10:村の暮らしと激しい少女
翌日、ユタは近所の女性たちに囲まれて、糸をつむいでいた。
アシュレイの制止もむなしく、ユタは彼が家を空けるなり部屋の掃除にとりかかった。というのもこの部屋、まあ男の独り所帯ではしかたがない、と言ってしまえばそれまでなのだが。かなり混沌としていたのだ。
きしむ身体をかばいつつ、ほうきを片手にホコリと格闘していると、人が訪ねてきた。昨日とは違う妙齢の女性だったが、食事を持ってきてくれたらしい。小さな鍋と包みをかかえたまま、彼女はユタの様子を見て爆笑した。
それから「怪我がひどいのに」「いや、でも世話になっているので」という押し問答の末、あれよあれよという間に、隣家の糸巻き車の前へ座らされてしまったのだ。
そこには女性たちが集まっていた。昨日のおばさんの姿もみえる。ユタを見て笑いかけてくれるその様子から、どうやら好意的な人たちのようだ。もしかするとアシュレイが、ユタのことを頼んだ人たちなのかもしれない。
戸惑うユタに彼女たちは笑い、木綿の盛られた籠を渡してきた。
「それにしても驚いたわ」
ユタの手元を覗きこみながら、昨日のおばさんがつぶやいた。
「何がですか?」
首をかしげるユタに、他の女性も感嘆の声をあげる。
「ユタさん、あんた上手いもんだねぇ! 素人には見えないよ?」
「本当に。少しだけでも手伝ってもらえれば、なんて思ってたけど、十分すぎる戦力だわ」
どうやら彼女たちは、ユタの糸つむぎの手際に驚いたようだ。
怪我をしているユタを気遣っての糸つむぎだったが、成果は期待していなかったらしい。しかし彼女の糸車は勢いよく回り続け、すでにいくつかの糸玉が積まれている。
「いえ、懐かしいです。その、子どもの頃はよくやっていたので」
「まあ、そうなの?」
「祭で使う色糸が足りないと思っていたから助かるわ。こんなご時世だけど、できるだけきちんとやりたいものねぇ」
困ったように笑ったおばさんに、ユタは問うた。
「祭が、あるんですか?」
「ええ。村中で大きなかがり火をたいて、踊って唄をうたうの。そうすると唄に惹かれて、死んだ人の魂が現れるんだって。その魂を慰め送り還すための祭よ」
「なるほど。いわゆる死者の祭、御霊鎮めの祭ですね」
「そうそう。御霊鎮めの祭や儀式はどこにでもあるけどね。嘘か本当かは知らないけれど、御霊鎮めの儀式はムルトが起源なんだってさ。カリムの民が使うカリュムントって術は、その御霊鎮めのことだ、っていう学者もいるくらいだ。ムルトはカリムの民の発祥地だからね。縁のものが、結構残っているんだよ」
「カリュムント。古のカリムの民、ですか」
ユタは、先日通ってきた洞窟の遺跡を思い出した。
『ムルトはカリムの民の発祥地』
そういう風にムルトの地では伝わっているようだ。カリムの末裔を主張する国や民族は多い。確かに他所とくらべてムルト地方にカリムの遺跡は多く、現在使われている文様との類似など、その可能性をあげる学者もいる。
「そうそう。聞いたことがあるだろう? 謎につつまれた古の民カリム。滅んでしまったと言われているけれど、ムルトの民のなかにはその血を引いている人もいるっていうよ。そういう人は、ラゥと話ができたり、不思議な力を持っているんだってさ」
「へぇ」
「そうそう。そういう力を持った子は、巫女になる。老子さまのところで修行をするんだよ。祭のときもね、そういう巫女さんたちが舞を踊るんだけど……」
「そういえば、前の祭で向かいの娘が……」
ユタの相槌を待たず、自分たちのおしゃべりに花を咲かせだした女性たちを脇目に、ユタはそっと息を吐く。
そんなユタに、初老の女性がそっと話しかけてきた。
「先日はありがとうね。村を助けてくれて」
傷をいたわるように、女性はユタの腕を撫でる。
「いえ、こちらこそ感謝しているんです。手当てまでしていただいて」
「何を言ってるの。あなたが村を助けてくれたことに変わりはないわ。まあ、納得できない人たちもいるだろうだけど」
「ええ。当然だと、思います」
顔を曇らせたユタの肩を、昨日のおばさんが軽くたたいた。
「この村も、いつのまにか大所帯になってしまったからね。いろんな人間がいるさ。でも少なくともあたしは、あんたに感謝しているよ。気にしなさんな」
「はい。ありが……」
ユタの言葉をさえぎって、扉が乱暴な音をたてた。
「そうよ! あんたなんか、とっとと死んじゃえばよかったのに!」
怒涛の剣幕で怒鳴り込んできたのは、褐色の肌に赤毛をなびかせた少女だった。歳は15ほどだろうか。のばした髪をうなじの後ろでくくり、赤と緑の玉飾りをあしらっている。くりくりとした大きな瞳が可愛らしい。
「ケト!」
ユタの向かいに座っていたおばさんが、声をあげた。
「なによ。あんたなんか! アシュ兄は優しいから、あんたにお情けをかけて助けただけじゃない。そのせいで今、アシュ兄の立場は危ういんだからね!」
「おやめなさい。この人は自分が怪我をしてまで、村を助けてくれたんだよ」
女性のひとりが諫めたが、少女の勢いは止まらない。
「そんなの! こっちに取り入るための演技でしょ。現にアシュ兄の家に、何食わぬ顔で居座っているじゃないの!」
ケト、と呼ばれたその少女は、勝気そうな眉を吊り上げユタを睨みつけている。たいそうな剣幕だ。周囲の言葉も、全く耳に入っていないようにみえる。
事を荒立てるわけにはいかない。ユタは、ただ黙って見返すにとどめることにしたのだが、その態度がカンに障ったのだろう。果敢にも、ケトは罵詈雑言とともに身を乗り出してきた。
ユタはほんの少し対応に迷ったが、彼女の突進を受けとめようと身構えた――が、そんなケトの頭を、突然大きな手が押さえつけたのだ。
「そこまでだ。ケト」
「アシュレイ」
「アシュ兄!」
ケトはアシュレイを認めると、先ほどまでの憎々しげな表情はどこへやら、あふれんばかりの笑顔で彼にまとわりついた。
「アシュ兄。おかえりなさい!」
「ただいま。お前なあ、何を大声で騒いでいるんだ」
「私は、ただ事実を言っているだけよ。アシュ兄は騙されているのよ。この女に!」
「あのなぁ」
「ねえアシュ兄。こんなの放っておいて私の家に来なよ。ごちそうするからさ」
「こいつは怪我人なんだぞ。独りにできないだろうが」
「そんなの、放っておいたらいいじゃない。ひとりのほうが裏で色々できるでしょ」
「なんだよ、それ」
「知らないわよ。こいつはルンファーリアの人間なんだから」
「はぁ……」
アシュレイは肩を落とした。
その様子を見るに、このようなやり取りは普段からなのだろう。アシュレイも、ケトの勢いには参っているようだ。
隣にいたおばさんがくすくすと笑いながら、小声で耳打ちしてくれる。
「ごめんね。ケトってばアシュレイを慕っていてね。あんたに彼をとられたみたいで面白くないのよ。ただの嫉妬だから、許してやっておくれ」
「そうそう。アシュレイの家に年頃の娘……あんたのことだよ? が居候しているって知ったときのケトの顔ったら」
「もう。あんたまで、ケトににらまれるよ」
他のおばさんも加わって、ひやかし話に花が咲く。それを聞いて、ユタもくすりと笑う。
「いえ。かわいい娘ですね」
事実、かわいらしいと思った。こうして自分の感情を素直に出せるのは好もしい。……などと年寄りくさいことをぼんやり考えていると、騒動の矛先がこちらに向いた。
「あのなぁ! いい加減にしとけよ。こんな感じでおとなしくしているが、本気になったらお前ひっくり返されるぞ。先日の戦で、俺と勝負して引き分けたんだからな。こいつは!」
アシュレイがそう言った途端、周囲が驚愕にざわついた。
そういえば、先日アシュレイと剣を交えたとき、あのギルという副官も同じような表情をしていた気がする。
彼に限らず、朱という組織の中で、アシュレイの強さへの信頼は『絶対』らしい。彼と対等に戦える人間が、今まで近くに存在しなかったのだろう。ケトは化物でも見るような顔で、ユタをにらんでいた。
「アシュ兄と戦って、引き分けたっていうの? この女が?」
「そうだよ。なぁ?」
何故か誇らしげに話を振ってくるアシュレイに、ユタは困ってしまった。
「あれは『引き分け』というより、『中断』だと思うけど」
「いいや。お前の剣の腕は、俺と同等かそれ以上だ」
「言い切らないでよ。そんなこと」
ため息をついたユタだったが、真偽の程はお流れになった。
ユタの手元に気づいたアシュレイが、いきなり大声をあげたのだ。
「何やってるんだ! お前!」
あまりの声の大きさに、周囲の視線がユタの手元に集まる。
「何って、糸つむぎ?」
ユタの返事はそっけない。
「なんだよそれ……」
なんとも言えない顔で固まってしまったアシュレイに、何をどう感じとったのか。おばさん連中が助け船を出す。
「そうそう。手伝ってもらっているの。彼女、とても上手なのよ」
「ええ、大助かりよ。それにこれなら座ったままで、できるでしょ?」
おばさんたちが説明している間も、ユタの糸車は回り続けている。
「おい、ユタ」
アシュレイの声の鋭さに、周囲の会話がピタリとやんだ。
しかたなく、ユタは糸車を止めて顔を上げる。
「何もしないでいるのは気が引けるから『手伝わせてください』って、無理を言ったんだ」
「無理だなんて、あたしが無理やり連れてきたようなものだよ」
「ありがたいだけで迷惑なんかじゃないよ。ね、だから落ち着いて?」
珍しいアシュレイの険しい表情に、おばさんたちは驚き、困惑していた。
そんな周囲の声をどうとらえたのか、アシュレイはユタの腕をつかむ。そしてそのまま力任せに腕を引き、引っぱり上げてユタを立たせたのだ。その目は笑っていない。
「お前な、怪我は?」
苦々しく問いかけたアシュレイに、ユタは困ったように答えた。
「ああ、昨日も言っただろう。大丈夫だって」
「大丈夫って。……これでもか?」
アシュレイは彼女の腕を握る手に、力を込める。
「……ひどい奴だな。そんな風に力を入れたら、痛いに決まっているだろう」
「座って話をしているだけかと思ったら。何で休んでいないんだ。言っておくが『力を入れなければ痛くない』なんて怪我じゃなかっただろうが。昨日だって、まだ腕の傷は血がにじんでいる有様だったのに。そんな風に動かすな」
アシュレイの剣幕とその会話の内容に、周囲の人々のほうが慌てる。
「そんな、ユタさん。傷、まだそんなにひどかったのかい?」
「言ってちょうだいな。無理はよくないよ」
心配して騒ぐおばさん連中と苦い表情のアシュレイに、ユタは笑った。
「そうやわな鍛え方はしていないよ。あんな大怪我だったんだから、そもそも無理なんかできないって。でもこうやって動くことはできるし、大丈夫だと思ったから手伝わせてもらっただけ。心配してくれるのはありがたいけど……」
「だからって……」
アシュレイが、なおも何か言いかけた、
そのときである。
「ちょっと! いつまでアシュ兄の手を握ってるのよ!」
アシュレイに放置され、悋気に怒り狂ったケトが、ユタの腕めがけてほうきを叩きつけたのだ。そのままユタを押しのけると、アシュレイの腕にしがみつく。
「なっ!」
「痛っっっ」
避けるに避けられず、腕の傷にほうきの柄が直撃してしまったユタは、そのしびれる激痛に悶絶した。なんとか耐えたものの、痛い。とても痛い。
「ふん。アシュ兄に色目を使うからよ。いい気味だわ!」
「はぁ……」
涙目で右腕をさすりながら、ユタはケトを見た。盛大に喚いているが、ケトの目にも涙がにじんでいる。なんと言ったものか、本当にかわいらしい娘だ。
「ケト! お前、なんてことするんだ。ユタ、大丈夫か? 腕、見せてみろ」
「アシュ兄! こんな女、放っておけばいいでしょ!」
「馬鹿言うな! 放っておけるわけないだろう!」
「何よ、あたしよりこんな女のほうが大事なわけ!?」
「お前はいったい何を言っているんだ!」
アシュレイは、「心底わからない」といった表情で、ケトとユタを見比べた。このニブチン男。ユタは内心毒づくと、腕をさすりながらアシュレイに言った。
「アシュレイ。その子と一緒に居てやって」
「でも、その腕……」
「大丈夫だから」
「んな訳あるか!」
「い・い・か・ら! ほら! 行った!」
そうしてユタはアシュレイの背中を押し、外へと追いやったのだった。
「災難だったねぇ」
アシュレイとケトの姿が扉の向こうに消えると、おばさんが言った。笑いをこらえていたのだろう。心なしか、こちらも目元に涙がにじんでいる。
「はぁ。ええ、なかなか激しい娘ですね」
ユタは右腕を見てため息をついた。じわりとした痺れが残っている。どうやら傷口が開いてしまったらしい、包帯には薄く血がにじんでいた。
そのため息をどうとらえたのか、おばさんが説明してくれる。
「ケトはねえ。何年前になるかしら、カヌ羊の放牧をしていて狼に襲われてね。運よく通りかかった、アシュレイに助けられたのよ。だから、ね」
おばさんは申し訳なさそうにそう言うと、包帯の上から柔らかい布を巻いてくれた。
「ケトったら、そうとう入れあげたみたいでね。アシュレイの後を付いてまわったの。彼、旅の途中だったみたいなんだけど、急ぎでもないっていうし、しばらくこの村に滞在することになったのよ。そうこうしているうちに戦がひどくなって、気がついたらこの状況よ」
「……アシュレイって、この村の出身じゃないんですか?」
そのことにユタは驚いた。そして同時に、ひどく納得もしたのだった。
外見的に歳をとることのないラゥの司が、生まれ育った村で暮らし続けることは難しい。きっかけは自発的にしろ、そうでないにしろ、いつか故郷を離れることになる。旅をしていたということは、彼は世界を転々としてきたのだろう。
しかし―—
「ええ、実はそうなのよ。朱の大将ってことでムルト出身ってことにはしているけどね。本当はほんの数年前に村にやってきた旅人なの」
「そう、ですか」
「ユタさん?」
「そう、だったんですね」
ユタは、遠目からアシュレイの背を見つめた。
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