かわあま いの


「こんにちは」


声をかけられて、私は足を止めました。

ベンチに腰掛けている女性は、私よりも2回りは年上でしょうか。

その人のことは知りません。

けれど、その女性の雰囲気から、私はすぐに思い当たって、名前を呼びました。


「かわあまさん」


かわあまさんは、ニッコリと笑って隣をとんとんと叩きました。

私はかわあまさんの隣に座って、カバンを膝に置きました。


「久しぶりですね。今日はどうされましたか」


「少し、寂しくなったものですから」


「あなたはいつも、そう言いますね」


かわあまさんはクスクスと可笑しそうにします。中身はかわあまさんですが、かわあまさんの体は、私の知らない人のものです。


「かわあまさん、今日はどなたの体にいるんですか?」


「この人は、私を虐めていた人です。私のことが親の仇のように憎かったらしくて、結局なんの理由もないまま卒業まで虐められていました」


「そんな人の中に入ってしまうなんて、物好きなんですね。さぞ、呪ってしまいたいことではありませんか」


「そんな。私はつまらない事に時間は裂きません。ただ、この人は今だけ都合が良かったんです。あなたとお話しするために、丁度よくここに座っていたんです。それだけですよ」


「そうでしたか。では、帰り道は一緒なのですね」


「ええ。この人の家はここから遠いから。終点手前まで一緒にお話ができますよ」


「それは嬉しい。感謝しなくてはいけませんね」


「ついでに、この人の気も少し貰っていきます」


「どうして?」


「そうすれば、この人の体から出ても、しばらくはあなたの目に私が映るから」


「ふふ。それはそれは。虐められた仕返しということですか」


「まさか。でも、理由をつけるなら、そうかもしれません。それに、この人は、私を虐めたことを覚えているみたいです」


「あら。後悔してらしてるの?」


「そうみたいです。どうやら、私のことが好きだったんですって」


「まあ」


「好きな子ほど虐めたくなる、ってことですね。この人、こっそり私の御墓参りにもしてるみたいだし、私の記憶が濃いうちは、少し貰ってもきっとなんともありません。むしろ、喜んでくれるかも」


「今なら、素直にかわあまさんに告白できるのかしら?」


「私はもう死んでいるから、それは無理ですね」


「なんだか、報われないですね」


「そうとも限りません」


「どうして?」


「この人の体から出る時、私は少しだけ私の気をあげます。きっと夜は、少しだけ幸せな夢が見られるようになります」


「そこに、かわあまさんはいるのですか?」


「さあね。そこまではわかりません。この人が願えば、もしかしたら」


「素敵ですね」


かわあまさんは、いわゆる、幽霊みたいなものです。みたいなもの、というのは、私はかわあまさんを説明しようがないのです。

かわあまさんと初めて会ったのは、私の母からでした。母に入ったかわあまさんは、私にいいました。


「私の話し相手になってください」


私はかわあまさんの話を聞きました。

断る理由もなかったし、かわあまさんの話しは面白くて好きになったので、私はかわあまさんの話し相手になりました。

かわあまさんは知識が豊富で、聞いているだけでなるほど、と思わされることばかりです。

かわあまさんは、人に憑いてるのか、聞いたことがあります。かわあまさんは違うといいました。


「私が知っている人じゃないと、私を知っている人じゃないと、私は乗り移れないんです」


かわあまさんは、きっと早くに亡くなったのでしょう。かわあまさんは私の母と面識があるようなので、私は尋ねてみましたが、かわあまさんは首を振りました。


「お母様は、少し無理をして体を借りました。しばらく体調が優れなかったのは私のせいです。ごめんなさい」


言われてみれば、確かにかわあまさんに憑依された後のお母さんは、しばらく具合が良くありませんでした。そういうことか、と納得して、だけど疑問は晴れません。

どうして、かわあまさんを知ってる人なら大丈夫なの?と聞きました。

かわあまさんはいいます。


「私は人に見えないけれど、私を知っている人の中には、私のことを覚えている人がいます。私はそこで、まだ生きている。だから、私はこうしていられるんです」


かわあまさんはそう言いますが、私に憑依はしません。話し相手なので、話す相手に乗り売っては仕方ないのでしょうか。


「かわあまさんは、成仏したくはないですか?」


私が尋ねると、かわあまさんは悲しそうな顔をしていいました。


「わかりません。けれど、あなたとお話ししていると、少しずつ心が軽くなります。きっと、私が成仏するためには、あなたの力が必要なんです」


それはどうでしょう。

単に話し相手だから、という理由ではないでしょうか。

けれど、かわあまさんが、私を必要としてくれることは、心が温まる気持ちになります。


「かわあまさん。私に、かわあまさんのこと教えてください」


「どうして?」


「かわあまさんのこと、知りたくなりました。かわあまさんと会えなくて寂しいのは、私も同じですから」


「あら」


「だから、ね。今更だって笑うかもしれないけれど、かわあまさんのことを教えてほしいです」


思えば、私はかわあまさんのこと、何も知りません。

だから、知りたい。


「笑いません。嬉しい。…そうですね、まずは、私の名前から」


かわあまさんの言葉に、胸がどきどきと脈打つのがわかります。


「かわあまいの。かわあまは、乾いた天で乾天、いのはひらがなで、いの」


「乾天いの、さん」


「はい」


乾天いのさん、いのさん。

頭の中で繰り返しながら、わたしは言いました。


「乾天さん。よければ、いのさん、と呼んでもいいですか?」


私の言葉に、いのさんは口元を綻ばせました。




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