20:黒い幕

「これは、ひどいな」


 夕刻の草原は、炎と煙につつまれていた。ユタは、タムタの背中で独り言ちる。

 いたるところで黒い煙がのぼり、薄暗くなった地面は赤黒い光を発している。これが普通の炎ならば、水を引くなり、土を盛るなり、草を刈るなり、消しようもある。 しかしそう簡単に消せる炎でないことを、ユタは知っていた。


 この状況でアシュレイを見つけられるだろうか。そう不安に思いつつランペレスを目指していると、眼下に人だかりが見えた。ランペレスの集落から、少し草原に下った広場だ。多くの人々が身を寄せあっている。


「タムタ、あそこだ!」


 ユタたちはそちらへと進路をとり、ゆっくりと降りていった。



 驚いたのは朱の人間たちだ。なかでもギルはユタの姿を認めるなり、ものすごい形相で食ってかかった。


「貴様! どの面下げて来やがった!」

「文句を言いたいのはこちらのほうだ。いったい何があった? お前たちこそ、アシュレイに何をしたんだ」

「な、なにを!」

「この炎は、アシュレイが原因だろうが。何があったんだ?」

「ぐ……」


 言いよどむギルを見て、ユタは確信した。これはただの炎ではない。アシュレイと、リャトゥーンによる炎だ。しかし、アシュレイが意図的に炎を放つとは考えがたい。

 そうなった『何か』が、あるはずだ。


「どうしてアシュレイがこうなったのか、と聞いている。説明してくれ」

「そんなことをお前などに。大体、アシュレイはお前のせいで!」


 ギルはまくし立てたが、ユタも負けていない。ここぞとばかりに言い返した。いちいち彼らの非難にかまっている余裕はないのだ。


「だから、その『私のせい』の内訳を説明しろと言っている。これが彼のラゥの暴走なら、早いこと鎮めないと手遅れになるぞ。アシュレイも、お前たちも、このムルトの土地も、だ。死にたくなければ、さっさと説明しろ」


 そうやって言い争っている間も炎の勢いは増し、紅い絨毯を広げていく。



「アシュレイ殿がルンファーリアと条約を結ぶ、と言うたからじゃよ。それがお前さまにそそのかされた結果であると、その連中は思っておるのです」


 割って入った声のほうを見ると、腰の曲がった小さな老婆が立っていた。その両脇に女童を従え、ゆっくりとした足取りで歩いてくる。


「ルウ老子。早く避難してくださいと申し上げたはずです」


 ギルや他の朱の人々が、あわてて老婆を引き返させようとする。その様子を見るに、朱のなかでは一角の人物のようだ。

 そういえば村のおばさんが、素質のある子は老子のもとで修行する、というようなことを言っていた。「ルウ老子」と呼ばれているということは、その人なのかもしれない。

 老婆はギルたちの声には耳を傾けず、足を進めた。


「やれうるさいねぇ、この連中は。そんなことだから、この惨事になるんだよ」

「貴女は……」


 老婆はユタの傍までやってくると、歯の抜けた口をゆがめて笑い、一礼する。


「お前さまとは、はじめましてだね。私はルウ。ムルトの呪い師じゃ。ここいらの巫女の長を勤めております。よろしく申し上げる、ルンファーリアの戦姫」

「……ひさしぶりに聞いたな。そんな呼び名は」


 ユタは素直に驚いた。じつに百年近く前に呼ばれていた、思い出すのも恥ずかしい呼称だったからだ。


「ほほっ、だてに長生きはしていないよ。じゃから、お前さまやアシュレイ殿がどういう種類の人間なのかは、この阿呆どもよりは理解しているつもりです」


 驚くユタに笑いかけると、老婆は言葉を続けた。


「お知りになられたいのは、この惨状の原因でしたな?」

「ああ。言っては悪いが、この暴走の仕方は尋常じゃない」

「ふむ。彼はお前さまの誘いに乗って、ルンファーリアと条約を結ぼうとした。それを原因として朱を追われたんじゃ。この阿呆どもからな」

「それは、アシュレイが『ルンファーリアに勝つこと』を求めている連中に、朱を追い出されたということ?」

「そのとおりです」


 ルウ老子は項垂れたが、ユタは違和感を覚えた。


「その程度のことで? この暴走が? アシュレイは、そこまで馬鹿ではないだろう。彼は、ルンファーリアと条約を結ぶことの難しさを心得ていた。ムルトの心情は許さないだろう、と。そうなる可能性は、想定していたはずだ」

「面目ない。彼は、他でもない朱に追いやられ、そしてそのことを受け入れようとしていた。しかし、それすらも許せないという連中がおった、ということです」

「それは……」


 ユタの表情が、ふっと曇る。


「私などが頼めることではないことは、百も承知じゃ。しかし、それでも頼みたい。行ってやっておくれ。そして、アシュレイ殿を救い出してやってください」

「ああ。それはもとより。……そのつもりだよ」


 しぼり出すように答えたユタは、今にも涙がでそうだった。

 ただただ、アシュレイが哀れだった。


「ありがたい。お頼み申します」


 深く頭を下げた老婆を見て、またもやギルが叫ぶ。


「ルウ老子、何をなさるのです! このような者に頭を下げるなど。元はといえば、この女のせいでしょう? それに我らはカリムの血を引くムルトの民。ラゥはムルトに力を貸してくれるはずだ!」

「お前という者は、なんという……」


 ため息とともにつぶやいた老婆は、申し訳なさそうにユタを見た。それを受けて、ユタも苦笑を返す。


「いや、なんとなく解ったよ。いつかアシュレイが『期待するな』と言っていた意味が。ムルトに『ラゥ』は、すでにいないんだね」

「貴様、何を……」

「そういうことです」


 ギルの言葉を遮ると、老婆は再度、深く頭を下げた。


「じゃあ、アシュレイの居場所も、こちらで勝手に探したほうが早いかな?」

「いえ。それは、この者が案内できるかと」


 そう言うと老婆は、傍に控えていた女童から小さな青い光を受け取った。ユタに向けてその手を差し出すと、青白いちいさな光はふわりと浮かびあがり、おずおずとユタの側へと寄って来た。


「珍しい! ファンファーだね」

「さすがですな。おっしゃるとおり、水のラゥの眷属ファンファーです。これは――・————と申します。このモノなら、アシュレイ殿のところまで消えずに案内できるでしょう」


 ユタは微笑んで、——・—————と呼ばれたラゥの眷属を受け取った。


「『銀色の流れ』とは素敵な名前だ。よろしく、——・————」


 するとその青い光は、青い羽を生やした猫のような姿に身を変えた。嬉しそうに喉を鳴らし、ユタの頬へ頭を寄せる。ユタが頭を撫でてやると「リィィン」と鈴のような声で鳴いた。

 その光景に老婆は、表情を曇らせる。


「やはりお前さまは『かの者』なのですね。申し訳ない。本来ならば、グラーチィアから村を救ってくださったことでさえ、感謝では足らぬというのに」


 そう口ごもった老婆に、ユタは感嘆の表情を向けた。


「貴女は本当に、色々なことを知っているようだ」

「許してくだされ。事は、巫女をあずかる一部の者にしか伝わっておらぬ」

「なるほど。それでラゥのことも」

「ええ」

「残念だけどしょうがない。そうしないと貴女たちも、ということでしょう?」

「おっしゃるとおりです。申し訳ない」

「いや、そういうものだよ。アシュレイのことは、できる限り、やってみるしかない」



 そのとき、群集の輪から小さな影が走り出た。それはユタのそばまで進み出ると、咆える。


「この化物! アシュ兄を返してよ!」


 ケトだった。いや、『ケトに見える』何かだった。

 ユタは目を見張る。ユタにはそれが、「グラーチィア」にも視えたのだ。



 ユタの頭の中で、散らばった情報のかけらが組み立てられていく。


『リンヴァの傷』

『グラーチィアの気配がするリンヴァ』

『医学資料の症例』

『エリタリアの医術院』

『カリムの民と御霊鎮めの儀式』

『グラーチィアとカリムの民』

『リンヴァと同じくグラーチィアの気配がする、ケト』

『カリムの民が滅びた原因』

『ユタが識っている、グラーチィアの原点』

 ―――― それらのことから、考えられる可能性。


「何よ、あんたなんか。全部あんたのせいじゃない。あんたたちは父さんだけでなく、アシュ兄まで奪おうっていうの?」

「やめんかケト!」


 ルゥ老子が、厳しい声で少女を諫めたが、ケトは止まらない。

 ユタは少しだけ寂しそうに微笑んで、真顔で応えた。


「そう、ケトのお父上はルンファーリアに……」

「そうよ。父さんは、ルンファーリアに殺されたわ。私たちが何をしたっていうの。何もしていないのに、どうして殺されなきゃいけないの。返してよ!」

「そうだね。本当に、そうだ」

「ケト。やめよと言うに!」


 老子が再び咎めたが、ケトには聞こえていなかった。


「人殺し!」


 ユタはひとつ。深く息を吐き、ぽつりとつぶやいた。


「そうだね。未だに『彼ら』の怒りは消えないらしい」

「やめよ、ケト。ああ、ルンファーリアの戦姫。どうか、どうか……」


 ぴりりと張り詰めたユタの気配に、ルウ老子が目に見えてうろたえる。


「そうだよな。もう、何百年も昔のことなのに。あなた方の、何代も前の世代のことなのに。いい加減、忘れてもよさそうなのにね?」


 しばらくの間、ユタはなにやら、難しい表情で考え込んでいた。



 が、何事もなかったように顔を上げると、けろりと言い放ったのだ。


「でも、今はアシュレイを助けないと」


「な……」


 その言葉に、ケトの表情が固まった。

 ユタはそんな彼女に、静かに話しかける。


「そんな顔しないで? ケト。いや、『リンヴァ』かな?」

「ユタ殿、何を?」

「リンヴァ。あなたは『誰』?」


 リンヴァと呼ばれたケトの瞳は、うって変わって氷のように冷たい色をたたえている。くるくると表情を変えていた、感情豊かな少女の面影はみじんもない。

 そして、その姿が霞のように揺らいだかと思うと、かわりにリンヴァが現れた。

 群集から、悲鳴があがる。


「上手く、化けれたと思ったんだけどな。どうして分かったの?」


 「観念しました」と言わんばかりに肩をすくめ、リンヴァはユタに問いかけた。


「違和感を繋ぎ合わせて、色々と推測しただけだよ。まさか本当に『そう』だとは驚いたけれど。正直いうと、今も半信半疑だ」

「へえ、どう推測したのさ。参考までに教えてよ」


 あはは、と笑いながらリンヴァはおどけてみせる。その姿は確かにリンヴァだったが、得体のしれない、何とも言えない気味の悪さが、その笑顔には貼り付いていた。

 ユタは、慎重に口を開く。


「まずは単純に、その姿かたちはケトだけど、先日見たリンヴァと同じ気配がしたからだよ。それは普通、人からするはずのない気配だ。……本物の、ケトはどこ?」

「さあ? 知らないよ。そんなこと。で?」


 リンヴァはユタの問いには答えず、先を促した。


「ある古い文献に載っていた症例と、リンヴァの怪我の経過が酷似していたんだ。それに照らし合わせると、リンヴァが『別人』となって回復する可能性があった。それがひとつ」

「ふうん。それから?」

「リンヴァが回復したとして、『別人』となっているのなら、それは彼からしていた『気配』が関係していると思った。それがひとつ」

「なるほどね、ルンファーリアの神官っていうのは伊達じゃないみたいだね。なかなかの知識と推測だ。有意義だったんだけどなぁ、ここの生活。ムルトの巫女は腑抜けだし、人間の頭は空っぽで、全く僕のことに気づかない」


 リンヴァは瞳を光らせ、いまいましげに言い放った。



「「「「「 本当に、虫唾が走るよ 」」」」」



 その言葉をうけて、ルウ老子は顔を青くしている。


「こちらこそ聞きたい。君は『誰』なの?」


 ユタは、リンヴァの姿をした少年に問いかけた。


「君は『リンヴァ』じゃない。その『別人格』がどこから来るのか、私なりに考えてもみた。でもグラーチィアと接触して、グラーチィアと同じ気配を漂わせるようになるなんて、考えたくはないことだけど、君はいったいグラーチィアの『何』?」


 少年は目をしばたかせ、それから可笑しそうに笑う。


「本当に面白い。それに感づくことができるなんて。グラーチィアの正体を、まるで知っているかのようだ。そう、その推論は間違ってはいないと思うよ」

「そう。それなら君は……」


 ユタの瞳が、ゆるりと揺れる。


「僕の名前はユン。グラーチィアのなかに居た、意識のひとりだ」

「グラーチィアのなかに居た、意識の、ひとり」

「おや、不思議かい?」

「どうだろう。ただ、グラーチィアに意識や記憶は残っていないものとばかり思っていたから。なんというか、不思議な感覚ではある」

「ふぅん。なるほどね? 僕もあなたが『何者』なのか、ちょっとわかった気がするよ」


 ユンはひとり納得した様子で、うんうんとうなずいている。ユタは、少しだけ悲しそうに笑い、彼に訊ねた。


「ユン。アシュレイのラゥの暴走は、君のさしがね?」

「うん? 何故、そう思ったんだい?」

「君からは、ムルトに対する強い憎しみを感じる。そしてそれは、君が、グラーチィアが持っていてもおかしくない感情、だと思う。記憶と意識が在るというのなら、特に」

「へえ、なるほどね。あなたは本当に、グラーチィアの身上を知っているようだ。……ああ! なるほど。もしかして、そのちょっと変わった『色』が原因かい?」


 ユンの挑発にはのらず、ユタは努めて冷静に返す。


「質問に答えて。これは、君のさしがね?」

「ちぇっ、……そうだよ。僕がひっかけたんだ。彼のラゥが暴走するように仕向けた。憎たらしいムルト。傲慢で、嫉妬深くて、くだらない感情で我が一族を滅ぼしておいて、何も知らずに、のうのうと生きている。あまつさえカリムの民の末裔を名乗るなんて。こんな草原、何もかも燃えてなくなってしまえばいい」


 ユンは憎憎しげに笑うと、燃えさかる草原を満足そうに目を細めた。



 これは自分だ。ユタは目を閉じる。ユンの物言いは、かつての己の感情を代弁するかのようだった。おそらく、自分とユンは同じなのだろう。同じ悲しみを、共有している。


 ユタは生き残り、ルンファーリアの神官になった。

 ユンは死んで、グラーチィアになった。



 そんな己の感情を振り払い、ユタは顔を上げた。今言っても詮無いことだ。


「とにかく、今はアシュレイの暴走をとめる。それだけだ」


 そう自分自身に言い聞かせ、ユタは燃えさかる草原へと踏み出す。


「ふうん、それがあなたの答え。まあいいさ、あなたがどういう道を選ぶのか、楽しみにしているよ。……変わり種の、我が同胞」


 彼はムルトを焼く炎を恍惚と眺め、煙のように姿を消した。

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