないだけ、マシなんじゃないだろうか。
ぼくは人間に過ぎない。
たとえ、魔力が、少しばかり強かろうがその存在は、人間の範疇にと留める。
そのぼくを、ぼくの存在を消し去るために、神さまが、それも1柱ではない。名のある大神たちがこれほどの策をこうじても、完璧にうまくはいっていない。
それが妙におかしかった。
神にさえも限界はあるんだ。
ぼくという存在は、カザリームの『栄光盾トーナメント』の直後、みなの脳裏から消された。
ぼく個人は、物理的に有限の寿命をもつ存在では、到達不可能な、はるかな世界に、連れ去られた。
みんながぼくを覚えていてくれれば、それをマーカーに“転移”出来たんだけど、それも根こそぎやられてしまっては、もうダメだ。
いっそ、殺してもらえば、転生してしまうことも出来たかもしれない。
その可能性があるからこそ、安易にお命を奪わずに、流刑みたいな方法をとってんだろうけど。
でも、そこまでしても完全は望めない。
神さまでも完璧は無理なんだ。
ぼくが、たずさえた魔剣ニーサカーダとガンマは、記憶を奪われなかった。
なので、ぼくは流刑先で完全に孤独というわけですらなかった。
そして。
カザリームのトーナメント直後には、まだ稼働していなかった魔道人形ジェインもまた。
そのときに、存在しなかったものから、記憶を奪うことなんでできない。
「な、なにを言ってる?
災厄の女神に婚約者? グランダの王子? そんなものはきいていない。」
ロウは、明らかに困惑していた。
「いや、わたしはグランダでの滞在は短いし、詳しい情報を持ってる訳でもないが。
だが、そもそも、災厄の女神からもそんな話しは一度もきいていない。」
「わたしの記憶は、災厄の女神のコピーだ。そのわたしが、こいつは、ハルトだと断言している。」
ミルラクの冒険者たちは、ぽかんとしている。
一度は和気あいあいとしかけた、ゲオルグ老とぼくらが、また険悪になり掛けているようだが、原因が分からないのだろう。
誰かが誰かと誰かを、勘違いすることがそんなに問題なのだろうか。
もっとも。
ロウの感じているものは、怒りではなく、困惑だ。
そりゃあ、魔道人形の記憶を弄ることは、できる。だが、唯一それができたはずのボルテックのじじいにしても、なんのためにそんなことをするのか分からない。
「歓迎会をありがとう。ミルラクの冒険者諸君。」
ゲオルグ老が、声を大きくして言った。
「どうも、わしらの間には勘違いだか、記憶違いによる齟齬があるようだ。
これは、わしらだけで解決することにするよ。
楽しい時間をありがとう。わしらもロウたちもしばらく、滞在するつもりなので、また一緒に呑める機会はあるだろう。」
「わかりました、ゲオルグ老。」
と、リーダーの髭面が答えた。
「じゃあ、今晩はこれでお開きにしますか。もし、近隣で探索でもあったらぜひ、俺たちに声をかけてください。」
もちろんだとも!
と、言ってゲオルグは、今度はドロシーに尋ねた。
「少し、わしらだけで話し合いをせねばならんようだ。個室を借りることはできるかな?」
ドロシーは、頷いて、鍵を差し出した。
「会議テーブルと黒板、というわけにはいきませんが、ここなら、みなさん程度の人数なら、椅子とベットを利用いただければ座って、お話ができます。」
そう言ってから顔をしかめた。
「くれぐれも手あらなことは、ご遠慮くださいね。」
「もちろん。わかっとる。」
ぼくらは、ぞろぞろと階段を登った。
ゲオルグ老は、ぼくのすぐ後ろを歩いていたが、小声でぼくに話しかけた。
「妙な村じゃな。迷宮に似た閉鎖空間に近い感覚だ。」
「モデルとなった時空があるんですよ。」
ぼくは、答えた。
「おそらくは、5年くらい前のミルラクです。たぶん一定期間で繰り返し同じ刻を生きているはずです。
かけてもいいですが、簡単には出られませんよ。」
ぐふ。
というへんな声がしたので、振り返ると、ゲオルグ老が髭ごと唇を噛み締めていた。
嬉しくて、叫び出しそうなのを、それでこらえたのだ。
「わしは、ひとつ説をもっていてな」
ゲオルグ老のキラキラした目を見るに、いたたまれなくなって、ぼくは前を向いて、また階段を登った。
「“踊る道化師に幻のリーダーがいた”説ですか。」
「なんだ、聞いているのか?」
「ロウから聞きましたよ。カザリームの戦い後、あまりにも急速に、“踊る道化師”が瓦解したのは、リーダーがいなくなったからだ、っていう説でしょう?」
「聞いているなら話が早い。」
階段を登りきると、同時に、ゲオルグ老は、ぼくの隣に並んだ。
「わしは、その幻のリーダーが、ルウエンなる魔法士ではないかと推測しておってだ、な。」
「はいはい、偶然ですよ。そんなに珍しい名前じゃないし。
おっと、部屋はここです。」
鍵にあった番号と同じ部屋を開ける。
部屋に入ると、さっそく、気の利くロウが魔法の光を打ち上げた。
部屋にあるのは、小さなランプだから、このほうが明るい。
部屋には、ベッドが6つと、同じ数の椅子。上着をかけられるハンガーラックに、小さな机がひとつある。
「もう1つ、わしが提唱していたのが、“踊る道化師”の結成に、グランダの王子ハルトが関係していた、というものだ。」
「そっちは、なおさら知りません。、
なぜ。そんな推論をたてたんですか?」
みなはてんでに、椅子やベッドやテープルに腰掛けた。
「荒事にはならない」と、ゲオルグ老は安請け合いをしたが、誰一人、武具を置くものはいなかった。
「ルウエンは、わたしの下僕だ。」
ベッドに腰掛けたルーデウス閣下が、開口一番に、そう言ったが、これは全員から冷たい視線を浴びせられた。
「いや、その、だから、わたしとルウエンは記憶の一部を共有してる訳なので。けっして、ルウエンは“踊る道化師”なんていう化け物のリーダーでもないし、グランダの王子さまでもない。」
「化け物?」
と、ロウが優しく聞き返して、ルーデウス閣下は、かわいそうに引きつった叫びを漏らした。
「なら、こいつはなんなのだ?」
と、“殺戮人形”ジェインが言った。
「え、ええと、だからランゴバルド冒険者学校の生徒でアデルの友だちで」
「ここにきて、カタログの文言を棒読みされても」
と、アデルが言った。
「さあ、ルウエン。あなたがなにものか言ってよ。あなたがなんでも、友だちなのはかわらないから!」
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