8:諍い
村のあちらこちらから炎と煙が上がり、悲鳴と叫び声が聞こえてくる。
ランペレスに辿り着いたユタとアシュレイは、自分たちの予測が最悪の形で当たってしまったことを悟った。
「遅かったか。グラーチィアはどこだ?」
「広場の方だ。ユタ、こっちだ」
駆け出したアシュレイについて行くと、開けた場所に出た。グラーチィアは広場の中央に陣取り、目に付いたものを手当たりしだい攻撃しているようだ。周囲には傷を負った人々が倒れ、瓦礫が積みあがっている。
まさにこの瞬間も、グラーチィアは一人の少年を飲み込もうとしているところだった。少年は言葉にならない悲鳴をあげ、泣き叫んでいる。周りの村人たちが少年を助けようと武器をふりまわしていたが、むなしく被害を広げていた。
「リンヴァ!」
見知った顔だったのだろう、アシュレイは少年の名前を叫ぶと剣を抜き、グラーチィアに向ける。しかし、ユタは飛び出そうとする彼を引き止めた。
「やめろアシュレイ。グラーチィアに武器を向けるな!」
「はぁ? 何を言っているんだ! 助けないと、リンヴァが!」
その声でこちらに気付いた村人が、嬉々として声をあげる。
「アシュレイ! 戻ってきたのか」
「皆、もう大丈夫だ。アシュレイが戻ってきたぞ!」
「アシュレイ。早く助けておくれ」
自分たちの大将の帰還に、歓声を上げる。
「ああ!」
声援に応えるようにグラーチィアに向かうアシュレイの腕を、ユタはつかんだ。
「待てって!」
「待っていられるか! 早く助けないと、リンヴァが死んじまうだろうが!」
「グラーチィアを剣で倒そうとしてどうする! いいから待て! ちゃんと考えろ!」
「だから待てるか、って言ってるだろ!」
アシュレイに食ってかかっては押し問答するユタを、人々は奇妙なものを見る目つきで眺めている。しかしそうこうしている間にも、少年はずぶずぶと飲み込まれていってしまう。
「リンヴァ!」
「やめろ! アシュレイ!」
なおも引きとめようとするユタに、アシュレイもかっとなったのだろう。力任せに彼女を押しのけて叫んだ。
「なんなんだ! 人が目の前で死にかけているんだぞ。それともルンファーリアの神官ってのは、人の生き死になんてどうでもいいってのか!」
「っ……」
アシュレイに押されてバランスを崩したが、ユタはまっすぐにアシュレイを見返した。
「人が死のうかって時に、何が『待て』だよ!」
そう言い放つと、アシュレイはグラーチィアの方へ駆け出した。ユタはなおも引きとめようとしたが、朱の兵に遮られてしまう。
「やはりルンファーリアの神官だな。人の命はどうでもいいらしい」
声のほうを見ると、確かギルといったか、戦場でアシュレイの傍にいた銀髪が鋭い視線と剣の切っ先を、ユタへ向けてきた。
兵たちに囲まれたユタだったが、その表情に焦りはない。周囲からは『ルンファーリアの神官が何故』と、侮蔑と非難の入り混じった視線が注がれていたが、それも気にしなかった。
「私はただ、『グラーチィアに剣を向けるのは逆に危険だ』と言っているだけだ」
「馬鹿を言うな。お前たちルンファーリアは……」
「私を責めるのは勝手だが、今はそんな場合じゃないだろう? あのグラーチィアを何とかできなければ、命はないぞ。お前たちも、私も」
声を荒げたギルに、ユタは毅然と言いかえした。その物言いに、ギルは肩をわなわなと震わせる。
ユタは一瞥すると、自分に向けられている敵意と包囲は気にもせず、グラーチィアへと足を向けた。その所作があまりに堂々としていたものだから、朱の兵士たちが思わず武器を降ろしてしまったほどだ。
アシュレイは、グラーチィア相手に奮戦している。彼は強い。グラーチィアと戦えること自体に不思議はない。ラゥの術もある。
しかし相手はグラーチィアだ。このまま戦い続けたところで、こちらに分があるとは言いがたかった。
ユタは息を深く吐くと、奮闘中のアシュレイにおもむろに近づいた。
「アシュレイ!」
「なっ、なんだよ!」
アシュレイは、侮蔑をこめた瞳でユタを睨んだ。
「いいから聞け。グラーチィアに、武器を向けては駄目だ」
「馬鹿いうな! 武器を向けないで、どうやって倒すんだよ」
「馬鹿はアシュレイのほうだ。ったく。以前グラーチィアと遭遇したとき助かったのは、ただ運が良かっただけか? グラーチィアを『倒そう』とするなんて……」
「なっ」
ひるんだアシュレイの腕に、グラーチィアの触手が一筋、絡み付いてきた。痛みに顔をしかめたアシュレイだったが、なんとか引きずり込まれるのは防ぐ。
「くそっ」
そして絡まる触手を断ち切ろうと、アシュレイは剣を大きく振りかぶった。
しかし――――
「こんの、馬鹿たれっ!」
ユタは悪態をつくと、アシュレイとグラーチィアの間に割り込み、その剣を止めた。
「何するんだ!」
「うるさい! さっきから言っているだろうが。『この仔』に武器を向けるな。取り返しがつかなくなるぞ」
「なん、だって!?」
アシュレイは目を白黒させるしかない。
「いいから少し黙れ。……動くなよ」
ユタは触手に触れるのも構わずリンヴァの手を持ち、力まかせに引っこ抜いた。
驚いたのはアシュレイだ。唖然としていると、気を失った少年を押し付けられる。
目の前の光景に、まったくついていけていない。
「いいか。その子のこと、離すなよ!」
ユタは念を押すと、少年を抱えたアシュレイごとグラーチィアから引き離した。
「ユタ!」
アシュレイは悲鳴をあげる。彼とリンヴァはグラーチィアから離れたものの、ユタの身体にはまだ黒い触手がまとわりついたままだ。アシュレイの腕には、生々しい傷跡が残っている。少し触れただけでこの傷なのだから、今のユタは立ってなどいられないはずだ。近くにいた住人にリンヴァをあずけ、助けに入ろうとする。
「ユタ! 早く逃げろ!」
叫んで手を伸ばしたが、触手に阻まれてしまう。アシュレイは剣をつかんだ。
「やめろ、と言っているだろうに。『この仔』に武器を向けるんじゃない」
あきれた声で、ユタはアシュレイを止めた。しかしその身体は目に見えて傷ついて、声にも覇気がなかった。
「馬鹿! そんな状態で何言ってやがる!」
「いいから。武器は向けるな。こちらが傷つけようとしなければ、大丈夫だ」
「そんなこと……」
「大丈夫」
ユタはそう言い切ると、グラーチィアと向き合い、そして何事か話しかけた。
『 ―————— ・ ――—————— 』
「ユタ。お前、何を言って……」
『 ―――———— ・ ―———— ―————— ・—— ・ ― ・————— ・ ―———————————— 』
ユタは、不思議な言葉を、音にのせて唄った。
言葉とも唄ともとれない。そんな音だった。
『 ――― ・ ―― ・ ――――――――― 』
すると彼女らを中心に大きな陣が浮かび上がったかと思うと、グラーチィアが消えたのだ。まるで元から何も存在していなかったかのように、霧のように、煙のように、うっすらとかすれて消えてしまった。
広場の中心には、ユタだけがひとり残された。
そしてユタは乾いた音をたて、その場でパタリと崩れ落ちた。
「おい! 大丈夫か? 返事しろ!」
アシュレイは、ぼろぼろになったユタの身体を抱きかかえた。ユタは瞳を閉じ、ぐったりと、その体重のすべてをアシュレイにあずけている。頭と足、右手からはどくどくと血が流れ出ており、地面に決して小さくない血だまりをつくっている。ひどい怪我だ。
「おい。死ぬなよ」
アシュレイは叫び、血まみれのユタを抱えあげた。
しかし彼の前に、ギルが立ちふさがる。
「アシュレイ。その女をどうするつもりだ?」
アシュレイはユタを腕に抱いたまま、ギルに視線を向けた。彼の言いたいことは予想がつく。敵であるユタを助けるな、と言うのだろう。
それでもアシュレイには、ユタを見捨てることはできなかった。彼女が傷ついたのは自分とリンヴァを助けた結果だったし、なにより彼女には死んで欲しくなかった。久しぶりに出会った同じ境遇の人だった、というだけではない。
彼女ともっと話してみたい。彼女のことをもっと知りたい。そういう欲求がアシュレイを焦がしていた。「このような形で失いたくない」と、心から思った。
「とにかく、傷の手当をする。敵だろうが何だろうが、彼女がグラーチィアを退けてくれたことに変わりはないだろう。大丈夫だ。お前たちに迷惑はかけない。俺が自分の家で、責任持って面倒をみる」
「……お前、自分が何を言っているのか、わかっているのか?」
見苦しい言い訳をするな、とギルは苦々しく吐き捨てた。
「ああ。わかっているつもりだ。だが俺は、こいつを死なせたくない」
ただ、本音を言った。この感情を、理解してもらえずとも、かまわない。
「お前、このままだと立場がなくなるぞ。そうでなくてもお前は……」
「それもわかっている。それでも、いいんだ」
「っっ……」
ギルは何事か叫んだが、アシュレイは無視して背を向けた。
「ちょいとお待ち」
隣人に呼び止められ、アシュレイは顔をふせた。
この人は息子夫婦をルンファーリアの軍に殺されている。ユタが憎くないはずはないのだ。その彼女を、自分は助けようとしている。
「ごめんな、おばちゃん。俺、大将失格だな。でも……」
「いいや。そうじゃない」
下を向いたアシュレイの言葉を遮るように、彼女は言った。
「その人は、たしかにルンファーリアの人間なんだろう。けどね、あんたやリンヴァを、ひいてはこの村を、あんな化物から守ってくれたのは事実だ。もちろん、思うことはないわけじゃないが、そんな大怪我までして助けてくれたことには、礼を尽くさなきゃいけないよ」
「おばちゃん?」
「それよりも、だ。そんな娘さんの世話を、あんた、ひとりでできるのかい?」
「あ……」
それは全く考えていなかった。間抜けなことに。
「お願い、します」
アシュレイは、顔を真っ赤にして頭を下げた。
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