2:ハーフェンの司祭

「なんてことっ!」


 彼らの戸惑いを破ったのは、つんざく叫び声だった。


 グレン隊長の肩越しに、ひとりの女性が見える。裾の長い胴衣にローブをまとい、赤毛の三つ編みを背中に垂らせたその人は、泣きそうな顔をこちらに向けていた。

 どことなくアルカと似ているなぁ、とファートは思った。


「アトリージュ様! このような所にいらっしゃるとは。……どうされました?」


 へりくだった態度で、グレンはその女性を出迎えた。どうやら彼より「偉い」立場にある人らしい。アトリージュと呼ばれたその女性は、彼に厳しい目を向けた。


「グレン。あなたという人は!」

「は、」

「今すぐに、この方たちを牢からお出ししなさい。今、すぐに、です」


 面食らったのはグレン隊長だ。慌てて彼女をとりなそうとする。


「アトリージュ様、それはできかねます。彼らは騎士団に対し攻撃をしかけました。アルカディア様を害そうとした疑いもかけられているのです。それに……」

「グレンミラルド隊長」

「は、はい!」


 アトリージュ様は、騎士団の隊長の言葉を遮った。言葉づかいは丁寧だが、声色の端々から怒りと非難が垣間見える。


「グレン。聞こえなかったのですか? 今すぐ、彼女たちを、牢から、出しなさい、と私は言っています」

「ですから。アトリージュ様、それは……」

「私の『お願い』では、不服ですか?」

「申し訳ありません。騎士団は、貴女やアルカディア様に害をなす疑いのある者を、野放しにすることはできません」


 それでもグレン隊長は、頑として首を縦に振らなかった。騎士としては優秀なことかも知れないが、なかなか融通のきかない頑固者のようだ。

 二人はしばらくにらみ合っていたが、『アトリージュ様』は大きなため息をつき、頭を抱えた。「この石頭!」という声が、聞こえてきそうだ。


「わかりました。グレンミラルド隊長」

「はい。ご理解いただきありがとうございま……」

「我が神アリアトスミーカンの名において、アトリージュ・ハン・フェンが命じます。この方々を、今すぐ牢から出しなさい。今後、こちらの三名の身柄は私と寺院が保証し、あずかることといたします。これは『お願い』ではありません。正式な『命令』であり『要望』です」

「なっ、なにを」

「よろしいですね」

「アトリージュ様、何ということを、言われるのです」

「よ、ろ、し、い、で、す、ね、」


 アトリージュの表情は笑顔だが、目が笑っていない。それに彼女の『本気』を見たのだろう。頑固なグレン隊長はとうとう折れた。


「くっ。たしかに、拝命、いたしました」

「わかっていただけたようで何よりです。大変、嬉しく存じます」


 悔しそうなグレン隊長を横目に、牢から出ると、申し訳なさそうな表情のアトリージュが出迎えた。そして「ここではなんですから」と、二階の部屋に案内される。

 ファートは警戒したが、ユタは「大丈夫」と彼の肩を押した。



「ふん、アトリージュ様のご温情に感謝するんだな。本来ならお前たちなど……」

「グレン隊長?」

「ぐ……」


 何故かグレン隊長も付いて来ており、何かと嫌味を口にしては黙らされている。


「べつに、グレンは同席しなくとも良いのですよ?」

「そういうわけにはまいりません。少なくともこの建物を出るまでは、見届けさせていただきたい」

「まったく、貴方の頭の固さも大したものですね。勝手になさい」

「言われずとも。そうさせていただきます」


 そのやり取りは、言葉の内容とは裏腹にどこか楽しそうだ。二人はもしかして、仲が悪いわけではないようだとファートは分析した。どことなく、ユタとアシュレイの会話を思い起こさせるのは、少しだけ癪だったが。



 部屋に通されて茶器が運ばれてくると、彼女は人払いをした。

 そして三人に向けて、深々と頭を下げたのだ。


「申し訳ありませんでした。このような失礼なことを。お許しください」


 ファートとアシュレイは驚き、ユタは慌てて手を振った。だが慌てはしても、驚いている様子はない。どうやらアトリージュは、ユタの『知り合い』のようだ。


「そんなこと。誤解があったとはいえ、こちらが騎士団に手を出したのは事実なんだから。逆に助かったよ。ありがとう。アトリ」


 アトリージュが頭を下げたことに固まっていたグレン隊長は、ユタの返答を聞いて愕然とした。彼らが何者かは知らないが、ハーフェンの貴人に対する態度ではない。


「貴様、アトリージュ様に何という口を!」

「グレン!」

「はっ」

「同席するのは結構ですが、少し黙っていてください。話が進みません」

「ぐぬぅ。……ハイ」

「まったくもう」


 グレン隊長の噛みつきは、アトリージュによって即座に御されてしまう。尻に敷かれている感が否めない。ファートは少し、可笑しくなってしまった。


「お久しぶりです。ユタ様。お変わりないようで、何よりですわ」


 彼女は、本当にうれしそうにユタに笑いかけた。ユタも、懐かしそうに笑顔を返す。


「そうでもないよ。今の私は……」

「ええ。国を、出られたのでしょう?」

「うわぁ、もう情報がまわってるんだ」

「いいえ? 直接的なことは何も。確かに、かの国からユタ様に関するお触れはありましたが。これは、私のただの推測です」


 ルンファーリアが各国に、ユタについての探りを入れたのだろう。それを不審に思ったアトリージュは、個人的に調べたらしい。別ルートからも情報を得られる権力と身分、何より勘のよい彼女のことだ、ユタの出奔や、その理由に感づいていても不思議ではない。

 アトリージュは悪びれもせず、のほほんと笑うにとどめた。


「ですが、ユタ様がユタ様であることに変わりはありませんわ。堅苦しい肩書きなどなくても、私はユタ様のことを尊敬申し上げております。もちろん、かの国が探されているお人達など、入国しておりません。見かけてもおりませんわ」

「ははっ。ありがとう、アトリ。恩に着るよ」


 しれっとはぐらかすその言い草に、ユタは苦い笑いを返した。ハーフェンには少々申し訳ない気もするが、ありがたい。


 するとアトリは、神妙な面持ちで居住まいを正した。


「そんなことありません。こちらこそお礼を言わせてください。甥を、アルカのことを助けてくださって、本当にありがとうございました」

「甥。なるほど、あの子は」

「ええ」


 ユタは意味深な視線をアトリージュに返したが、ひとまずファートを示した。その謝意を受けるべきなのは、自分でなく彼だ。


「礼なら私でなく、この子に言ってあげて? アルカ殿を実際に助けたのはファートだ。私とアシュレイは、後から駆けつけただけだからさ」

「そうだったんですか。ファートさん、ありがとうございます。アルカを助けてくれて」

「う、あ、いや、その……」


 いきなり話を振られたファートは、しどろもどろに口を開くが言葉にならない。適当な言葉が出てこないらしい。見かねてユタは助け船をだした。


「ファート。そういうときは素直に『どういたしまして』でいいんだよ」

「どういたし……まし、て」

「あら。ええ、本当にありがとう」


 やっとのことでファートは言葉を口にしたが、わけがわからない。謎だらけだ。



「ねえユタ。結局、この人たち何なの?」


 率直で的確なファートの問いに、ユタは笑って応えた。

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