12:夜話
「なあ、ユタ」
「んー?」
「昼間、お医者先生との会話、途中でさえぎったよな? あれ、なんかまずかったのか?」
夜も更けた頃、アシュレイはユタに訊ねた。
彼は窓辺に座って風にあたりながら、手酌を傾けている。傷に障るだろうに。もともと好きなのか、日頃の心労からかはわからないが、アシュレイはよく酒を呑んでいた。
ユタは呆れながらも、彼のとなりに腰をおろす。
その手には、昼間おばさんから勧められた針と色糸が握られていた。大きいものや服を作るというのはぞっとしないが、小さな物くらいならなんとかなるだろう。ユタは緑の糸を針に通し、布地へと刺した。
「ああ、あれは何というか。エリタリア医術院の研究の話になりそうだったから。あえてあそこで掘り下げる必要はないと思っただけだよ」
ユタは木の葉の模様を縫いながら、なにげなく言った。
「エリタリア医術院の研究って、病気や怪我の研究してるんじゃないのか?」
「しているよ。先生も言ってたろう? 表向きだけでなく、裏向きの研究があるって」
「裏向きの研究がラゥとグラーチィアについてってことか? そんなの、どこの国でもやっていそうな研究だけどなぁ」
アシュレイは納得がいかない様子だ。首をかしげて、杯をあおる。
確かにそうだ。強力な古代術へつながるラゥの研究も、グラーチィアへの対抗策の研究も、どの国でも、それこそどんな小さな村であっても、多かれ少なかれ必ずやっている。
「まあそうだね。ただ……」
「ん?」
「アシュレイ。……『エトラスの大罪』って、わかる?」
「そりゃあ、知ってるけど。って、ええぇ? そっち方面?」
「そういうこと」
『エトラスの大罪』という逸話がある
かつて、西の大陸にエトラスという国があった。各種技術に優れたこの国は、小さいながらも「技の国」として、その名を世界各国にとどろかせていた。
しかし、更なる力を求めたこの国はラゥを弄び、禁忌を犯してしまう。
国王ウィールソニアが、兵器としてラゥを利用しようとしたのだ。ラゥの力を軍の戦力として使おうとする国は他にもあった。カリムの民のように、ラゥの言葉を使って術を行使する民族だっている。
だが、エトラスが他国と異なっていたのは、《ラゥの司》を人為的に創り出そうとした、ということだった。《ラゥ》そのものを捕らえられないのであれば、《ラゥの司》を自分たちで創り出してしまえばよい、そう考えた。
具体的に何をどうおこなったのか、それは誰にもわからない。世界の源とされる聖霊。《ラゥ》を、利用することの背徳感。ソレを人為的に作り出すという倫理的嫌悪感。そんな国内外の反発をものともせず、研究は進められた。隣国との戦局が芳しくなかったこと、エトラスがもともと医療技術に明るかったことも、その研究に拍車をかけた。しかし――——
その研究が、成果をあげることはなかった。
エトラスという国は、ある日突然、一夜にして消えてしまったのだ。
王が倒れた、というような表現の揶揄ではない。エトラスの国土は物理的に、跡形もなく、人も、建物も、自然も土地も、言葉の通り消滅してしまったのだ。
ラゥの怒りに触れて女神の罰を受けたのだ、ラゥが暴走したためだ、等々、様々な憶測がまことしやかにささやかれたが、真相は闇の中だ。
今でもエトラスが在った土地に足を踏み入れると、ラゥの呪いを得るという。
このことは『エトラスの大罪』として世界に知れ渡り、「人為的にラゥを操ること」は「禁忌中の禁忌」となった。
―――― と、いうものだ。
「要するに、エリタリアは《ラゥの司を人為的に創る研究》をしているらしい。だからラゥの研究でも医術院の管轄ってことか。ん? でもそれなら、グラーチィアの研究は?」
アシュレイは、ずっと首をひねっている。
「うーん。それも、なんというか……」
「なんだよ?」
「えっと、アシュレイと一緒にいるラゥは、『リャトゥーン』だよね?」
「! よく、わかったな?」
アシュレイは自分に宿っているラゥの名を言い当てられ、驚いた。
《ラゥの司》だからといって、目に見えて外見が変わるわけではない。それこそ手に小さな石が現れるくらいだ。はじまりの唄にある18のラゥの名は世に知られているが、それが具体的にどういうラゥなのか、全てを知る由もない。
同じ《ラゥの司》だったとしても、普通なら「相手にどのラゥが宿っているのか」など見てわかるという類のものではないはずなのだ。それなのに、ユタはアシュレイに宿っているラゥを言い当てた。まあそもそも、この第一神官は普通とは言えないけれど。
《ラゥの司》でなくとも、生まれつきラゥやその眷属との相性が良い者もいるらしい。そういう古式術をあつかう術師の血統があるとも聞く。アシュレイの頭にふと、とある考えが浮かんだが、今は深く考えないことにした。
「なんとなく、だよ」
ユタは言葉をにごす。その件について、詳しく説明する気はないようだ。
正直、「ユタには秘密が多い」とアシュレイは思ったが、誰にだって秘密はあるものだ。これまでの言動を鑑みても、彼女は色々と『識って』いるのだろう。
アシュレイにも、人に言えないことはある。彼は追及せず、黙って話の続きを待った。
「アシュレイは、リャトゥーンと話したりする?」
「ん? そうだなぁ。なんだかんだいって独りの時間が長かったからな。他のラゥの司がどんなものかは知らないが、それなりに話してると思うぞ」
「そう。じゃあさ、リャトゥーンと喧嘩をしたことは?」
「え、どうだろう?」
アシュレイは少し考え、記憶をたどった。リャトゥーンとの会話は、基本的に穏やかだ。ふざけあったり茶化したりすることはあるが、それも気心がしれた古い友人とのやりとり、という感覚で喧嘩というほどの喧嘩をした覚えはない。
そう答えると、ユタは笑った。
「そっか。それじゃあ、しょうがない」
「何がだよ?」
なんとなく馬鹿にされているようで、ムッとする。そうだ、リャトゥーンとの会話でもこのくらいだ。「ムッとする」ことはある。けれど、別に相手を攻撃して傷つけたり、否定したいわけではない。
「アシュレイとリャトゥーンは、本当に相性がいいんだな。……好いことだよ」
「ラゥはそいつを気に入ったから、《ラゥの司》にするんだろう? 相性が悪いと、そもそも近づかないんじゃないか?」
ユタは首を振った。
「それは、そうだけど。それでも相対的な良し悪しの差はあるし、時が経てば変わってしまうこともあるだろう? 人同士の関係と一緒だよ。仲が悪かったはずなのに、いつの間にか結託していたり、その逆だってある」
「なるほど?」
「《ラゥ》だって様々だ。司る力が異なるという物理的で根本的な違いもあれば、人好きするラゥと人嫌いなラゥ、穏やかなラゥと気性の荒いラゥ、そういった好みや性格の違いもある。眷属の多いラゥと眷属を持たないラゥ、義理堅いラゥと節操のないラゥ。何かがきっかけで、心変わりすることだってあるよ」
「……」
ユタは『そういう風』にラゥのことを見ているのだ、とアシュレイは意外に思った。
アシュレイにとってもラゥは身近なモノだ。リャトゥーンのことは唯一無二の友人だと思っているし、過去に出会ったことのある他のラゥやその眷属と交流したこともある。
ただ、彼らも各々で異なる自我と個性を持っていることは知っていたが、同時にそれは人の心情や感情とは、一線を画したものであることにも気づいていた。
ひらたく言ってしまうと『理解しがたい』ことも多いのだ。どこかで自分たちとは異なる節理に基づいて存在している。
しかしユタはラゥのことを、まるで人と同じ心があるようかのように語るのだ。
おそらくユタはアシュレイよりもずっと年上で、ラゥと関わった経験も多いのだろう。ルンファーリアは《ラゥの司》を集めているとも言っていた。ラゥについての知識がより豊富でも、何ら不自然なことはない。
ただアシュレイはなんとなく、ユタが「そういう考え方」をするのは知識や経験だけが原因ではないのだろう、と思った。
ユタが洞窟の遺跡で見せた表情。そしてユタがグラーチィアを消したとき、発していた言葉。あれはきっと……
「あくまで私個人の考えだけど、その『変わってしまうこと』のひずみが、ラゥの暴走を引き起こしてしまうんじゃないかな。エトラスの大罪については、事情が違うかもしれないけれど。
彼らは『不老』ではあるが、『不死』ではない。他より身体は丈夫だが、『不死身』でもない。怪我をすれば倒れるし、身体が欠損しても再生するわけではない。
全ての生き物と同様に、『死ぬ』だけのダメージを受ければ、当然『死ぬ』のだ。
ただ、《ラゥ》に護られているために、そうなることが少ない、というだけで。
「そうやって《ラゥの司》は死ぬ。不老であっても、実際に百をこえて生きるモノは少ないんじゃないかな。特に『人』の場合はね。具体的にいったい『何』が、そのきっかけになるのかは、わからないけれど……」
ユタは話が逸れたと思ったのだろう。そこで言葉をつぐんだ。
「なるほど。で?」
「一度、ためしに大喧嘩をしてみるといい。……ラゥの深いところで、グラーチィアと同じ気配がするから」
「はぁ?」
アシュレイは、素っ頓狂な声をあげた。
しかたがない。そういうものだと、ユタは肩をすくめている。
「どういうことだよ? それ……」
「言葉どおりの意味だよ。暴走するラゥは、グラーチィアと同じ気配がする」
「そんなの。《ラゥ》と《グラーチィア》が同じモノってか? あ、痛て! こら、リャトゥーン、やめろ! 待てって!」
「あははっ。リャトゥーン、怒ってる?」
「おまっ…… 誰のせいだと…… 痛てっ!」
リャトゥーンに激しく咎められ、アシュレイは頭を抱えた。
「早とちりしないで。それこそ、うちのラゥとも言い争いになったんだけど。『全く同じモノ』ではないみたいだから」
「どういう意味だよ?」
「うーん。私と一緒のラゥの言葉をかりるなら、『力の源が同じだから似ている』ってことらしいよ? だから変な言い方だけど、ラゥの暴走は、グラーチィアが現れたときと同じような状態になるんだって」
アシュレイは両手を上げて、床に倒れ込んだ。
「わかったような、わからないような……」
「あはは。まあ、わかってもわからなくても、どっちでもいいと思うよ。アシュレイが『そう』感じたことがないのなら、それにこしたことはないんだから」
「うーん」
「あ、そうだ。」
ユタは約束を思い出し、タムタを呼んだ。その獣はユタの影からぬるりと這い出ると、アシュレイの側にどっかと横たわる。
「おおぉぉ、タムタだ。やっぱいいなぁ、この毛並み……」
満足そうに、その毛を撫でているアシュレイに、ユタはくすりと笑った。
「例えばだけど、タムタは私と居るラゥの眷属だ。姿かたち、生物としての根本は違うけれど、同じ本質の力を使える。リャトゥーンにもいるでしょ? そういう眷属」
「ああ、なるほど。なんか、わかった気がする」
思い当たることがあったのだろう。アシュレイはうなずいた。
「まあ、そんなこんなで《ラゥ》と《グラーチィア》を同一視する古い考えもあるんだよ。そしてエリタリアでは、その考えが採用されている。つまりラゥの研究はグラーチィアの研究と同じ、ってこと。『ラゥの司を創り出す研究』なら……」
「グラーチィアを、ってことか」
「その可能性が高いってこと。真相はわからないよ。暴論でいいのなら、ラゥを見つけ出して捕まえて研究するより、グラーチィアのほうが幾分マシってだけかもしれない」
ユタは身も蓋もないことを言う。
「それで先生、言葉を濁していたのか」
「たぶんね。でもリンヴァの症状については、本当に情報がないんだ。注意はするとしても、考えすぎても意味はないでしょう?」
「確かに……」
「そうだよ」
「なあ……」
「ん?」
「ユタは、なんでルンファーリアの神官をやっているんだ?」
アシュレイは寝ころんだまま、ユタを見上げて訊ねた。
「なんで、って……」
「いや。ユタは本当に、ルンファーリアの神官っぽくないから。不思議でさ」
ユタはしばし考え、簡潔すぎる言葉を吐いた。
「うーん。『いつの間にか』と『成り行き』かな」
「なんだよ。それ」
アシュレイの不満声を受けて、ユタは笑って説明を重ねる。
「ええっと。私には、二人の養い親がいてね」
「ん? ああ」
「ずっと昔、独りになった私を拾って育ててくれて、色々なことを教えてくれた」
「……そっか」
「で、その二人も《ラゥの司》だったんだけど……」
「……」
「あるとき、二人は『ルンファーリア』を、起てたんだ……」
「……はぁ?」
「『不老がゆえに孤立しがちな《ラゥの司》の拠り所となれば……』二人はそう考えて、ルンファーリアという国を興したんだ。大きくなりすぎて、今じゃ見る影もないけどね。『ルンファーリアのラゥ探し』なんて、他国侵略としか思われていないしさ。でも『《ラゥの司》を探して繋がりを得る』それが、本来の意味の《ラゥ探し》だ」
「そう、なのか」
「だから私は、ルンファーリアの神官に『なった』というより、育ての親がルンファーリアを興すのを『手伝った』から、こんな感じでも第一神官なんだよ」
その言葉の意味するところに気づき、アシュレイは少なからず動揺を見せた。
「ちょ、ユタって何歳? ……だ?」
「アシュレイ。女性にそうそう年齢を訊くものじゃない」
「いや、だって……」
「……そうだな。ルンファーリアの年齢、足すことの33ってところかな?」
「はぁ?」
困惑するアシュレイを横目に、ユタは笑う。
「よーし。できた!」
ユタはそれを掲げ、満足げに眺めた。アシュレイと話している間も、ちまちま手を動かしていたらしい。それは刺繍を施した小さな布細工だった。色糸を編んだ紐を縫い付けて、首や腰帯から下げられるように編んである。
「はい。アシュレイ」
「なんだ。くれるのか?」
「世話になっているからね。こんなもので申し訳ないけど、『お護り』だよ」
「あ、ありがとう」
アシュレイはぽかんとしながらも細工を受けとり、しげしげと眺めた。ムルトの文様と似ているがどこか違う、植物を模したのだろう細かな幾何学模様が刺繍されている。ルンファーリアのモノだろうか? それとも……
酒のものとは違う、じんわりとした熱が腹のあたりに広がる。
アシュレイは黙って、それを首から下げた。
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