第95話 山中奇談
「あれが、ミルラクの村なの?」
アデルが、足元の枯れ草を踏みつけて、そう言った。
風は、そろそろ冷たくなってきている。いままで歩いた山道だって、けっこうなものだったけど、吸血鬼、いや“貴族”が二人に、人化した古竜が一体、アデルにぼくに、フィオリナのとこの、いや“災厄の女神”の将がひとり、ヘンリエッタだ。
遭難なんてするわけもない。
ヘンリエッタが、土色の顔でぼくを見上げた。表情筋は完全に死んでいる。
「た、助かった。」
そのまま、地面にへたり込んだ。
「たすかったああああああっ!!」
「こいつはいったい何を言ってるの?」
幼女の姿をとったラウレスが尋ねた。
「なにか危険なところがあったかな?」
線路が廃線になったあと、ひとも通らぬ山中なのだから、野獣も、魔物だって、いるだろう。でも、ちゃんと野生の勘の働くやつらは、一定の距離からは近づこうとすらしなかった。
「たぶん、あれだと思う。」
ぼくは通ってきた道を指さした。
もともと、道と言えるほどのものではない。
方向的に、ミルラクにもっとも近くなるように直線を突っ切ってきただけだ。
途中、いくつか、崖になっている所もあって、そんなひとつをこえるとき、ヘンリエッタが、ロウにも、ルーデウス閣下にも抱き上げて貰うのを拒んだため、めんどくさくなったラウレスが、
首根っこをつかんで、反対側に放り投げたのだ。
たしか、10メトルはあったと思う。
かなりの衝撃はあっただろうが、10メトルを放り投げられるのと 50メトルを自由落下するのなら、だれだって、前者を選ぶと思うのだ。
「あれも、だ!」
ヘンリエッタは、叫んだ。
「なんで、道もないところをズンズン直進できるんだ! 地図はないのか?
そもそもミルラクの場所を知っていたのか?」
「もちろん。だからこうして、日が落ちる前にミルラクに着いただろう?」
「し、しかし、道が」
「山で遭難しかかったときに、薮の茂みや木立が割れているところを『道』だと思い込むのが一番危ないんだよ。
ぼくは、持論を滔々と述べた。
「それは、野生動物が作ったけもの道でね。たどっても、人が住むところには、絶対に出ない。それよりも正しい方向をみつけて、直進してほうが確かだ。
実際、ちゃんとミルラクに到着したわけで。」
灯りがともりはじめた、ミルラクを見下ろしながら、ぼくは言った。
「あとは、この崖を降りるだけだよ。」
いやあぁぁぁぁっ!!!
また、ラウレスが、ヘンリエッタの首根っこを掴んだ。そのまま。ヘンリッタをはためかせて、崖を飛び降りた。
「乱暴者だな、ラウレスは。」
困ったなやつだ、と言わんばかりに、アデルが大袈裟なため息をついた。
「わたしたちも降りよう。今夜の宿をさがさねば。」
ロウが、ふわっと、翼を広げた。
ぼくは、頭を振る。
「翼は閉まっておいた方がいい。
夕闇に紛れて接近する“貴族”は、いつの時代だって脅威だろう。」
「ひとを害虫みたいに」
と、ロウはぶつくさ言った。
「とりあえずこの急坂はどうする?」
「飛び降りればいいと思う。この位で怪我はしないだろ?」
村は、こんな山中にあるにしては、かなり大きい。
家の数は、百軒はある。
事実上、ここから先は人跡未踏の地だ。
もちろん、いまぼくらがやったように、崖を飛び越え、山を削って、障害物を吹き飛ばして、最短距離で進めば、次の村まで一日でつく。
でもそれは「次の村」とは言わないよなあ。
産業的には、ほぼ自給自足のはずだ。
まれに、マーレ山岳地帯を探索したいという冒険者が、起点地として使うかもしれないが、そんなものは年に数回あればいい所だろう。
「泊まるところなんてあると思う?」
アデルが尋ねた。
「まず、冒険者ギルドに行ってみよう。」
と、ぼくは答えた。
「この程度の村に、冒険者ギルドがあるのか?」
「あるさ。」
村の中心部(らしき)ところは、井戸を中心に、周りを二階建ての建物が囲んでいた。
そのうちの1軒。
看板には、「冒険者ギルド 栄光の盾」とあり、なかから、ランプの灯りがもれ、賑やかな笑い声が響いていた。
「ね、あるだろ?」
「あるもんだなあ。」
と、アデルは感心したように言った。
「しかし、冒険者はいるのか? いても仕事があるのか?」
「そこの発想は逆だよ。」
ぼくは軋む押戸に、力を込めながら言った。
「冒険者ギルドがあるから、畑をもたない次男三男が無職にならないで、済むんだ。」
「あら、いらっしゃい。」
冒険者らしき一団の相手をしていた若女将が、振り返った。
「1晩に2組も、お客様なんて珍しいわ。」
「おいおい、俺たちはお客様じゃないのか?」
「もちろん、大事なお客さんよ。村の人じゃないって意味。」
冒険者グループのリーダーらしき髭の男と、若女将は、楽しそうにそうに軽口を叩いた。
「どうぞ。入って。
どうせ、食事ができるところも、宿を取れるところも村ではうちだけよ!
部屋はいくつとる? 食べ物は?お酒はどうする?」
なるほど。
アデルは感心したように言った。
冒険者ギルドが、よそ者相手の宿泊所も兼ねていれば、素性の悪そうなやたらがきたときも対処しやすい、か。
「よく出来ました!
さあ、どうぞ! 座って。長旅おつかれさま。まず最初の1杯はうちの奢りよ。」
そこまで、言って彼女はころころと笑った。
「ごめんね、喋りすぎっていつも言われるの。わたしは、このギルドのサブマスターのドロシー。みなさんはどちらからいらしたの?」
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