17:この子のためにできること

「ほら、もう目をあけていいよ」


 ユタは術の札を剥がすと、ファートの肩をたたいた。


「わぁ」


 ファートは目の前の光景に声をあげたが、無表情のまま固まってしまう。

 彼の前には、こじんまりとした部屋が姿を現した。広くはないが手入れが行き届いており、イスやテーブル、ベッドなどの家具がしつらえてある。窓の向こうには、緑の庭が見えた。


「どうかな? これでずいぶん、過ごしやすくなると思うんだけど」

「過ごし、やすく?」

「うーん。冷たい書庫の床じゃなくて、暖かい布団で寝られるっていうこと、かな?」

「ふ、うん?」


 どうにも伝わっている気がしないが、ひとまずヨシとしよう。

 クルスからファートについて一任され、ユタは納得いかないまでも、早々に行動を起こした。まずはきちんと人並みの生活ができる環境を。ということで、ファートが軟禁されていた部屋の術をいじったのだ。


 本当は、封印術など解いて新しく部屋を用意したかったのだが、ユタが盛大に騒いだ結果、一部の神官たちにファートの存在が知れてしまった。 

 そもそもファートのことは公表しようと考えていたが、周囲への伝わり方が悪かった。何しろ『禁忌』を体現したモノが、突如自らの国内に現れたのだ。彼らは喧々諤々、噂がいらぬ憶測を呼び、議論という名の責任転嫁合戦を繰り広げると、「ファートを利用しようとする派」と「彼の存在を恐れて一生軟禁しようとする派」に分かれて争いを始めてしまった。


 そんなこんなで、ユタはファートに部屋と生活を与えることには成功したものの、他の神官たちが簡単に近づけないよう、細工をするはめになったのだった。


 ファートに与えられたのは、元々軟禁されていた書庫 ―—これはファートが望んだためだ―— と、その隣の寝室と居室、そして小さな庭だった。


「本当なら、もっと自由に神殿内を動けるようにしてあげたかったんだけどね」


 ユタは肩を落としたが、ファートの安全にはかえられない。


「自由に、って?」

「ファートが自分の意志で、いつでもどこへでも好きなところに行ける、逆に行かないこともできる、ってことだよ」

「どこでも、好きなところ?」


 ファートは、意味を理解しているのかいないのか、首をかしげている。


「そうだね。私が外へ出かけるときは、出来るだけ一緒に行こう。それなら誰も文句はないだろうし。……そうだファート、ちょっとこっちにおいで?」

「ん?」


 ユタはファートを庭に連れ出した。そして彼の後ろにまわって髪に触れる。


「この髪、伸びっぱなしでボサボサだ。梳かしてあげる」


 ファートは風呂と着替えは済ませていたが、伸びっぱなしの髪はいたる方向へぴょんぴょん飛び跳ねていた。まるで鳥の巣だ。


「いい。髪、これで、いい」

「よくないよ。目にかかって前が見えにくいでしょ。それにせっかく綺麗な色なんだから。梳かして、ちょっと切ってそろえよう」

「え、ええ?」


 ユタは有無を言わさずファートを膝の上に座らせると、櫛で彼の髪を梳きはじめた。銀色の髪が陽に当たり、さらさらと白く流れていく。

 最初はむずがっていたファートも、しばらくすると落ち着いたようで、ユタに身をまかせておとなしく座っている。

 彼は細い声でつぶやいた。


「ねえ、ユィタ。ユィタの、身体って、あったかいんだね」


 膝から伝わってくるファートの体温がなんとも心苦しく、ユタは胸を詰まらせた。ファートの無表情の中に、ほのかに浮かび上がる感情が痛々しい。

 クルスはどうして、この少年を独りで閉じ込めていたのだろう。事情はあったのだろうが、どうしても納得がいかなかった。


 このままいけば遠からず、ムルトとの条約は実現できるだろう。



 柔らかい銀の髪をなでながら、ユタは考えた。


 これから自分は、ファートのために何ができるのだろう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る