21:炎のなかの夢
気がつくと、真っ暗な空間に居た。
身体が重い。
真冬の湖に落ちたような、身体のまわりに膜がはられたようで、その感覚がない。
はたして自分の周りが熱いのか冷たいのか、それさえよく解らなかった。
鈍く、痺れる身体をただ投げ出して、その不可思議な空間を漂っている。
「ここは……」
つぶやこうとしたが、口が思うように動かなかった。
何も考えられず、何も感じられない。
自分の身に何が起こったのか。
思い出そうとしたが、麻痺した感覚が邪魔をする。
ふと、わき腹に、チリリとした痛みを感じた。
ぼんやりと、あの光景が、思い起こされる。
「そうだ。俺は、朱を出ていくことになって。外に、ケトがいて……」
紅い記憶が、だんだんと蘇ってくる。
「俺は、死んだ、のか」
アシュレイは思った。此処は死後の世界なのかと。
しかし周囲に炎の匂いが広がって、そうではないことを思いだす。
「違う。これは……」
『ラゥの暴走』
そんな 言葉が 思い 浮か んだ。
「リャトゥーン」
彼は、己を選んだラゥの名前を呼んだ。
返事がない。
リャトゥーンが暴走して、周囲はどうなったのだろう。ムルトは。朱のみんなは。
エトラスのように、すべてを壊してしまったのだろうか。
腹を刺され、ケトの泣き顔を垣間見たのを最後に、手放してしまった。アシュレイの意識はラゥを、リャトゥーンの存在を感じ取ることができないでいる。
リャトゥーンに魅入られてから百と数十年、気の遠くなるような月日のなかで、片時も離れることのなかった唯一の存在。それを、はじめて、見失った。
ひとり。
本当に、独りになってしまったような気がした。
知らず知らずのうち、彼の黒曜の瞳からは涙が流れていた。とめどなく流れ出す雫を拭うことも忘れ、独りの重さと自責の念に、アシュレイは声を忍ばせ泣いた。
「アシュレイ!」
ユタは力の限り、叫んだ。
ファンファーに導かれ、草原のはずれにアシュレイを見つけたとき、彼の身体は大きな火柱につつまれていた。力なく手足を投げ出し、宙を漂っている。
「アシュレイ! アシュレイ・ハーノルド!」
ユタは大声をあげたが、彼の意識は戻らない。炎は激しく燃えあがり、焼け焦げた残骸があちこちに転がっていた。
ユタも無傷というわけにはいかなかった。ファンファーの守護があったとはいえ、長い髪はちりぢりに焼け焦げ、身体中いたるところに火傷を負っている。
「アシュレイ、目を覚ませ! リャトゥーンを見失うな!」
ユタは叫び続けたが、アシュレイが反応する様子はない。
「くっそ!」
ユタは毒づくと、むりやり炎の中に突っ込んだ。炎が彼女の身体を焼いたが、痛みを無視して手を伸ばし、アシュレイの手を無理やりつかんだ。
どれほどの時間が経ったのか。
泣き疲れ、呆然と漂っていたアシュレイの周りに、わずかな変化が起こった。
ちらちらと舞っていた白い粒が集まったかと思うと、人の姿を模ったのである。
それはちいさな少女だった。緑がかった黒髪を肩のあたりで切りそろえ、赤と翠の玉で飾ったその少女は、燃えるような紅い瞳をアシュレイへと向けた。
アシュレイは、不思議な少女を見つめ返す。その色彩は違うが、どこかで見たことのある瞳だと思った。吸い込まれるような、深く揺らめく瞳だ。
そして少女はついと、アシュレイに向けて小さな手を差し出してきた。
しびれの残る腕を伸ばして、アシュレイはその手をとる。
それはほとんど、無意識のことだった。
暗闇から一転して、目の前が白く染まった。
遠くから声がしていた。二人の、男の人の声。
ひとりは 白い人。
ひとりは 黒い人。
しかし今、頭のなかは、焼け落ちた村の惨状と、
辺りに転がる死体のことでいっぱいだった。
目の前で、兄の頭が胴体から離れて落ちていく光景が、
何度も何度もよみがえっては消えていく。
なぜ、自分は生きているのか。
なぜ、生き残ってしまっているのか。
ナァトと一緒に居たからか。
いや、それだけではないことを、本当は知っていた。
自分は『普通』と違うのだ。
両親や兄、村の人たちは皆、真っ黒な髪と紅い瞳を持っていた。
しかし、自分は違った。
あの墨を落としたような黒髪も、紅玉のような紅い瞳も、持っていなかった。
両親が『そのこと』に悩んでいたことも、
まわりの人たちが、自分にどこかよそよそしかったことも、気がついていた。
自分は『違った』から『殺されなかった』だけなのだ。
生き残ったはずなのに、ちっともうれしくなんかなかった。
彼らは私を殺すだろうか。
見たところ、村を襲ってきた連中とは違うようだ。
焼け跡を漁る盗賊には見えなかったが、楽にしてくれるかもしれない。
ふらふらと、進み出た自分を見て、彼らは眉をひそめた。
「生き残りか……」
「君、大丈夫? 怪我は?」
何かを問いかけられていたが、言葉が出なかった。
喉が、焼け付くように熱い。
口を開いても、うめき声しか出てこない。
「この娘、言葉が」
「地獄を見たのだろう、声を失っているな」
「かわいそうに」
「このまま生きているほうが哀れだろう。楽にしてやったらどうだ?」
「そんな……」
「そいつは生き残りだろう。なぜ殺されずにすんだのかは解らんが、じきにム
ルトが様子を見に戻ってくる。そのとき見つかるほうが、えぐいことにな
るぞ。ここで楽にしてやったほうが親切というものだ。気は乗らないがな」
「でも……」
「さっさとお前の瞳で楽にしてやれ。それとも俺がやろうか?」
「ううん、僕がやるよ。………ごめんね」
白い人が、私のほうへ手を伸ばしてきて、
顔を、覗き込んでくる。
おそるおそる、その人を見返してみたけれど、
ぱちん。 とはじかれた。
とても大きな、カン高い音がした。
「君は……」
「どうした?」
「クルス。この娘は《ラゥの司》だ」
白い人が驚いて、銀色の瞳を大きく見開いた。
「なんだと。まさか、いや、しかしそれなら生き残ったことにも合点がいく。
ラゥに護られたか」
「それだけじゃない、この娘は」
いやだ。
私の髪と、瞳を、見つめてくる。
「皮肉だな。異端であったが故に、殺されなかったか」
「ねえ、クルス。この娘、連れて行こう」
「は? 何を言っている」
「でも、家族や仲間を殺されて、他の人と違ったばっかりに、ラゥの司だったば
かりに生き残って、このままにしておいてはだめだ。誰かがそばにいて護ってあげ
なくちゃ。『生き方』を知らなければ、この娘の魂は喰われてしまう」
「その『誰か』にお前がなろうっていうのか? 俺は認めないぞ」
「いいよ。僕が、勝手に連れて行くから」
「ふん」
「僕の瞳に、この娘の未来は映らないけれど。ひとりは、さみしいからね」
この人たちはなんだろう。
何を、言っているのだろう。
「ねえ、君の名前は?」
「おい、言葉が出ないんだぞ。そいつは」
「あ、そうか」
「ふん」
「じゃあ、僕がつけてあげる。そうだなぁ」
「おい!」
「うん。ユィータにしよう。愛称は『ユタ』かな。ユタ~?」
「お前! 犬の仔を拾ったんじゃないんだぞ!」
「僕はレイティア。こっちはクルス。よろしく! ユタ」
そう言って、差し伸べられた、その白い手に。
その、暖かい手に。
気がつくと私は、手を伸ばしていた。
「―――― アシュレイ!」
「―――― っっっ」
雷に打たれたような衝撃に、アシュレイは目を開いた。
「あ、ユ……、……か?」
口を開いたが、上手く言葉にならなかった。
「アシュレイ、目は覚めたか?」
「あ、ああ。俺は、どうして」
どうやら意識はあるようだ。ユタは安堵したが、表情を引き締めるとアシュレイを促す。
「アシュレイ、落ち着いて聞いて。まだ、リャトゥーンの声は聞こえているな」
「それが、駄目なんだ。聞こえない」
「よく聞いて。聞こえるはずだ。リャトゥーンは今も、アシュレイのそばにいる」
ユタの叱咤にアシュレイは目を閉じ、ラゥの声を聞こうと、必死に耳を傾ける。
すると不思議なことに、先ほどまで全く聞こえなかったリャトゥーンの気配が、かすかながら感じとれたのだ。ユタが、同じ《ラゥの司》が近くに居るからだろうか。
「声に耳を傾けて……放すなよ。リャトゥーンを手繰り寄せるんだ。ゆっくりと、やり方はわかるな」
「ああ。やって、みる」
「大丈夫。きっと、大丈夫」
アシュレイの手を、ふたたびユタは強く握った。
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