13:祭にて
「ユタ。今晩、ちょっと外に出よう」
朱の居候となって、十日が過ぎた。傷も癒え、ユタの身体は本来の動きを取り戻していた。「そろそろ行動をおこさなければ」そんなことを考えていた折である。
相変わらず部屋で糸をつむいでいると、アシュレイが声をかけてきたのだ。
「なにかあるの?」
「ああ、祭があるんだ」
「そういえば、おばさん達が言っていたような。『御霊鎮めの祭』だと聞いたけど……」
「そうそう。その祭だ」
「いいの? 私が参加したりして。また五月蝿い連中がいるんじゃない?」
のん気に誘ってくるアシュレイに、ユタはため息をついた。
「まあな。でもその祭、俺も何度か目にしたことがあるだけなんだが、その」
「なんだよ。煮え切らないな」
「いや、なんというか。ユタは見ておいたほうがいいと思うんだ。その祭……」
「……どういう意味?」
ユタはいぶかしげに首を捻ったが、アシュレイは言葉を濁す。
「まあ、とりあえず、まずは参加してみてくれよ?」
「だからそれは……」
「大丈夫。もちろん表立っては行かない。そのために、協力者も募ったんだ」
「協力者?」
アシュレイはユタの反論を遮り、にやりと笑う。何かたくらんでいるらしい。
その表情は《朱の英雄》などには見えない。悪戯をたくらむ子供のようだ。
「そう。こっそり祭に参加するための協力者だよ」
「何考えているんだ?」
「いいから、いいから……」
うやうやしく、アシュレイはユタの手をとった。
その祭は、秋の満月におこなわれる。
いわゆる御霊還りや御霊鎮めと呼ばれる類の祭で、その日は死者が現世にやってくるとされていた。篝火を囲んで巫女たちが舞を踊り、死者の魂を鎮めて死者の国へ還すのだ。
同じような祭は各地にあったが、ムルト地方では重要な儀祭とされていた。
しかしその一方で、じつは収穫祭も兼ねている。
要は食べて呑んで踊って、と大手を振って騒ぐことができる、娯楽の少ない村人たちにとっては、またとない機会だったのだ。『儀式』よりも、騒ぎ楽しむことのほうが目的になっている気配すらあった。
それを証明するかのように、ランペレスの広場は人々でごった返している。
いつもは村ごとで行っているそうだが、今回は少々様子が異なるらしい。何しろ《朱》として、ムルトの村々が一挙に集まっているのだ。規模そのものが違う。本来は一つであろう篝火も、数か所に分けられている有様だった。
誰もが意匠を凝らした晴れ着に身をつつみ、炎を囲んで楽しんでいる。衣装には村ごとに少しずつ違いがあるらしい。どこか混然としながらも、実に華やかだ。
そんな騒がしい広場の片隅で、ひっそりとアシュレイは篝火を眺めていた。
「なあ、機嫌直せよ」
その隣には着飾った女性がひとり、落ち着かない様子でたたずんでいる。
「別に、機嫌が悪いわけじゃないよ。ただ、ちょっと、呆れているだけで」
「そう言うなって。いい具合だ。誰にも気づかれていないじゃないか。大成功だ」
「大成功って。もしばれたら、どう言い訳をするつもり?」
「大丈夫。その着こなしっぷりじゃあ、絶対にばれない。保証する」
「はあ。そんな保証をされてもなぁ」
アシュレイはユタを祭りに参加させるべく、彼女をムルト風に盛装させてもらえるよう周囲に頼み込んだらしい。
ふわりと舞う踝丈のスカートに、赤と緑を基調としたムルト文様が刺繍された布地をあわせて重ねる。長い髪は結い上げて垂らし、玉飾りと飾り糸をあしらった。同じく細かい刺繍が施された胴衣と上衣に腕を通すと、ユタは見事に『ムルトの娘』に化けた。どこからどう見ても地元の人間だ。とんでもない変わり様である。
言い出しっぺのアシュレイは、思わず声をなくしてしまったくらいだ。
実行犯のおばさん達も、あきれた様子でため息をついた。
「これは見事ねぇ。面白いくらいに似合っているわ」
「本当に。綺麗だわ。ユタさん」
「なるほど。……確かにこれは、アシュレイも落ちるわね」
「興味がないのかとちょっと心配だったけど、なかなか。見ているところは、見ているわね」
一部、場にそぐわない会話があったような気もするが、おばさん達は実に満足そうだった。
そういうアシュレイはアシュレイで、ムルト刺繍の紅い衣装を見事に着こなしている。
髪型をいじっているためだろうか、彼も雰囲気がガラリと変わって見えた。見事な変装ぶりだ。見知った顔のはずの朱の人々も、誰もアシュレイだとは気付かない。
いたずらが成功した少年のように、くつくつと笑いながらアシュレイはユタを見つめている。視線を感じて、ユタもアシュレイを見返した。
「何?」
「いや。本当に似合っているなあ、と思って」
「知らないよ。そんなこと……」
ユタはぞんざいだ。アシュレイの言葉と視線を躱し、揺れる炎に瞳を移した。
「口説いてるんだよ。『綺麗だ』って」
世辞なのか、本音なのか。その意図を読み取ることはできない。
「そういうセリフは私じゃなくて、ケトにでも言ってあげなよ。たぶん、いや、絶対めちゃくちゃ探してると思うよ」
「なんだよ。ユタだから言っているのに」
皮肉も通じない。本当にこの男は……
「この『たらし』め。朱の幹部の人たちが可哀そうになってきた。こんな破天荒遊戯が大将なんて。あの銀髪、そのうち胃に穴があくんじゃない?」
「そうか? でもそれならユタだって人のこと言えないだろう。単身で敵陣に乗り込んでくる神官なんて初めて見たぞ?」
「それはまあ、そうかも知れないけど」
ユタはブチブチと言いよどむ。
二人は壁を背にしていたはずだが、いつの間にか、アシュレイはユタの正面へと回り込んでいた。頭ひとつ分背の高いアシュレイが目の前に立つと、ユタの視界から篝火が消える。
「まあ、今はそんなことはどうでもいいさ。せっかくの祭だ。楽しまなくちゃな」
アシュレイは少しかがんでユタと目線の高さをあわせると、そっと手を差し出した。
「ここまできたらしょうがないか。ただし、ばれないようにね」
ユタはため息をつき、自分の手のひらをアシュレイの手に重ねる。
「だから大丈夫だって。その見た目じゃ、絶対にばれない」
「見た目はともかく、だ。心配なのは行動のほう。それこそ破天荒な真似をして、目立てば危ないだろう。そういう意味だよ」
「あぁ、うん。それは、十分気をつけよう」
「よし」
ユタとアシュレイは手をつなぎ、祭の輪に入っていった。
「それにしても、面白いな」
ユタは踊りの足運びに苦戦しつつ、つぶやいた。
周囲がよほど踊りや歌に熱中しているのか、変装の賜物か、正体がばれる様子はなかったが、それでも独特の存在感を持つ二人だ。ユタとアシュレイは、少なからず目をひいてしまっていた。ならばいっそ同じ場所にとどまるよりも、あちこち動き回る方が良いだろうと考え、二人は踊りの群れに紛れ込むことにしたのだ。
ムルトの踊りは激しい動きは少ないが、複雑だ。ユタはなんとか周囲の動きを真似るのに、四苦八苦している。それでも何とか形になっているのは、彼女の運動神経の賜物だろう。
「何が面白いんだ? この踊りか? なかなか上手いと思うぞ」
「茶化さないでよ。……必死なんだから」
「そう言うなって。褒めてるんだよ。知らないと難しいぞ? この踊り」
アシュレイはさすがに経験者なのか、軽々と踊っている。余裕の表情でユタの踊りをリードしていた。少し悔しい気もするが、今はありがたい。
「だから、必死、なんだって、ば」
「で、何が面白いって?」
ねめつけてくるユタを笑い、アシュレイは訊ねた。
「いや。この『御霊鎮めの儀式』が、だよ」
「どういうことだ?」
わずかに目を見張り、アシュレイは訊ねた。
「うーん。なんというか『ムルトが、御霊鎮めの儀式をやっていることが』かな」
「それは……」
「もちろん、似たような『死者の祭』は、どこにだってある。ただ、ムルトでは『祭』にはなっても、『儀式』にはならないものだと思っていたから」
「…………」
ユタの言葉の真意を掴みかねて、アシュレイは眉をひそめた。
「あ、ムルトを馬鹿にしているわけじゃないよ。……ただ、なんというか、ムルトの歴史を見る限り、ちょっと不思議でさ」
ユタが『相性が悪い』と評しているムルトとルンファーリアだが、その発端は『聖霊・ラゥに対する考え方の違い』にあった。
かつてムルトでは、『ムルトの民こそ、ラゥの主だ』という考えがあった。ラゥの恩恵は、ムルトが全て享受するものだとしていたのだ。
もちろん全てのムルトの民が、本気でそう信じていたわけではない。しかしその教えはムルトの民の選民意識として、広く深く沁み込んでいた。
そんなムルトが『御霊鎮めの儀式』をおこなっている。ユタはそのことを不思議に思った。何故ならその儀式は、本来ムルトが認めないだろう『カリムの民』のものだったからだ。
先に村の人々から聞いた話では、『ムルトはカリムの末裔』と伝わっているようだが、それはないはずだ。むしろかつてのムルトは、ラゥの言語を自在に操り強力な術を繰り出すカリムの民に、対抗心を燃やしていたのだから。
ただ、それは今言ったところで、すでに意味のないことだ。
「まあ、『御霊鎮めの儀式』が行われるのは、悪いことじゃない。むしろやらないと、その土地が酷いことになるしね」
そう言って、ユタは肩をすくめた。ひとりで勝手に納得したようだ。しかしアシュレイは、ユタの言葉を皮肉った。
「その『御霊鎮めの儀式』だけど、あまり期待はしないほうがいいと思うぞ」
「え?」
「アレは形だけだ。『祭』としては引き継がれているけど『御霊鎮め』としては意味も何も成していない。確かに巫女が唄って踊りはするが、あれは『御霊鎮め』じゃない。ただの舞だ」
「ふうん。そうなんだ」
ユタはなんでもないことのようにそう言うと、踊りの足運びに意識を向けた。アシュレイは肩透かしをくらったが、話をそらすのは癪と言わんばかりに眉根を寄せる。
「ふうん、って。悔しくないのか?」
「悔しいって、何故?」
「だって、ユタは……」
アシュレイは言いよどむ。
「別に、私がどうこう言う問題でもないでしょ。『御霊鎮め』自体は廃れてしまって、でも祭は残っている。……それでいいじゃない」
「でも、その『御霊鎮め』は偽物じゃないか。でも皆は、本物だと思っている」
「そもそもが『死者を弔う儀式』なんだから、本物とか偽物というものじゃないよ。それに同じような儀式なら、世界中にあるでしょう?」
そう言って笑うユタに、アシュレイはなんとも言えない悲痛な表情を向けた。
これまでユタと話してきて、アシュレイには彼女の素性に、ある予感があった。しかし『それ』は、あくまで彼の推測に過ぎない。それを暴いたところで、何がどうなるものでもなかったが、なんだか悔しかったのだ。
「俺さ。ずっと前に、ルンファーリアの神官の『御霊鎮め』を見たことがあるんだ。戦場跡で、やるだろう?」
「ああ。そうだね。やることもある」
「遠目だったからよくは見えなかったけれど、それでもアレが『御霊鎮め』なんじゃないのか? 昔、カリムの民が行っていたっていう『本当の御霊鎮め』」
「アレだって形式だけだ。必ずやるというわけでもないし。本物とか偽物とかの議論をするような代物じゃないよ」
「ユタはこのあいだ、村を襲ったグラーチィアを『鎮めた』だろう? どこかで見たことがあると思っていたんだ。きっとあれが、本当の……」
アシュレイは言葉をとめて、ユタの瞳をじっと見つめる。
いつの間にか、ふたりの足は止まっていた。
「たまたま、って言い訳は通じないか」
「ユタ。あんたはカリムの民の血を引いている。しかも、かなり濃く。違うのか?」
アシュレイの断言を、ユタは否定した。
「私は、カリムの民じゃないよ」
「でもユタは……」
「いや、違うんだ。だから今もこうして、生き残ってしまっている」
ユタは言い、その表情をゆがませた。
その表情の切なさに、アシュレイは言葉を返すことができなかった。
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