第96話 悪夢の一夜

ぼくは、挨拶のための笑顔を浮かべたまま、凍りついていたらしい。

ぼく以外では、ロウと同じありさまだった。


ルーデウス伯爵閣下が歩み出た。

裾を引きずりそうなロングドレスだったが、裾は地面に着く直前で、溶け込むように消え失せている。

つまり、あのスカートのどこからか、少なくとも裾の部分は幻なのだ。


「サブマスターのドロシー殿か。そなたの美しさに、我らのパーティのリーダーとサブリーダーは、すっかり心を奪われたと見える。」


そのまま、ぼくと、ロウの肩を押すようにして、席につかせた。


「人数分の飲み物と食べ物をみつくろってくれ。

わたしは、赤ワインを所望するが、在庫は何本ある?」

「ああ、ごめんなさい。」


ドロシーと名乗る女は頭を下げた。


「この村で作ってないものは、みんなお値段がとんでもなく高くなるの。

赤酒でいいのなら、ベリーの果実酒があるけど。」

「いいな。壺でもらおうか。」


ドロシーは。


見間違えるはずもない。


たしかに歳はとっている。十代の少女には、見えない。

太ってるというほどではないが、全体に厚みをました身体は、豊満という形容が良く似あう。

そしてなにより、美しかった。


「ど、ど、ど、ドロシー…さん。」

「はい?」

「どうしたの。まるで、“銀雷の魔女”にでもあったみたいよ。」

「ぎ、ぎんらいのまじよにあったみたい、とな?」


ぼくとロウは。まあ、言ってもすごい馬鹿みたいだったと思う。


「ロウ=リンドよ。似とるのか、そんなにも。この女が銀雷の魔女に。」


呑んでいた冒険者のなかから、顎髭を伸ばした老人が、立ち上がった。

なかなかに怖い顔立ちだし、その実力をきれいに隠しているのが、また恐ろしい。


「遅かった。」

と、老人が言った。

「だが、遅すぎはいなかった。久しぶりだな。ロウ=リンド。」


「ゲオルグ!

“背教者”ゲオルグか。」


ロウが立ち上がった。


「なんだ、ゲオルグ老。お知り合いか?」

冒険者のリーダーも立ち上がる。

「ならば、こちらで一杯いかがかな。もし、その…敵対するものでなければだが。」


「もちろん、わしらは仲良しだよなあ、ロウ=リンド。」

「確かに、ギムリウスの“試し”を受けた数少ない者のひとりだ。」


ロウは、しぶしぶ、と言った感じで老人の弁を認めた。


「ギムリウスの友人ならば、わたしにとっても友人だ。一緒に一献傾けよう。」



テーブルを、ふたつ繋ぎ合わせる作業は手早行われた。

テーブルは重くてどっしりしたものだが、屈強なな冒険者のみなさんは、テキパキとその作業を行った。


そのひとりを見て、ぼくは、またも愕然とするハメになった。今度は全員一緒だ。


パーティのメンバーのなかに、先日会ったばかりのバルティ副騎士団長の姿があったからだ。

性格にはすこし、違う。若くして英雄となったバルティさんは、まだ十代で、ぼくらの凝視に慌てたように、頬を赤らめた。


「まあ、ここはご覧のような田舎町だが」


何が町だ。村だろう。

と、ヘンリエッタがぶつぶつと言った。

投げられ引きずられ旗めかされた彼女は、まだ顔色がよくない。


「旅人は大歓迎だ。たいしたもてなしも出来ないが心ゆくまで、ここに逗留してほしい。

むろん…」

冒険者のリーダーは、ドロシーの肩をどんと叩いた。

「宿代のほうは、若おかみが便宜を測ってくれるはずだ。」


一堂は、どっと沸いた。


グラスに継がれたのは、麦を発酵させた泡立つ酒で、たぶんルーデウス閣下が所望されたものではなかったが、彼女は、いやな顔をせずに乾杯につきあった。

さすがに、冒険者だっただけのことはある。


「世界に七人しかいない調停者殿に乾杯!!」


ざっと数えて12回目の乾杯がすんだところで、ヘンリエッタが潰れた。


「先に部屋に戻って寝かしておこうと思う。」

ラウレスが、自分よりだいぶ大きなヘンリエッタをかるがると担いで、そう言った。


ドロシーは、頷いて、鍵をわたした。


「寝室は2階よ。鍵の番号と同じ部屋を使ってね。寝具と飲水は置いてあるわ。」


あんな子どもに、人を1人担いで階段が登れるのか。


疑問に思った者もいるだろうが、あっさりとラウレスは、吹き抜けになって2階の通路に、いきなり、ヘンリエッタを投げあげた。

そのまま、自分もジャンプして、落ちてきたヘンリエッタを抱きとめて、そのまま、寝室へと消えた。


「な、なにもんなんだ、あれは!」


村の冒険者のひとりが叫んだ。


「竜人、じゃな。」

ゲオルグ老が、落ち着いて答えた。

「竜の血をひくものは、体力、魔力ともに、常人を、はるかきしのぐ。

とはいえ、あの幼さから、あれほどこ敏捷性を発揮できるのは珍しい。

まるで、人化した古竜のようだな。」

ゲオルグ老は、ロウをじろりと睨んだ。


ロウが、視線逸らしたぼくのほうを見たので、ぼくまで、ゲオルグ老の炯々たる視線に晒されることになった。


「そういえば、まだ、旅の仲間の紹介をして、もらっておらぬのう。

まあ、かく言うからにはわしから、自己紹介をしておこう。名はゲオルグ。

人間の魔導師だ。現在は“調停者”とかいうちょいとやっかいな役回りを請け負っておる。」


「わたしは、ロウ=リンドという。」

ゲオルグ老にとってわかりきったことから、ロウは話し始め、ゲオルグろうの眉間のシワが深くなった。

「神獣ギムリウス様の最高顧問官を、務めている。」


冒険者たちから、おおっ、とかスゲエ、という歓声があがる。


「さっき、2階に消えたのが、担いでいたちびっ子が、ラウレス。旅の途中でひろった。とんでもない体力を持っているので、ゲオルグの言うとうり、竜人かもしれない。」


ちょっと、言葉をきってから続ける。


「酔いつぶれて担がれて言ったのが、ヘンリエッタ。」

「大北方クローディア出身の剣士だよ。」


ぼくは口を挟んだ。彼女がフィオリナの百驍将であることを、あっさり言ってしまうのではないかと心配だったからだ。

ゲオルグ老が、もしリウの意を汲んで動いているのならば、ヘンリエッタは明白に敵となる。

やたらにことを交える訳には行かない、ロウとその配下たち(ぼくらのこと)とは違ってあっさり、抹殺を試みるかもしれない。

そんな恐さが、ゲオルグ老にはあった。


「そっちのドレスのご婦人は、ルーデウス伯爵。トレジャーハンターとして名を馳せた冒険者だが、いまはパーティを解散して、『城』に身を寄せている。」


閣下は別に立ち上がって、ドレスの裾を摘んだりはしなかったが、軽く、しかし優雅に頭を下げた。


「ぼくらは、ランゴバルド冒険者学校の、生徒です。ぼくは、ルウエン。こっちはアデル。郊外研修中に、戦乱に巻き込まれて、『城』に置いてもらってます。」


「ゲオルグ師匠、久しぶりっ!」


アデルの元気のいい挨拶に、気難しそうな老人の顔が、綻んだ。

え! ええっ!

知り合いなの?


「ほう。覚えていてくれたのか。」

「当たり前っ! 」


アデルは、ゲオルグ老の手を両手でしっかり握った。


「大公や大公妃は、お元気ですか?」

「じっちゃんたちのことだね、もちろんだよ。」


こっちはかってに仲良くしてもらうことにして、ぼくはグラスをもって立ち上がった。

とにかく、いろいろハッキリさせなきことには。


バルティと軽口を叩いていたドロシーは、ぼくがあの、というと振り向いてくれた。

「バルティも若いと思ってけど、たいがいねえ。あなたは幾つ?」

「16、ですけど。」

「伝説の『城』の大幹部と一緒に旅をしてるなんて、きみもけっこう強いの?」

「とんてない。ぼくなんて全然です。」


「やあ、ええと…」

「ルウエンっていいます。魔道士ですよ。」

「ぼくは、バルティ。」


バルティは手を伸ばした握手を求めた。

剣だこで固くなった手だった。


「ぼくもこの村の者ではないんだ。

じつは伝説の“銀雷の魔女”の祝福がほしくて、彼女を追い求める旅の最中でね。」


祝福って。要するにアレだろ。

相変わらず、ぼくは男女の営みごとに対して冷淡だ。


「わたしもこの村には一年と少し前に来たばかりなの。」

ドロシーは、にこにこと愛想良く行った。


「若おかみは、すごいんだ。物知りだし、氷と電撃魔法が得意なんだ。」


もおっ! みんなで若おかみって!

勘弁してよ。


と、ドロシーは嘆いた。


「すごいや。すごい。まるで伝説の“銀雷の魔女”見たいじゃないですか。」

ぼくは、ドロシーの顔色をうかがいなながら言った。

ドロシーは、顔をすこし、紅潮させていった。照れてみたいだ。


「あーー、わたしもドロシーだから?

でもドロシーってけっこうよくある名前なんだよね。だいたい、銀雷って知的な美女だったでしょ?

わたしなんて…」


「若おかみはきれいですよ!」


バルティは、ムキになって言った。、


「きみの話を聞いてないね。教えてよ。ランゴバルドの学生でもう冒険者資格をもってるの?

名前は?」


「ルウエンです。よろしう…」


「違う!」


その声はテーブルの隅から聞こえた。。

小柄な細身の体。

よく鍛えているその、体は剣士の、もさものだ。全身をマントで覆い、フードも、深くおろしていた。


そいつが、ゆっくりたちあがり、僕を指さして。


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