遭難者たち

翌朝。

朝とも言えない薄暗い時間に、バルディは起き出した。


昨夜のうちに荷物はまとめてある。

朝早く出れば、次の村までは夕暮れまでには、つける。

これ以上、ここに留まるつもりはない。

ここの人々は、ひと月近い滞在の間、とてもよくしてくれた。

とくに。


宿屋兼酒場兼ギルドの若おかみの顔が、頭をよぎった。


いや違う。

彼が欲したのは、銀雷の魔女の祝福である。

戦場で、手柄をたて、しかも無傷で生き残るための強運だ。

断じて、欲望を満たすための白い肉体ではない。


そう。

若おかみは、肌もなめらかで抜けるように白かった。

学識も豊かで、魔法にも長じていた。

さりげない会話に、西域が平和だった頃の話がでるので、バルディよりも大分歳上なのは、間違いない。

だが、幾つくらいかと聞かれるとわからないのだ。



幸いにも、雪は小降りになっていた。

降ってはいるが、視界を遮るほどではないし、風も穏やかになっている。


冒険者として、このひと月、近隣の村ともなんども往復している。

道は大丈夫だ。


彼は失敗した。


一念発起した大冒険は、あっさりと失敗した。

家に帰れば、父親の、親族たちの雷が待っているだろう。

騎士見習いから、スタートさせてもらう予定が、本当の下働きからのスタートになるかもしれない。



自分がどんな顔をしているのか。

バルディは、鏡を見たくなかったし、こんな表情をしている自分を、ミテラクの村の人々に見せたくなかった。

彼らは、本当によく接してくれたのだ。



雪は、かなりつもっていたが、バルディのブーツに侵入してくるほどではない。


これで凍りついてしまえば、滑って危ないのだろうが、いまはまだサクサクと気持ちよく、踏みおろした足の下で崩れていった。



バルディは、村をぬけ、どんどん歩いた。

昼食はもっていない。

朝は、昨夜の宴会でくすねておいたパンとハムですませた。


夕刻までに、リバの村にたどり着かないと、野宿をするはめになる。

雪の中での野宿が、死につながりかねないのは、バルディも理解していた。


小休止をいれながら、さらに数時間。

バルディはひたすら歩いた。

だが。


彼の目の前に、見たこともない渓流が現れた。


道はそこで終わっていた。


バルディは混乱した。

どこかで道を間違えたのか?

いや、分岐になるところには、かならず標識があって。


雪か。


バルディは遅まきながらに気がついた。

振り積もった雪がどこかの標識を隠してしまったのだ。


雪が覆ってしまえば、それは周りの木々と区別がつかない。

どのくらい余分に歩いてしまったのだろうか。

急いで、来た道を戻ろうとしたとき、また雪が激しく降り始めた。

風も強くなっている。


バルディは、足を早めた。

だが、彼が懸命に歩いたその先は、崖になっていた。

道は、そこで終わっている。


また、道を間違えたのは、わかった。


雪は吹雪にかわっている。


暗くなったら、無理だ。

適当な洞窟、出来れば山小屋を。

この山の夜は厳しいものになるはずだ。


どこかの山小屋を探して。

幸いにも、バルディには知識はあった。

村と村の間には、避難小屋を兼ねた山小屋が必ずあるはずだった。


だが、それは道が正しかった場合である。

彼が知っているのは、それだけである。


道に迷った状態、しかも雪は激しく、視界も悪くなっている。

なにかを探すのは不可能に近い。


再び、いや三度になるのか、バルディは、また来た道を戻った。

歩いたとはいっても数時間だ。

まだ、距離的にはミテラクの村からいくらも離れていないはずだった。


だが、もはや、バルディは自分がどこに居るのか判らなくなっていた。

雪は降り積もり、風も強くなっていた。

また、吹雪になりそうだ。


目の前の道は、三つの方向に分かれている。

ここで野宿をするわけにはいかないが、かといって、どれを先に進むのも不安だった。


さっきは、確かこんなところは、通っていない。

気温も急激に下がってきている。

もし吹雪いてこの雪が氷になったら……バルディには想像ができない。

いやな考えを振り切ってバルディは、真ん中の道を選んで歩き続けた。


だが、急に地面が消失した。


そこは道ではなかった。

積もった雪が、たまたま作り出したものであって、バルディの体は空中に放り出されていた。


気を失っていたのは、それほど長い時間ではなかったはずだ。


バルディは、恐る恐る手を足を動かしてみて、どこにも痛みがないことに安心した。

おそらく、落ちた高さはそう高いものでもなく、積もった雪がクッションになってくれたのだろう。

なんとか、雪だまりから這い出したが、もとの道に戻るのは難しそうだった。


視界は、ましろに染まりつつある。


目の前の木々の間に、わずかに空間があった。なんとか歩けそうだ。

バルディは、そこに身体をねじ込むようにして、歩き出した。


とにかく、見覚えのある場所にでなければ!


だが、期待はむなしく。バルディは、吹雪の中に孤立していた。

もう方向も分からないが、とにかくまっすぐに歩き続けるしかなかった。

これは遭難だ! いや遭難という言葉は知らなかったが、彼はそれに近しいものを感じていた。

ここまでの雪山を歩くことは経験がない。

歩けば歩くほど、彼の体力は失われていった。

彼の意識は朦朧としてきていた。

ここで死ぬのか?こんな寒いところで?独りで?


なるほど。

彼は雪の中に座り込んだ。

ほんの少し休むつもりだった。


結局、自分は英雄譚の主人公では無いらしい。

もし、主人公ならば、こんなときに、救いの手が差し伸べられるはずだ、

そう、例えば、美しきエルフの魔法使いとか。




「バルディ! バルディ、起きなさい!

こんなところで眠ってはダメよ!」


頬をはたかれて、バルディは目を開けた。

たおやかで美しい女性の顔が、目の前にあった。


「ぎ、ぎんらいのまじょ、さ、ま。」

抱きつこうとしたら、またビンタされた。


「しっかりしなさい!」

彼女はバルディの胸ぐらをつかんで、彼を引きずり起こした。


「わたしよ! ミルラクのギルドのサブマスター、ドロシーよ!」


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