22:落としどころ
アシュレイが再び目を開けたとき、草原を焼く炎は嘘のように消えていた。黒々と広がる焼け跡だけが痛々しい。
「あ、れ……?」
「起きたか。気分はどう?」
「ユ、タ?」
目の前には、ユタの顔があった。心配そうにアシュレイの顔を覗き込んでいる。
「ずいぶん長く眠っていたよ。身体、起こせるか?」
「ユタ、俺は」
転がったまま、腕で顔を覆ってしまったアシュレイに、ユタは静かに語りかけた。
「しょうがないさ。ラゥの暴走なんて代物、そうそう止められるものじゃない。アシュレイはよくやったよ。失わず、取り戻すことはできたんだから」
「でも、俺は……」
「あまり難しく考えないほうがいい。確かにリャトゥーンは暴走した。でも、止めることができた。それでいいだろう?」
「……ありがとう」
アシュレイはしばらく塞いでいたが、やっとのことで身体を起こした。そしてユタの姿を見て、愕然とする。
「お前、その怪我! それに髪!」
ユタの身体は、擦り傷と火傷だらけだったのだ。長く流れていた緑の髪も、見るも無残にちぢれて焼け焦げていた。なんというか、ぼろぼろだ。
自分とリャトゥーンが焼いてしまったのだろう。そう思ったアシュレイは、目に見えてうろたえている。
「死ぬような怪我じゃないから大丈夫。それに髪なら短くすればいいだけだし……」
ユタはさして気にする様子もない。そのあっけらかんとした気遣いが、アシュレイには申し訳なく、またありがたかった。
「すまない」
「だから、気にするなって」
「それでもだ。すまない。俺は、傷つけてばかりだ」
へこむアシュレイを横目に、ユタがニヤリと笑った。
「ふうん。そう言うのなら、ちょっと頼みがある」
「なんだ。俺にできることなら、何でもする」
「ちょっとだけ、眠ってもいい? 枕代わりになってよ」
「は?」
ユタはアシュレイに身体をあずけ、目を閉じた。あっという間に寝息が聴こえてくる。おそらく彼が目を覚ます迄、ユタは休まず看ていてくれたのだろう。
アシュレイは、黒ずんでしまったユタの髪を、そうっと撫でる。じわりと伝わってくるその柔らかい温さに、彼の目頭はふたたび熱を持った。
そして心の底から、「この温もりから離れたくない」と思ったのだった。
「アシュレイ・ハーノルド。お前はこの地から追放される。以後、ムルトに近づくことまかりならん。どこへだろうと、勝手に去るがいい」
この、裏切り者が―――
ギルはそう吐き棄てると、悪意に満ちた瞳でアシュレイをにらみつけた。
彼だけではない。焼け残った村の一宅に集まった朱の面々は、嫌悪と憎悪の感情を、かつての自分たちの大将へ向けていた。
《朱》は、アシュレイを裏切り者として吊るし上げたのだ。
アシュレイはルンファーリアと裏で通じて取引し、ムルトを害そうとたくらんだ。それを阻止しようとした朱の幹部と争いになり、草原に火を放ったのだ。————との筋書きだ。
いかにも陳腐な内容だったが、ムルトの草原が焼けたのは事実だ。アシュレイの身体から炎があがるのを目撃している村人も多い。
惨事のなかで、人々の不安と不満の矛先を向ける対象が必要だったということだろう。
そして《朱》にとって、その任を押し付けるのに最適だったのが、残念ながらアシュレイだったのだ。
そうして彼は、ムルトの土地を追われることとなった。
本人はというと、周囲の憎悪の視線を気にする様子はない。むしろ淡々と、神妙な様子でギルの言葉を聞いていた。彼にしてみれば、ムルトを焼いてしまったという負い目があるのだろう。リャトゥーンが『本当に』暴走してしまっていたら、被害はこんなもので済まなかった、という恐怖もある。
「聞こえたのか? アシュレイ・ハーノルド!」
アシュレイのその態度が癇に障ったのか、ギルが声を荒げた。
「ああ。聞こえているよ」
「では、とっとと出ていってもらおうか」
「ああ、そのつもりだ。……すまなかったな。迷惑をかけた」
「ふん」
アシュレイは少しだけ、名残おしそうに笑い、
「じゃあな」
一言ささやくと、薄暗い部屋から外へ出た。
アシュレイはその足で、トンコウへと向かった。この数月の間、何度も通った道だ。『故郷からの追放』という重い罰は、もう少し自分の気分を沈ませるかと思っていたが、不思議と足どりは軽かった。どこかで、吹っ切れたのだろう。
トンコウに着くと、そこにはユタが待っていた。彼女はアシュレイの姿を認め、苦笑いとともに手を振ってくる。
「やぁアシュレイ、災難だったな」
「ああ、そっちもな。あ、髪……切ったのか」
「だから別にたいしたことじゃないって。また伸びるさ」
炎に焼かれたユタの髪は、ばっさりと切り落とされていた。肩のあたりで切りそろえられ、その印象もずいぶん変わって見える。
そういえば、リャトゥーンの炎のなかで見た少女の髪がこんな感じだったな……とアシュレイは思い起こし、そしてかき消した。
「こんな長さにするのは、子どものころ以来だよ。懐かしいくらいだ」
そう言って笑うユタの腕には、包帯が巻かれている。
「火傷だって。……傷は平気か?」
「ああ。あの後、裏でお医者先生が治療してくれたんだよ。下手な医者に診てもらうより、早く治るんじゃないか?」
「そっか。それなら、良かった」
アシュレイはやっとのことで笑顔を見せると、荷物を抱えなおした。
「これから、どうするんだ?」
「さあなぁ。また、あちこち放浪の旅生活に戻る、かなぁ」
「そう」
「ただ、ひとつだけ。『朱の大将』として、最後の仕事が残ってる」
「……まさか、例の条約か?」
「ああ。これだけはやっておかないと。今後のムルトのためにもさ」
胸を張って言い切るアシュレイを見て、ユタはなんだかおかしくなった。
自分を裏切り者として切り捨てた者たちのために、この男はまだ何かするという。
「ったく。ろくな死に方はしないよ。アシュレイは」
ユタはそうつぶやくと、おもむろに背中の荷袋に手を入れ、羊用紙の束を取り出した。細かい文字が記され、ルンファーリアの国印が押された羊用紙だ。
「じゃあ、さっさとこれを読んで確認して、署名血判してもらおうか。やらなきゃいけないことは、こっちも山積みなんでね」
「ユタ。これって……。おい、こんな簡単でいいのか? 確かそっちでも、完全には承諾されていなかったはずじゃ」
驚くアシュレイを傍目に、ユタは笑って言い放つ。
「なめるな。もとより議会やクルス、皇の承認がなくても条約の一つや二つ、独断で結べる立場だぞ。私は」
「……さっきのセリフ。そっくりそのままお返しするぜ」
「それはどうも。そのつもりだから、心配は無用だ」
「なんだよ、それ」
そしてふと、ユタはあることを思いついた。空を仰ぎ、しばし思案する。……悪くない案だ。
「ねえ、アシュレイ。ちょっと相談があるのだけれど、いいかな?」
アシュレイの瞳をのぞき込み、ユタはにやりと笑った。。
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