9:ランペレスの村

「うう……ん」


 白い光のまぶしさに、ユタは目を覚ました。ぼんやりと見知らぬ天井が見える。内心首をかしげて身体を起こそうとすると、全身に痛みが走った。

 その激痛に、記憶がよみがえる。


 自分はグラーチィアの影に触れたのだ。触れたというより身体にぶち当たった、というほうが正しいかもしれない。


「よく、生きてたなぁ」


 思わずユタの口から、しみじみと言葉が漏れた。身体は相当なダメージを受けていたはずだ。しかしよくよく確かめてみると、それらの傷はとても丁寧に手当てされていた。


「包帯。……手当て、されている」


 不思議だった。自分はここでは『敵』であるはずなのに。捕虜にするにしても、ずいぶんな好待遇だ。アシュレイはああいう性格だから、彼が手を回してくれたのかもしれないが。

 部屋はひっそりと薄暗かったが、窓から差し込む光がちょうど顔にあたる。

 ここはどこだろう。医者の家というには、それらしい道具がない。かといって牢屋にも見えないし、見張りの兵がいるわけでもない。捕虜として閉じ込められている、というわけでもなさそうだ。

 アシュレイは、どこにいるのだろう。近くに姿はみえなかった。


 身体中にじわじわと響く痛みを感じながら、ぼんやりと考えた。

 どこかで子どもが遊んでいるのか、甲高い笑い声が遠くから聞こえる。

 なつかしい音がする。柔らかい風が包帯だらけの頬をなで、ユタはふたたび目を閉じた。


 どのくらい眠っていたのか。ユタは扉の外に気配を感じてふたたび目を覚ました。誰かがやって来たようだ。確認しようと、ユタは身体を起こす。


「い、痛たた……。さすがに、ちょっと、きつい、かな……」


 ゆっくり、ゆっくり、一歩、一歩。少しずつ進み、扉に手をかけた。驚いたことに、鍵はかかっていなかった。


「おや。もう身体はいいのかい。無理しちゃいけないよ?」


 扉の前には、妙齢の女性が立っていた。彼女はいきなり扉が開いたことに驚いたようだったが、ユタを認めると心配そうに顔を覗き込んでくる。


「え、ええと。……はい」


 とりあえず、肯定しておく。

 その女性は、臆することなくユタに近寄ると額に手を当ててきた。どうやら体温をみているらしい。


「うん。熱は下がっているようだね。でもお医者先生のところで、ちゃんと診てもらうんだよ。薬が効いているだけかもしれないし。……それにしてもあんた、すごい回復力だねえ。正直、怪我の状態を見たときには駄目だと思ったんだけど、たったの三日で動けるようになるなんて。たいしたもんだよ!」

「あの、アシュレイ・ハーノルドはどこにいますか?」


 女性の勢いに気圧されながらも、ユタは訊ねてみた。


「ああ。アシュレイなら上の連中と話しているよ。あの様子じゃ、もう少し時間がかかるんじゃないかねぇ」


 と、ちょっと困ったように教えてくれる。


「そう、ですか」

「まあ、そう気落ちしなくても。そのうち帰ってくるよ」

「帰ってくる? もしかしてここ、アシュレイ・ハーノルドの家なんですか?」

「あはは。そうだよ。ここは、アシュレイがこの村で寝泊まりしている家だ」


『なんてこと。そんなことをしたら……』ユタは心のなかでツッコミを入れる。

 なんとも言えない表情になったユタに、何を思ったのか女性は笑った。


「ほら、そんな顔をしないでも大丈夫だよ。あんたが何者だろうと、とって食いやしないから安心おし。ほら! まずはちゃんと休みなさいな」

「……はい」


 涙が、出そうだった。




 アシュレイが帰ってきたのは夜遅く、真夜中に近かった。包帯だらけの身体をかばいながらも立ちあがり、ユタは彼を出迎える。


「ユタ、起きてたのか。傷はどうだ?」

「うん、ずいぶん寝たからね。だいぶいいよ」


 傷の具合は、昼間よりずいぶん楽になっていた。


「そうか。そりゃ良かった。でもずっと寝てたんだし、身体はきついだろ? 座ってな」


 アシュレイはそう言って荷物を部屋のすみに投げ出すと、外套を脱ぐ。


「昼間さ……」

「ん?」

「昼間、目が覚めたときに外を見たんだ。隣のおばさんが来てくれて、世話をしてくれた。いい村だね、ここは。敵の私にも好くしてくれる人がいる。……まあ、皆が皆ってわけじゃないみたいだけど」


 苦笑いしながらそう言って、ユタはアシュレイを見あげた。

 戸を開けたときに目にした『親しげに話しかけてきた女性』と『それを遠巻きに伺っていた人たち』彼らは、ユタの滞在を快く思わない人なのだろう。自分の存在をめぐって、人々の意見が二分していることは容易に想像できた。


「悪い。ユタのことは、やっぱり微妙でさ。不用意に家から出ないほうがいい。不便をかけてすまないな」


 アシュレイも面倒が身にしみているのだろう。疲れた笑いを返してくる。


「とんでもない。最悪、殺されていたかもしれないんだ。感謝しているよ」

「いや、こちらこそ悪かった。俺が下手に突っ込んだばっかりに、大怪我させちまって。ありがとうな。助けてくれて」

「ううん。私も説明が足りなかったんだ。前もって、グラーチィアの対応について話しておけばよかった」

「そうだ。あのグラーチィア。ユタが何か術をかけたら消えたけど、すごいな。あれってなんの術だ? 俺にもできるかな?」

「うーん。あれは……」


 ユタは、口ごもった。


「無理か? あ、もしかしてルンファーリアの秘術かなんか? 古式術だよな?」

「いや、あれは言葉で説明するのが難しくて。確かに古式術の一つではあるけど。ただ、鍛錬を積めばどうにかなるっていう類の術じゃないから、アシュレイには、難しいと思う」

「才能が要る、ってことか?」

「いや。どちらかというと、……遺伝?」

「そっか。それじゃあ、どうしようもないな」


 アシュレイはそれ以上追求せず、話題を変えた。あっさりしたものだ。

 何かしら感づいているだろうに、その心遣いがありがたかった。


「そういえば、リンヴァのことだけど……」

「リンヴァって、あの男の子?」

「ああ。意識は戻っていない。今は村のお医者先生のところにいるよ」

「そう、もろにグラーチィアと接触してしまったからね」


 ユタは表情を曇らせた。


「正直、厳しいだろうな。ただ息はあるそうだ。一度見舞いに行こう。ユタの怪我も看てもらわないといけないし」

「そうだね。私もお礼を言わないと。ここの医者は相当良い腕だね。傷の縫い方がすごく綺麗なんだもの」


 自分の傷跡を見て驚いたのだ。あれだけひどい傷をつくったのに、その縫合は最小限かつ的確だった。おそらく、そのお医者先生とやらの治療でなければ、起き上がれるようになるまで、もっと時間がかかっていただろう。


「ああ。あと断っておくけど、あんたの傷の手当てをしたのは、そのお医者先生とおばさん達だからな!」

「ん?」


 意味がわからず、眉を寄せたユタだったが、


「いや、だからユタを看病するっつっても、ここは俺の家なわけで。でも、その、包帯を換えたりなんかは、先生とおばさんたちがやってくれて、っていう……」


 アシュレイは、あらぬ方向に視線を流しながらぶつぶつとつぶやいている。心なしか顔が赤い。おもわずユタは、ふきだしてしまった。笑いが傷にひびき、身悶える。


「お、おい。大丈夫か?」

「ああ。……大丈夫。くくぅ……」


 心配そうに気遣うアシュレイだったが、ユタがくつくつと笑い続けているのを見てぼやいた。


「笑うなよ」

「だって。やましいことがあったのならいざ知らず、怪我の治療をしてもらっておいて、そんなこと根にもたないよ」

「そう言われても、俺は気にするんだよ。それに……」

 アシュレイは言葉をにごし、顔を曇らせた。

「ふうん。まあ、そういうことにしておくよ。悪いね、何から何まで気を遣わせてしまって」

「……すまない」

「どうしてアシュレイが謝るのさ? 私の怪我を看てくれて、他でもないその私にあらぬ疑いをかけられるリスクを負ってまで、私を『自分の家』にかくまってくれているのに」

「それは……」

「感謝してるよ、本当にありがとう。……大変だったんじゃない? 私が動けない間にどうこうしよう、って輩もいたでしょうに」


 何でもないことのように笑うユタに、アシュレイは目を見張る。


「まったく。ユタには驚かされてばかりだ。しばらくはおとなしくしていろよ。そういった心配もあるけど、そもそも傷が塞がってないんだから。まずはちゃんと治せ。身の回りのことは、隣のおばさんがやってくれるからさ」

「そうだね。でも、ただじっとしているのは申し訳ないし、なにか手伝えることがあればやらせてよ」

「お前なぁ」


 アシュレイは呆れたが、ユタは意欲を見せている。


「大丈夫。せっかく助けてもらった命なんだから。意識がない間は危なかったかも知れないけど、ここまで起き上がれれば十分だよ。心配しなくても、黙って殺されたりはしないし、やり返したりもしない」

「ユタ……」

「自分の身は自分で護るよ。そのあたりは上手くやるから。私が言えた義理じゃないけど、アシュレイも、この状況を何とかしないといけないでしょう?」

「はあ。本当にユタって……」

「そんなにあきれること?」

「いいや、なんでもない。でもこの家からは出るなよ。出るときは俺と一緒に、だ」

「はーい。大将」


 夜は、淡々と更けていった。




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