第93話<第六章最終話>黒と災厄

その空間は、実に、さまざまな彫刻や絵画で飾られていた。

有名な彫刻家の作品もあれば、無名の画家の絵もある。豪奢ではあるが、その選択にはどこかチグハグなものが、感じられた。

この部屋の主の趣味が、濃く現れている、というより、単にこの部屋が、豪奢であることを演出するがためのオブジェ。


部屋に入ると、まず目に飛び込んでくるのは、天井から吊るされた巨大なシャンデリアだった。貴重なクリスタルガラスで作られてたシャンデリアは、その優美さは部屋を一層華やかに彩っていた。また、壁一面には金箔が貼られてれ、古の戦いを描いタペストリーが、見る者を惹きつけた。床一面の絨毯は深紅。これも生産量の少なさから、金をいくら積んでも手に入らぬと言われるクローディア産の逸品だった。


実際にはここは、寝室として使用されており、そんな美術品、工芸品の数々を楽しむものは、部屋の主を含めて、誰一人いない。

調度を整えたり、掃除をしたりといった雑用は、自立型の魔道人形が行っていた。


部屋の中央におかれたベッドはこの日、珍しく客人を迎えていた。



「アデルは、いくつになった。」


部屋の主である美丈夫は、氷でできたグラスに、燐光をはなつ翠の酒を注ぎながらそんなことを言った。


けだるそうに、裸身を起こした女は、差し出されたグラスを受け取って、一口飲んで、それから、驚いたように

「美味いな。」

と、言った。


「だろう?」

部屋の主は、嬉しそうに言った。

実際、彼はその酒が女の好みに合うだろうと思い、わざわざ探し求めて、この日を待っていたのだ。

そのための冒険譚の一くさりを話そうとした部屋の主を遮るようにして、女は言った。


「成人まであと二年。つまり、大公と大公妃のもとに預けておけるのも、あと」

二年、ということだな。」

「実際には、誕生日はすぎたから、二年をきっている。」

「わかっていて、きいたのか?」


女は不貞腐れたように、またグラスの酒を一口含んで、今度は、苦いな、と言った。


「成人するまで。つまり、自分の意思で自分のことを決められる歳までは、オレもおまえも、アデルに接触しない約束だ。

クローディア大公とアウデリアは、それまで、アデルを手元におき、クローディア大公領から、一歩も外に出さない。」

「あの二人ならば、約定は守るだろう。」


独り言のように女は言った。


「それから、クローディア大公は、だいぶ前に引退している。」

「とは言っても、オレはクローディア大公と言えば、あのお人しか思い浮かばんのだがな。」


わたしも、だ。

と、言って女は笑った。


それにしてもなんというカップルなのだろう。


男は、男性にしておくのが惜しいほどの美貌の持ち主だった。だが、その表の奥に潜む肉食獣の性が、甘さを消し去っている。

無駄な脂肪は微塵もない、鍛え上げた体は、無駄な筋肉もつけていないため、、一見、スリムにも見えたが、要所々々に逞しい筋肉がもりあがっていた。

会ったものは、誰もが思うだろう。


まるで、世界を滅ぼしかけた伝説の魔王の再来じゃないか、と。


そして、事実。



女もまた、人の身にありえないほどの美貌だった。

氷の彫像を思わせる冴え冴えとしたその美しさは、引き締まった身体のラインも相まって、いわゆる柔らかな曲線美からは、少し外れているかもしれない。

だが、その美しさに忠誠を示すために、己の心臓をささげる配下は少なくない。


その唇に浮かぶ笑みを見るために、魂をささげようもするものは、もっと多い。



女は、世の者から「災厄の女神」と呼ばれ、男は「黒の御方」と呼ばれていた。


ここは、「黒」が作り出した「異界」であった。

冒険者にわかりやすく、言えば「迷宮」である。

人間が、いや人間でないにしろ1個の生命が、迷宮を創造し、維持する。

そんな、ことが、はたして可能なのだろうが。

判断に迷う必要は無い。「黒の御方」が作り上げた迷宮はここに、こうし在するのだから。


「しかし、こうして、好みの酒まで用意して、わたしを迎えてくれるなんで、

どう言う風向きだ?

まさか、わたしをまた口説きたいのか?」

「現にいま、愛し合っただろうが。」

「愛? またお互いがお互いを欲したままに、行動してしまったけどもね。」


災厄の女神の名で呼ばれる女は、空になったグラスを差し出した。


「戻ってくるか?」


その呼びかけに、びくりと女は肩をふるわせた。


「…いま、愛妾は何人いるんだ?」

「囲こんでいる…という、意味なら18人だ、な。

オレの寵愛は、そのくらいに分散しておかないと危ない。王妃など、置こうものなら即刻、誘拐か暗殺か。」


「連れて歩いたらどうだ?」

面白くもない冗談でも言うよな口ぶりで、女は言った。

「戦闘訓練を受けさせて、親衛隊に組み入れるんだ。」


「悪くないかもしれん。検討しよう。

で? おまえは、どうなんだ、悪いが男女のことは、おまえよりはるかに、経験をつんでいてな。

ほかの男を受け入れていると、その男の形にあわせて、おまえが変わっていくんだ。それが、わかってしまうんだな。」

「…わかってても、黙っていろよ。」


女は。男に背を向けた。


「何人いるんだ、おまえのハーレムは?」

女は裸の背に、男は問いかけた。


「いるか。そんなもん。」

「なら。質問の仕方を変えてみようか。。おまえと関係のない“百驍将”は何名いるんだ。」

「百驍将をなんだと思ってる。」


女は唇を尖らせて抗議した。

氷の美貌に、子供っぽいあどけなさが被り、男は笑った。


「ここに、招くものはおまえだけだ。」


「……」


「ここは、おまえのためだけに、オレがこしらえた空間だ。そういう意味では、おまえは昔も今も特別の存在には、違いない。」


「部下たちを、世界を。互いの旗のもとに争わせて、当人たちは、だれにも見えないところで密会を繰り返している。」

女は自嘲の笑みを浮かべた。

「褒められた話では無いな。いっそ、ここで心ゆくまで殺しあうか?」


「おまえを葬ったあとの世界は、さぞかし色あせて見えるだろう。」

男は感慨深く、言った。


自分のグラスの酒を一気にあける。


「次に逢えるのはいつかわからん。二年後にせまったアデルの成人後の話しをもう少ししておきたい。」

「それは、わたしも賛成だ。二年などあっという間にすぎてしまう。

その間に、おまえの勢力を西域から駆逐し、おまえを眼下に膝まずかせる自信

はない。」


「オレは、オレの後継者として、アデルをたてるつもりだ。」


「おまえは、定まった寿命すらないだろう?」

女は抗議した。

「あせって、後継者など決める必要など無いはずだ。」


「ひとつの国が恒久的なものと認識されるのには、代替わりを行うのが一番効果的なんだ。」


男は、言った。


「今すぐにではないにしろ、アデルを新帝としてたてる。そのためにオレの手元において、アデルを養育する。

おまえの勢力を最終的に打倒するのは、アデルの仕事になるだろうな。

そして、アデルは、恐るべき“災厄の女神”を屠ったという実績をカリスマとして、人類社会の覇者となる。

上古の亡霊ではなく、人類を導くにふさわしい指導者だ。

戦乱で中断している鉄道網も発展するだろう。ウィルの技術を採用した通信網も発達させる。

戦に街を焼かれ、軍靴に踏みにじられる心配をせずに、人間はその一生を終えることが出来る。」


「アデルがそれを望むのか?」


氷の美貌が灼熱の視線をもって、男に切りつけた。


「アデルはそんなことをしたいのか?」


「オレとおまえの娘だぞ。

義務の大きさに怯えることもない。やるべきことは、やってのけるだけの胆力もあるだろう。オレも後見としサポートする。

きっと、やってのけるさ。」


「それは、出来るだろうが」

女は首を振った。

「そんなことを、アデルは望むのか?

そもそも、成人までわたしたちが、あの子に接触しないと決めたのは、あの子があの子の意志を持って、好きな人生を選択出来るまで、待つためだったんじゃあないか。」


女は。西域のもう一人の覇者である“災厄の女神”は。

フィオリナは、立ち上がった。


その裸身を白いローブが包んでいく。


「おまえにはアデルを渡せない。

アデルは、わたしのもとで彼女の望む人生を歩ませる。」

「と言いつつ、アデルを己の後継者にたてるつもりなのは、おまえも一緒だろう?」

揶揄するように、男は、黒の御方は、リウは、言った。

「自分の手元におけは、アデルが自分の意思でそれを選んだかのように、彼女を誘導できると思っているんだろう。」


しばし、フィオリナは沈黙した。

たしかに。

彼女は、そういうことを考えていた。




後世の歴史家は記す。

この二人。同じ時代に存在した覇王はあまりにも似すぎていた。

ゆえに、人を越えた身でありながら、同じような過ちを同時に起こす。


その1例が、この事態である。


つまり、西域に長年暮らした彼らは、「成人」とは18歳である。

そう思い込んでいた。


北方の諸国。フィオリナが育ったグランダやクローディアでは、成人は普通16歳なのだが、それを二人揃って、ころっと忘れていたのである。

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