第92話 特待生試験の終わり
どうも、ネイア先生は、ほんとに忘れていたらしい。
ぼくとアデルは、特待生試験の順番を待っていただけで、試験を受ける側の人間である。
なんなら、まだ入学の合否ももらっていない。
老練の吸血鬼でもあり、戦士としてもかなりのものなのだけれども、こういうオチャメなところもある人だ。
「なんだか、ほんとに忘れていた。」
ネイア先生は、頭でも痛いみたいにこめかみを指で押さえながら言った。
「なんだろう。おまえのことを何となく、審査する側だと思い込んでいた。
昔からの知り合いみたいに。
アデルは、あの方のお子だから、まだわかるにしても……」
「さあ、1文無し二人参上だ!」
アデルは、明るく言って、歩み出た。
剣は鞘ごと外して、肩に担いでいる。
「特待生に不合格だと、わたしたちは完全に路頭に迷うわけなのだが、そんなことは気にしなくてもいいぞ。
あそこのギルドの酒場で働きながら、次の試合を待つ飲も悪くない」
「ところが、アデル。ひとつ問題が生じてしまった。」
ぼくは、ぐったりしたままのトーアさんとドミトラに、治癒を施しながら言った。
「うん、それはわたしも思ってた。」
特待生クラスのアリシアとキリシア。
二人は、互いに治癒の魔法を掛け合ったり、装備品の確認を行っているが、両方とも、はっきり言って消耗していた。
「先輩がたは、疲れすぎている。」
このアデルの言葉に、侮辱を受けたと感じたのか、キリシアがこちらを睨んだ。
アデルは、平然と話しを続ける。
「こんな状態では、ちゃんと合否判定をしてもらうのは、難しいだろ。
手を抜いて適当に相手をするには、二人ともなかなかの腕前だし、かといってここで勝っても、なんだかトーアとドミトラに悪い気がする。」
「だったらどうする?」
ギリシアが徴発した。
「シッポを巻いて逃げ帰って、酒場で仕事を続けるか?」
「ちゃんと雇われて働いたのは、はじめてだってけど、あれは悪くはなかったな。」
アデルは、しみじみと言った。
「出来ないことがだんだん出来るようになっていく嬉しさというのは、剣の奥義も魔法の構築も変わらない。」
「確かに、おまえたちは、ベストの状態ではない。」
ネイア先生が言った。
「この2人は少し訳ありでな。これからの授業に差し支えるような怪我をさせても、おまえたちが怪我をさせられても困る。」
「わたしたちの怪我など怪我のうちにはありませんわ!」
アシリアさんがきっぱりと言った。
「肩の傷は軽くない。早めに治療を受けた方がいいです。」
お節介かと思ったが、ぼくはそう言った。
「それに、その杖は、意思を持ってますね。その形態に変異してしまったら抑えるのに、手間がかかるのでは?」
アシリアさんは、猫がいやな匂いを嗅いだときのように鼻に皺を寄せて、ネイア先生に問いかけた。
「何者なんです? こいつ。」
「それが分かれば苦労しない。」
と、ネイア先生はつぶやいた。
「それにしてもどうするか?
その技前のひとつも見ずに、特待生にさせてしまうのも、まずいだろう。」
「それは、私も賛成だ。」
アデルは、ひょうひょうと言った。
どうも。いやな予感がする。
アウデリアさんにしろ、フィオリナにしろ、とんでもないことを言い出すときは、こんな表情のことが多い。
(それは、きみもだよね!
と、どこかの世界でなにかが、つぶやいたが、ぼくは無視した。)
「しかし。いまさら、特待生を呼びつけるのも難しいな。」
ネイア先生は、腕を組んだ。
「どうしたものか。」
「簡単だよ。」
「ひとつ、解決方法があるんですが」
ぼくとアデルは、同時にそう言って、顔を見合わせた。
「仲がいいな、おまえたち。」
ネイア先生が笑った。
「言ってみろ。」
ぼくは、目配せで、アデルにどうぞ、と言った。
確かに、彼女とは気が合う。
まるで、幼なじみのように。
違う違う。アデルはアデルだ。数日まえに知り合ったばかりだ。
勘違いするな。
アデルは、楽しそうに、ネイア先生の肩を叩いた。
「やろうよ?」
ネイア先生の目が細くなった。
「わたしと?」
「ほかに誰もいないじゃないか。貴族なら、間違って殺してしまう心配もないだろう?」
ネイア先生は、アデルの手をもぎ離すように1歩下がった。
「ほんきか?」
「めちゃめちゃほんき。」
試験官のレーメンさんが、慌てて割って入った。
「ネイア先生! 私闘は、ルールス理事長も固く禁じておられます。まして、、受験生を相手に。」
「違うよ、試験官さん。これは試験の一部だからね。」
アデルの笑いは朗らかだ。
そうさ、アウデリアさんも、フィオリナも戦いを好む。
まぎれもなく、アデルも、その血を引いていた。
「ふむ。」
ネイア先生の目は、赤くなったりはしない。
口調も落ち着いていた。
「断る理由はなさそうだ。」
「ネイア先生!!」
「本気でしあうのは久しぶりだな。」
ネイア先生もべつに嫌そうでは無い。
なんと言っても吸血鬼。
血を見るのが嫌いなはずもない。
「二対一だが、そのくらいのハンデはあっていいだろう。」
これには、ぼくもアデルもキョトンとして、顔を見合わせた。
「戦うのはわたしだけだぞ?」
「ぼくがやってもいいんですけど、勝ったから血を一口よこせとか言い出されると面倒なんで。」
「そ、そんなはしたないことは、言わん! 言わないけど、一口くらいなら貰っても…」
「アデル。」
ぼくは、アデルの顔をまっすぐに覗き込んだ。
「絶対に勝てよ。これ以上ものごと。ややこしくされるのは、ゴメンだ。」
「言ってる意味はわかんないけど、勝つね。わたしは勝つのが二番目に好きなんだっ!」
「へえ、一番は?」
「戦うことだね。」
ああ。
アウデリアさんの血族を危ない戦闘狂みたいに思って欲しくない。
アデルが、“ちょっとケンカっばやいウエイトレス”をきちんとこなしたように、フィオリナもアウデリアさんも、ちょっとケンカっばやいが、実直な冒険者や、ちょっとケンカっぱやいが、頼りになる先輩、ちょっとケンカっばやい公爵令嬢、ちょっとケンカっばやい大公妃なども無難にこなせる。
ただ、ちょっとケンカっばやいだけだ。
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