7:カリムの遺跡

 洞窟の中は広かった。だがアシュレイが言ったように、歩けるだけの足場は見当たらない。足元には黒い水が、静かにたゆたっている。


「確かに、これは……」

「だろ? 水路として筏で通れないかと試してみたこともあるんだが、凸凹が多くてさ。岩にひっかかるんだよ」

「タムタ。どう? 行けそう?」


 ユタが訊ねると、タムタはひらひらと頭の触覚を揺らした。

 タムタはしばらく鼻をひくつかせ、何やら確かめているようだったが、やがてユタとアシュレイに背に乗るように促した。どうやら見込みはあるようだ。

二人は頷いて、タムタの背にまたかがった。


 彼らはゆるゆると、洞窟の奥へと進んでいく。ひんやりと薄暗く、見通しが悪い。岩が重なる狭い隙間と、ぽっかり拓いた広々とした空間を繰り返す、なんということのない「普通の」洞窟だ。しかしこの空間に、ユタはふと違和感を覚えた。


「アシュレイ。ここって、自然にできた洞窟ではないの?」

「え? さあ。前からここに在ったし、詳しくはわからないな。でも、水没する前はランペレスからアルトゥスへの抜け道として使われていたし、それなりに人の手は入っていると思うぞ」

「そう」

「何か、気になることでも?」

「なんだろう。何かがひっかかるんだけど、上手く説明できなくて」


 そう言って、ユタは周囲を見まわした。明かり取りだろうか、壁には適度な間隔で松明用の穴が開けられていたり、ランプを吊るすフックらしき跡が残っている。しかし、そういう類の違和感ではない。


 頭を悩ませていたところで、タムタが小さく吠えた。何かに気づいたらしい。見ると、水路の脇に小さな足場があり、奥が空洞になっている。通路として使われていた時の名残かもしれないが、周囲の岩肌とはどうも様相が違った。

 アシュレイはその壁に手を置き、つい、と撫でてみる。


「へえ、こんな場所があったなんて知らなかったな。なんだろう? ここは」


 よくよく確かめてみると空洞の壁にはびっしりと、細かい文様が彫り込まれている。ムルトで使われている服や日用品に刺繍されている模様にも似ているが、アシュレイには何が描かれているのかわからなかった。


「これって模様? 文字か?」

「……カリュムント」


 同じように壁の文様に触れていたユタが、息をのみ小さくつぶやいた。

「って、カリムの民の? これが?」

「なんで、こんなところに……」

「カリムの遺跡、ってことか?」

「おそらく」

「まじか」


 『カリムの民』と呼ばれる古い一族がいる。

 聖霊・ラゥに愛され、共に生きる一族で、その言葉を操り『カリュムント』という強力な術を使うと言われていた。

 「言われていた」というのは、あくまでも『言い伝え』にすぎないからだ。彼らの血族はすでになく、今では各地に遺された『遺跡』や『古式術』と呼ばれる古い術にその様式が遺るのみとなっていた。

 カリムの民について調べている研究者や、古式術を扱うためにカリュムントを解析しようとする術者も居たが、それも遺跡を掘り返して調査するしかない。カリムの民がどうして滅びてしまったのか、様々な推測はあるものの真実は誰にもわからない。 

 いわゆる《謎の民》だった。


 『ここ』もそんな遺跡の一つなのだろう。小さな遺跡だが、盗賊や研究者に荒らされた様子がないのは珍しかった。洞窟が通路として使われていた時は岩に隠されていて、水没による浸食で姿を現したのかもしれない。


「ユタ。よくこれがカリュムントだって分かったな」

「まあ、今でも古い術には、使われている文様だからね。他の遺跡を見たこともあるし。やっぱり、独特の雰囲気が似ているなぁ」

「……ふぅん」


 アシュレイは意味深な視線をユタに送ったが、深く追求することは避けた。


「うーん。一度ちゃんとした装備と道具を持ち込んで、調べたいなぁ」

「おい」


 ユタはユタで、本格的に遺跡を調査したいようだ。意外にも、こういうモノが好きらしい。興味深げに壁に触れ、カリュムントの文様を眺める様子は、なぜかネズミを見つめる猫を連想させた。

 しかし今はそれどころではない。彼女はあきらめたらしく、口をとがらせた。


「しかたがない。今は、あのグラーチィアのことが優先だ。でも、わかったことがあるよ」

「なんだ?」

「あのグラーチィアが消えた理由。たぶん、このカリムの遺跡があったからだ」

「はぁ? どういうことだ?」


 ユタは話を続けながら、タムタの背にまたがった。そしてアシュレイにも早く乗るように促した。タムタはユタの意をくんで、ふたたび洞窟の奥へと足を進めていく。


「ああ。《ラゥの司》が二人もいたのにグラーチィアが消えたのはたぶん、この遺跡を、というより、ここのカリュムントを避けたんだ」

「へえ、なんでまた?」

「カリムの遺跡の壁や柱には『グラーチィア避け』の文様が刻まれているんだ。同じようなものを、他で見たことがある。きっとこれもそうだよ」


 指差された壁を見ると、確かに連続してくり返す文様が刻まれている。が、正直なところアシュレイには、よく分からなかった。しかしユタがそういうのならば、そうなのだろう。


「なるほどな。でも、なんだってわざわざそんなモノを?」

「あくまで持論だけど、カリムの民はグラーチィアをどうにかできていたんじゃないかと思うんだ。彼らの脅威に対応できていた、というか。例えばグラーチィアには基本的に、剣も魔術も通じない。けれど、ラゥの術や古式術なら通じるでしょう? つまり、ラゥの言葉を使ったカリムの術、古式術ならグラーチィアに効く。とも言える」


 アシュレイは、なるほどと手を打った。


「確かに。剣は全く通らなかったけど、ラゥの術は効いたな」

「でしょ? ルンファーリアでも、グラーチィアの対応は《ラゥの司》か、古式術が使える神官があたるようにしているくらいだもの」

「へぇ」

「あのグラーチィアにとって、私たちを追うことよりも、ここのグラーチィア避けの文様を避けることの方が重要だったんだ。だから、アレは姿を消したんだと思う。ただ……」

「ん?」

「ただ、その仮説が正しいのなら、あのグラーチィアがランペレスに向かった可能性も、高くなってしまう」


 ユタの言葉に、アシュレイは息をのんだ。

 顔を強張らせたアシュレイを横目に、ユタはタムタの耳の後ろを撫でた。

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