14:唄を送る
翌日、ランペレスは騒然となった。
夕刻になっても、ユタがアシュレイの家に戻らなかったのだ。
「ユタさんがいないって?」
「昼すぎ頃、お医者先生のところに行くって出たんだ。まさかどこかで倒れてるんじゃ」
「そんなわけないでしょ! 逃げたのよあの女!」
ユタを非難する者と擁護する者の間で諍いがおこり、朱の兵まで出てくる騒動になった。
「おい、アシュレイはどこだ。今度こそあの女、ぶち殺してやる!」
ギルは息巻きながらアシュレイを探した。が、彼の家や朱の本部、訓練場から牧草地まで、心当たりを回ったものの一向に姿が見えない。よからぬ噂すら囁かれ出した頃、ようやく情報が出てきた。村のはずれの畑で作業をしていた老夫婦が、声をかけられたらしい。
「アシュレイなら、ユタさんを探しに行ったよ。家にもお医者先生のところにも居ない、ってすっ飛んでいったから、どこへ向かったのかまでは、わからないが……」
その報を受け、さらに現場は騒然となったのだった。
「ユタ。此処にいたのか……」
ユタは、村から少し離れた丘に居た。それほど遠い場所ではない。ギルたちが見つけられなかったのは、ユタが上手く身を隠していたのだろう。
彼女は樹の陰に腰を下ろし、ムルトの草原をぼんやりと眺めていた。
「アシュレイ」
どこか沈んだ様子のユタの隣に、アシュレイは腰かける。
「ひとりで動くなと言っただろう。ったく、こんなところまで来て」
ユタは、少し困ったようにアシュレイを見た。
「それは、君も同じだろう? 私をかくまっていることについて、そろそろ朱の連中を押さえきれなくなっているんじゃない?」
「まあ、なあ」
アシュレイは、頬をかいた。
「悪い。今日も、おばさんたちと一緒に居たんだけどさ。誰かさんが『私を始末しよう』って裏でこそこそしているのを小耳に挟んでさ。そのやり方が、ちょっと気にくわなかったから対処、というか物理的に逃げてみた」
「気にくわなかったって、お前」
「ああ。さすがにあれは、ちょっと、ない」
その『気に食わないやり方』というのは、ユタだけではなく、かくまったアシュレイにも害を及ぼそうというものだったのだ。ユタはしらを切ったが、アシュレイはあきらめにも似た表情を見せる。どことなく、察しているようだ。
「どういう内容かは、あえて聞かないほうが良さそうだな」
二人はしみじみとため息をつき、肩を落とした。
「さすがにこれ以上は、甘えられないよ。反感が大きくなりすぎると、収拾だってつかなくなるでしょう?」
「ユタが気にするようなことじゃない。俺への反感は、元からそれなりにあったんだ。この機会に、って便乗しているやつらがいるだけだよ」
「それって」
「ああ。俺はムルトの人間じゃないから。『よそ者はよそ者同士』と考える輩も多いんだ」
ユタは息をのんだ。
「よそ者」
「驚いただろう? 俺はたまたま旅の途中で、この村に世話になっていただけなのにさ。どういうわけだか、いつの間にか《朱の大将》におさまってたんだ。まあ、自分で選んだことだし、後悔はしていないけどな」
「そのことなら、村のおばさん達から聞いたよ。ケトを狼から助けたのがきっかけで、ランペレスに滞在することになった、って」
「なんだよ。知ってたのか」
アシュレイは自嘲気味に笑う。そして少しだけうつむいて、しばらくの間、口を閉ざした。その表情は、影に隠れて見ることができない。
ユタは少しだけ迷ったが、口を開いた。
「でも、違うでしょう?」
「え?」
「アシュレイ。君は、よそ者なんかじゃない。違う?」
「……」
ユタの言葉に、アシュレイは絶句する。
「何を、お前、何で、」
かろうじて単語を並べただけの返答だったが、その意は明白だ。
「不思議だったんだ。何故この人は、ムルトを守ろうとしているんだろう? ムルトの人間でないと聞いて、それなのに何故、朱の大将としてムルトの人々をまとめようとしているんだろう? ってさ」
「ユタ」
アシュレイは、ユタの指先に手を伸ばした。まだ触れはしない。
「よそ者なんて言うくせに、ムルトの難しい踊りを軽々と踊るし」
「ユタ?」
アシュレイの手が、ユタの手に触れる。
「『アルトゥス』なんて今は使われていないようなムルトの古い地名が、しれっと通じるし」
「ユタ……」
アシュレイは、ユタの手をそっと握った。
「カリムの遺跡があった洞窟、どう見たって水に浸かって数十年は経っているのに、通路として使われていた時のことにも詳しいし」
「ユタ!」
アシュレイは、握った手に力を込める。
「そんな時、ふと思ったんだ。もしかしたらこの人は、ムルトの危機を知って、故郷を助けるために『あえて』やってきたんじゃないか?って。まあ、推測からカマをかけただけだよ」
「…………」
「…………」
ユタはムルトの草原へと視線をそらし、アシュレイの視線はその後を追った。
すでに日は沈み、青白く光る丸い月が草原を照らしている。風をうけた雪見草の綿毛が、ふわりふわりと宙を舞っていた。しばらくの間、ふたりは黙ってその様子を眺めていたが、ユタはふとつぶやく。
「雪みたいだ」
「え?」
「この綿毛。雪みたいだ、と思って」
「ん? ああ」
ユタは、足元に植わっていた白い綿毛を手に取り、再び草原に深緑の瞳を向ける。ふっと息を吹きかけると、綿毛は風に乗り飛んでいった。
「雪、好きなのか?」
「うーん。微妙だなぁ。冷たいし。ちょっと嫌なことも思い出してしまうから」
「……」
アシュレイは口をつぐんだが、ユタは続ける。
「雪を見ていると、なんだろう? 何というか、なんとも言えない気持ちになるんだよ。私の故郷は、雪がたくさん降るところでさ。冬になったら建物ごと白く埋もれてしまうような、雪の深いところだったんだ。懐かしくて、それから少しだけ、寂しくなる」
「ユタ」
「ごめん、もうずいぶんと昔の話だ」
「……よくない」
「え?」
「よくないだろう? 俺だって、忘れようと思っても、忘れられなかった。だから戻ってきたんだ。少しの間だけだ。俺は《ラゥの司》だから、数年もすればここを離れなければならなくなる。だけど、そんな簡単に忘れられるような、そういう類のものじゃない。そうだろう? 今からだって……」
その勢いに呆然としたユタだったが、やがて満面の笑みを浮かべると、アシュレイの頬へと手を伸ばした。この男は、本当に……
「アシュレイ。本当によかった。アシュレイと出会えたことを、私はうれしく思うよ」
「ユタ、話をそらすな」
アシュレイの口を抑えると、ユタは小さく、それでもはっきりとささやく。
「この草原の向こう側、山脈との境目あたりかな。ムルトの北のはずれに、私の生まれた村はあった。でもその村は、もう無い。あるとき襲われて、燃えてしまったんだ」
「……」
「でも、私は生き残った。生き残ってしまった。カリムとしては異端でしかないこの髪と瞳の色が、私を生き残らせたんだ。父や、母や、兄や、他の村の皆とは違う色をしていたばっかりに、私は殺されなかった。……一族の人間だと、思われなかったんだろうね」
アシュレイの脳裏に、子どものころ耳にした老子の言葉がよぎる。
『カリムの民は、漆黒の髪と紅い瞳を持っていて…… 』
ユタは、その深緑の瞳で草原をぼんやりと見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「ひとりは、さみしいもの……」
ユタは立ち上がると剣を抜き、ゆっくりと、
ゆっくりと。
舞を、舞いはじめた。
唄がきこえる。
彼女が唄っているのだろう。
どこかもの哀しい旋律の、笛のような、声のような、音だった。
緩やかな旋律のなかで、ユタは舞を舞い踊る。
そこだけ時間がとまったようで。
アシュレイは、ユタから目を離すことができなかった。
すると彼女のまわりに光の粒がただよい、そして集まってきた。
ふわふわと、ユタのまわりをおよぐ白い光の粒。
光の粒のなかを、ゆっくりと舞いすすむユタ。
美しく、それなのにどこか哀しい、舞だった。
『 ――― ・ ―― ・ ――――――――― 』
そうして、ユタの唄の調子が変わったかと思うと、
突然、甲高い音をたてながら、光の粒がはじけた。
草原にはユタだけが、独り残されていた。
どこか嬉しそうに、
どこか、哀しそうに、
そして微笑んだユタを見て、アシュレイは、
彼女のことが、本当に好きになってしまったのだと思い知ったのだった。
「アシュレイ・ハーノルド」
「っ?」
突然名前を呼ばれて、アシュレイは夢から覚める。
「なんだよ、改まって」
「……」
この瞳だ。ユタの瞳に正面から見つめられると、どうしてもその深緑から目をそらせなくなる。生来のものなのか、ルンファーリアの高位神官という立場から身についたものなのかはわからないが、強い力を持った瞳だ。
この瞳が、好きだと思った。
「ユタ?」
「ひとつ、提案があるんだ」
「提案」
「ああ。ルンファーリアにとってもムルトにとっても、私にとってもアシュレイにとっても、悪い話ではないと思う」
「つまり……?」
アシュレイは、ユタの言葉の続きを待つ。
「単刀直入に言う。朱の大将アシュレイ・ハーノルド。ルンファーリアと、条約を結ぶ気はないか?」
「条約って、ムルトとルンファーリアの間でか」
「ああ。これ以上、ムルトと戦わずにすむのなら、願ってもいないことだ」
「わかった。いいぞ」
間髪入れずに是と答えたアシュレイに、驚いたのはユタのほうだ。
「え? ねぇ。理由とか、その内容とか、そういうの、聞かないと……」
「いいよ別に。ユタのことだからルンファーリアにもムルトにも、本当に毒にも薬にもならないような内容を考えているんだろ?」
「それはそうだけど。いいのか? そんな簡単に」
「いいんじゃないか? 俺は信じてるよ。ユタのこと」
「また、そういうことを言う」
拗ねたようなユタのしぐさに、アシュレイは声をたてて笑った。
「はははっ。なんだよ。条約を結ぼう、って言ってきたのはユタだろう?」
「いや、なんか拍子抜けするというか」
「まあ、それは俺が、朱の連中を説得できたら言ってくれ」
「確かに。それは、そうだね」
「だろ?」
おそらく朱の面々は、この提案に大反対するだろう。大将であるアシュレイが認めても、周囲が簡単に納得するとは思えなかった。
「ある程度、朱の人たちには伏せて進めておいたほうが良いかもしれないな」
「……」
「悪い。アシュレイの説得を疑っているわけじゃないんだ。ただ、あの人たちのルンファーリアへの心情を考えると、アシュレイ、君の……」
「俺の身が危ない。ってか?」
「ああ」
「だろうな。連中、俺が『ルンファーリアと条約を結ぶ』なんて言ったら即反対。こっちが折れなきゃ、俺を消そうとしてくるだろうな」
「……」
あきらめたように淡々と語るアシュレイの態度に、ユタは眉根を寄せた。
「そんな顔するなって。まあ、なんだ。あれこれ理由をつけて説得してみるさ。それでも駄目なら、俺が個人的に条約を結ぶよ。朱の大将としてな」
「わかった。任せる」
そう言うと、ユタは草原へと目を向けた。
「行くのか?」
「ああ。私の独断でやってしまってもいいけれど、この件は公式な立会人をたてたほうがいい。後々ややこしくならないようにしないと。一度ルンファーリアに戻って、改めて国として使いを出すよ。場所は、そうだな。トンコウってわかる?」
「ああ。山岳にある土壁の街だろ?」
「うん。そこにしよう。互いに同じくらいの距離だし国境地帯、なにより独立した自治街だ。ムルトとルンファーリアの条約を結ぶには、いい場所だと思う」
「わかった」
「あとリンヴァのことも。何か情報があれば知らせるよ。お医者先生には迷惑かけるかもしれないけど……」
「ああ、よろしく言っておくさ。ユタも、気をつけてな」
アシュレイは、止めなかった。
もともと彼女は、この村にとどまるべきではないのだから。
「その代わり」とでもいうように、アシュレイはユタを引き寄せて抱きしめた。そして耳元で何言がささやくと、静かに口づけをしたのだった。
ユタは驚いたものの、それを拒みはしなかった。
「俺はアシュレイ。五代目ラオシィルの子、アシュレイ・ハーノルド・ラオシィルだ」
「私はユタ。ユィータ・エラマトゥ・ティエラ。……覚えなくていいよ。長いから」
「ははっ。じゃあな、ユタ。……また会おう」
「ああ。また」
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