18:不穏な兆し

「どういうことだ! アシュレイ!」


 ギルは、アシュレイにつかみかかった。

 秘密裏にユタと会合を重ね、アシュレイはルンファーリアと条約を結ぶ準備をすすめていた。ある程度形になったところで、周囲への説得を試みたのだ。


 そして危惧していたとおり、朱の面々からは猛反対を受けている。予想通りギルは怒り狂ってアシュレイを責めたてた。他の長たちも、似たような反応だ。非難と侮蔑、それでいて後ろめたさや気まずさを含んだ視線を、アシュレイへ向けている。

 それでもアシュレイは、彼らを説得するしかない。


「言ったとおりだ。ギル、俺はルンファーリアと条約を結ぼうと思う」

「ふざけるな! それがどういうことか、本当にわかっているのか?」

「条約を結べば、ムルトとルンファーリアの戦いは終わる。これ以上の犠牲はなくなるはずだ。俺は、そうするのが良いと思っている」

「そんなわけがあるか! 条件はなんだ。ムルトの土地の何割か? 交易の強制か? 関税でもかけるのか?」

「違う。ルンファーリアの望みは、土地でも金銭でもない。ただ、このままムルトから軍を引きあげることだ」


 土地や金銭の要求が条件にない、ということに周囲はざわついたが、ギルは止まらなかった。


「お前、あの女にたぶらかされたのか?」

「ギル?」

「そうだ。そうに違いない! あのルンファーリアの神官が、お前を口車に乗せたんだろう!」

「ギル、聞け! そうじゃない。確かに持ちかけてきたのは彼女だが、その条約に賛同したのは、あくまでも俺の意志だ」

「お前は、ムルトをルンファーリアに売ろうというのか?」

「どうしてそうなる? 俺たちの目的は『戦争を終わらせること』だろう。『ルンファーリアを滅ぼすこと』では、ないはずだ」


 ギルは、アシュレイの言葉に目を見張り、それから苦々しく吐き捨てた。


「そうかい。所詮お前は『よそ者』だった、ってことか」

「ギル」


 アシュレイの胸に、ちくりと言葉が突き刺さる。


「信じていたんだ。お前ならやってくれるんじゃないか、虐げられてきた、俺たちの代わりにルンファーリアをぶっ潰してくれるんじゃないか、って」

「ギル、俺は……」

「うるさい! もう何も話すことはない。出て行くがいいさ。この売国奴が」


 呪詛を吐き散らすギルを、アシュレイは静かに見つめた。アシュレイは、この見かけによらず世話好きで、何かと『年長者面』をしてくる男のことが、決して嫌いではなかった。

 しかし同時に、彼の執拗なまでの保守性を、哀れにも感じていた。こうなってしまうと、説得するのは難しい。やはり条約は、自分が『個人的に』結ぶしかないのだろう。アシュレイは内心、肩を落とした。


「そうか。すまなかったな」

「さっさと消えろ。裏切り者が」


 アシュレイは踵を返し、扉に手をかける。


「ギル、最後に『年長者』からの忠告だ。俺が言えた義理ではないかもしれないけどな。本当に欲しいものは、自分自身の手でつかみ取らないと、すぐにすり抜けて逃げていくぞ」

「……」

「それだけだ。……じゃあな」


 アシュレイは、ほんの少し笑って朱の面々を見渡すと、そのまま静かに部屋を出た。


 心のどこかで、わかっていたのだ。おそらく彼らの本音は「戦を終わらせて欲しい」ではなく「ルンファーリアへ復讐して欲しい」だということを。もちろん、そう考えていない人達もいる。「ただ、戦が嫌だ」という人達だっているだろう。

 しかし彼らは、『よそ者』であるはずの自分に『ソレ』を求めていた。『よそ者』と心のどこかで蔑みながら、自分たちの代わりに『復讐してくれる者』を望んでいたのだ。

 そう考えると少しだけ、胸のあたりに冷たいモノが走った。


「なんだかとても、ユタに会いたい」と、 アシュレイは切実にそう思った。

 ユタに「そそのかされた」つもりは微塵もないが、「ほだされた」というのなら、確かにそのとおりかもしれない。




「さてと。これからどうするかなぁ。ん?」


 何気なくつぶやいたアシュレイだったが、建物の陰に人の気配を感じて立ち止まる。そこには、ケトが立っていた。


「アシュ兄……」


 今にも消え入りそうな声だ。ギルたちとの会話を聞いていたのかもしれない。悲愴な表情を向けてきたが、アシュレイには彼女を受け入れることはできなかった。


「ケト」

「ねえ、出て行くなんて嘘だよね? ルンファーリアなんかと、あの女なんかと条約を結ぼうなんて。アシュ兄のことを厄介に思っている奴らが、流しているデマだよね?」

「……」

「嘘だよね? ルンファーリアなんかと、父さんを殺した奴らなんかと条約を結ぶなんて。そんなの、嘘なんでしょ? ねぇ?」


 ケトはアシュレイにすがりつく。


「ケト、あのな」

「嘘って言ってよ! あの女ね。あのユタとか言う女に、アシュ兄は騙されているんだわ。あいつ! アシュ兄に色目を使って騙そうなんて、なんて嫌な……」

「ケト!」

「ひっ」


 アシュレイの鋭い声に、ケトはビクリと肩を震わせた。


「ケト。俺は、俺にできる最良のことをしようとしているだけだ。ユタは関係ない。ルンファーリアとの条約は、俺の意志だ」

「アシュ兄!」

「ごめんな」

「アシュ兄ぃぃ……」


 アシュレイは黙って踵を返し、ケトに背を向けた。その時————

 紅い刃。

 ケトの持つ紅い『ソレ』が、アシュレイのわき腹をとらえた。

 アシュレイは鈍い衝撃を感じながら、

 彼女の姿が、霞のように揺らぐのを、仰ぎ見た。


 あれは ―———


「アシュ兄の馬鹿。あたしのほうがずっと、アシュ兄のこと見てたのに……」

「お前、は……」

 

 『ソレ』の表情が醜く歪んだのを最後に、アシュレイは意識を手放した。



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