2:副官と馬車の中

 ムルトに向かう馬車の中で、ユタは副官のノルカと向き合い座っていた。


 急な進軍のため、準備には時間がかかる。しかし将を欠いた前線は一刻を争う状態だ。そのためユタは主力部隊の進軍はもう一人の副官に任せ、先に前線と合流することにしたのだ。先方は面倒くさがるかもしれないが、この方がずっと早く戦況を把握できるし対策も立てやすい。


 引継ぎのための書類を確認し、ノルカと段取りの打ち合わせをすませて本国への報告書を書き上げると、ユタはやっとのことで一息ついた。ぐうっと伸びをし、揺れる狭い窓から外を眺める。

 ルンファーリアからムルト地方に入るには、山脈を越えなければならない。山頂には雪が残っているのだろう。山の尾根が白く染まっているのが見えた。


「やはり山を越えての進軍は強行になるなぁ」などとユタは考え、ぼんやりとクルスとの会話を思い起こした。



 ラトゥータの報告を聞いたクルス皇は、従者に茶でも頼むような気安さで、ムルト地方進軍の将を務めるようユタに命じた。


「おそらく、その《朱》とやらの中にラゥの司がいるのだろう。ユタが『好い』と思うようにしてくれればいい。ランダー第三神官は気の毒だったが、ラゥの司が相手ならばいたし方あるまい。彼の部隊はユタが引き継ぐように」


 ユタはふと、クルスの言葉に違和感を覚えた。


「『好きなようにしろ』とはずいぶんと雑だな。今回は私が個人的に動くわけじゃないし、『将』として軍を動かすなら、もう少し具体的なことをすり合わせておきたいのだけど」

「いや。彼もしくは彼女を説得するもよし、ラゥだけを奪ってきてもよし、ユタがよいと思うように処理してかまわない」

「それは、私がそのラゥの司と関わらずに放っておく、とかでも?」

「ユタがそう望んだのならば、かまわないよ」

「そんなの」


 挑発するようなユタの質問にも、クルス皇の応えは変わらなかった。



 一体どうつもりなのだろう、クルスは。彼の考えを細々と問うつもりはない。ユタには経験があったし、政や軍の采配を任せられることも稀ではない。

 だが先日の皇の物言いには、なにかが引っかかった。こういう場合、いつもなら「任せる」と言うのだ。しかし、今回は「好いと思うようにしろ」と言う。細かいことかもしれないが、魚の小骨がのどに引っかかった様な、何ともいえない居心地の悪さだった。


「ユタ様?」


 よほど妙な顔をしていたのだろう。意識を戻すと副官が怪訝な表情でこちらを見ていた。


「ああ。ごめん、ノルカ。大丈夫だ」

「そう、ですか?」


 疑わしい様子のノルカだったが、ユタが笑ったのを見て「とりあえず良し」としたようだ。


 ユタの向かいに座るのはノルカ・リッツ。黒に近い灰色の髪と瞳をした小柄な女性だ。年のころは三十半ばといったところで、二十歳程度にしか見えないユタと並ぶと、どちらが上官か分からない。

 商家の出でありながらその戦術のセンスを買われ、下積みから第三神官まで上り詰めた叩き上げである。きつい印象を持たせるつり目と、歯に衣を着せぬ物言いからか、他の神官たちから疎まれる傾向にあった彼女だが、ユタはこの副官のことが気に入っていた。下手に媚を売ってこないのが良い、というのだ。


 こんな話がある。

 ノルカが第三神官になったばかり、つまり神殿の深部に立ち入りが許された頃だ。汚れた旅装のまま神殿をふらついていたユタを、ノルカが見咎めたのだ。「賊が!」と第一神官を犯罪者呼ばわりしたあげく剣を向け、周囲を震えあがらせた。同時に一部の神官の腹筋を笑いすぎで痛めさせたといわれている。

 そもそも彼女が知る由もなかった特殊な第一神官の実態であり、その場でユタも笑って許したのだ。が、このノルカという女性も、少しばかり普通ではなかった。

 普通の神官はユタの奇行についてひとたび知ると、以降は見て見ぬふりをする。「臭いものには蓋を」もとい、触らぬ神官に何とやらの精神だ。

 しかし、再びユタの突飛な行動に出くわしたノルカは、以前と同じようにユタのことを厳しく諫めたのだ。今度は慇懃無礼にへりくだった態度で、というオマケつきだ。一部の神官の腹筋がさらなる痛みを訴えたのは、ここだけの話である。


 今でも「別に敬語で話さなくてもいい」とユタは言うのだが、ノルカは「見た目はどうあれ、上官には敬意を払うものです」と言って聞かない。筋金入りの堅物だ。

そんな忌憚のないところが気に入って、ユタは彼女を副官に置いていた。


「ユタ様。少し、お聞きしてもよろしいでしょうか」


 そんなノルカが、改まった調子で問うてきたのだ。ユタはほんの少し緊張する。


「いいよ。何?」

「この進軍の、意図は何なのですか? 正直申し上げて、全く意味が解りません」

「……さすが。はっきり言うね」


 上官に向かって、こうもはっきりと異論を訴えてくる。しかも、ユタ自身も迷いを抱いている点を的確に突いてくるのだ。これだから、この副官は面白い。


「『ムルト地方で生じた反乱組織の鎮圧とその引継ぎ』 そういう名目ですが、説明が無さすぎます。ランダー第三神官の代わりに、第一神官のユタ様が出られる必要性が全く感じられません。妙に強行軍ですし、それに……」

「それに?」

「兵たちの間に、噂が流れているんです。この進軍はじつは《ラゥ探し》なのだと。私はそう呼ばれる進軍は初めてなのでよく分かりませんが、国がムルトを押さえたいのならば、わざわざ《ラゥ探し》などと言わずに、ただ《制圧》や《鎮圧》と言えばいいんです。そんな曖昧な任務内容を兵たちに説明する、こちらの身にもなってください」


 結構な憤慨ぶりだ。ノルカがこうも訴えてくるということは、末端では結構な混乱がおこっているのだろう。


「じつは、私も考えあぐねているんだよ」


 ノルカに席に座るようになだめると、ユタは正直な気持ちを応えた。


「はぐらかさないでください。ユタ様」

「はぐらかしてなんかいないよ。この進軍を《ラゥ探し》にするのか、ただ《朱の制圧》にするのか。じつは結構、真剣に迷っている」

「それは……」


 言葉が続かないノルカに、ユタは訊いた。


「でもそうか、ノルカは《ラゥ探し》は初めてだっけ?」


 ルンファーリアでは《ラゥ探し》と呼ばれている任務がある。

通常軍の仕事といえば、常時は神殿や市街の警備、関所の護り、敵対する勢力との戦、内乱の鎮圧、災害や魔物被害の対応などだ。しかし《ラゥ探し》は、そもそもが少し赴きを異とするものだった。


「言葉のとおりだよ。《ラゥ探し》は《ラゥを探して、ラゥを手に入れる》ことだ」

「《ラゥ》を、ですか?」


 ノルカは分かったような、分からないような、微妙な顔をした。


「ああ。ノルカは《聖霊・ラゥ》って、どういうものだと思ってる?」

「要は『《はじまりの唄》に出てくる、女神がこぼした涙から生まれた存在』ですよね? 世界を形創るための諸々を司っているとか、いないとか。そのラゥの力を宿したモノが『ラゥの司』と呼ばれ、その力を行使できる。そういう信仰形態のひとつ、だと思います」

「うん。そう言われている『何か』のことだ。で、私たち軍の普段の主な仕事は、各所の警備や敵対勢力や内乱の制圧。災害の対応や対策。各地に出没した獣や魔物、あと《グラーチィア》だね、それらの討伐、追い払うこと」

「はい。数ヶ月前にも東方の村がやられたとか。出動命令が正規軍にも回ってきたようで、結構な騒ぎでした」

「そう。そういった公の任務以外に、《ラゥ探し》がある。《ラゥをさがして、手に入れる》」

「ですがそれは……」

「そう。《ラゥ探し》なんて、たいていの人は本気にしていない。『どうやってカタチのわからない、そもそも本当に存在するかどうかもわからないモノを、探して捕まえるんだ』ってね。ノルカの言うとおり《ルンファーリアのラゥ探し》なんて、《他国侵略》と同意語として、酒場の話のネタになっているのが関の山だよ」

「では……?」


 やはり方便なのか、というノルカの無言の圧を、ユタは制した。


「肝心なのは、ルンファーリアの上層部……そうだね、第一神官以上の人間は、「本気で」ラゥを集めようと行動している、ってこと。第一神官の《ラゥ探し》と第二神官以下のそれでは、意味も重みも全く異なる。今回の進軍が異様に見えるのは、『私が《ラゥ探し》をしようとしているから』そういうことだと思うよ」

「そういうもの、ですか」

「そ。だから皆への説明は、難しいと思うけどお願い。何なら《ムルト侵略》にしてしまってもいい。状況としてはあまり変わらないからさ」

「すみません。正直なところ、私は《ラゥ》などというモノは、まゆつばだと考えていました。『ラゥの司』というのも、その……」


 珍しく口ごもったノルカに、ユタは笑った。


「ああ。私のこと?」

「そうです。第一神官の方はみな《ラゥの司》だと。そう呼ばれていることは、存じています。ですがそれは、一定以上の実力を持つ神官への尊称とばかり思っていました。……いえ、そう思っています」

「んん……いいね。忌憚のない意見」

「それは、どうも」

「うん。それでいいんだ。《ラゥの司》なんて、あえて言いふらすことじゃないし、関わりのない人にとっては、必ずしも真実である必要もない」

「……馬鹿にしてます?」

「いいや? ノルカの正直さがありがたいだけだよ。まあ、ノルカは第三神官になって五年とかでしょう? まだまだ日が浅い。十年くらい経った時にきっと解るよ。私たちは見た目がそうそう変わらないからさ」

「そんな。ふざけないでください」

「ふざけてなんていないよ。ただ、その程度のものだってこと。深く考えないほうがいい。なんならアーヴェルに訊いてみればいい。彼は子どもの頃から私と面識があるからさ」

「そんな……」

「でも、そうだね。確かに進軍目的は『朱の制圧』で通したほうがよさそうだ。すでに兵たちに噂が広まっているなら、難しいかもしれないけど」

「……いえ、やはり進軍目的は《ラゥ探し》としましょう」

「おや。どういう意図?」

「つまり《ラゥ探し》というのは、『ユタ様のような方を探し出して、こちらの陣営に勧誘する』ということでしょう? 状況を見る限り、その可能性が高いのは朱を率いている大将です。彼の朱での影響力を考えれば、組織そのものを相手にするより、本人を落とした方が戦略的には効果が期待できます」


 ユタは少なからず驚いて、副官を見た。若干ふて腐れているようにもみえるが、なかなかの着眼点だ。


「さすがだね。そう。第一神官の言う《ラゥ探し》っていうのは、つまるところ《ラゥの司探し》ってことだ。私のような、ね。でもなぁ」


 言葉をにごしたユタを認め、ここぞとばかりにノルカは上官をねめつける。


「そうですね。これはあくまで、戦略的な効率を考えただけの提案です。《ラゥの司》を見つけて、なおかつ味方に引き入れようなんて。恐ろしく手間と、体力と、精神力と、精神力と、体力を消耗しそうですものね。ユタ様が戸惑われるのもわかります」

「ノルカ? 何か含みを感じるんだけど……」

「その《ラゥの司》が協力を拒めば、争いになる展開もありえる、ということでしょう? 敵対する勢力の大将なのですから、その確率の方がずっと高い。軍としては、第一神官を相手にしろというようなものですから、覚悟が必要です。《ラゥ》が存在するかどうかは私にはわかりませんが、第一神官の方々の《規格外》は身に染みています」

「まあね。でも、できれば戦闘は避けたいな。それだと《朱の制圧》はできても《ラゥ探し》は失敗だ。組織として力でねじ伏せても、個人の協力は望めないよ」


 ユタは肩をすくめ、それを受けてノルカはうなずいた。


「確かに、それは難しそうですね。ユタ様が迷われている、という意味がわかりました。」

「だから、本来なら《ラゥ探し》をするときは個人で動くことが多いんだ。なかには協力はしても国や権力とは関わりたくないとか、ルンファーリアに籍をおいたとしても他国から動けないとか。色んな事情があるしね」

「しかし、それでは効率が悪くありませんか?」

「そうでもない。そもそも仲間に引き入れたいわけじゃない。誘いはするけどね。ラゥの司との『つなぎ』が欲しいだけ。それにラゥの司に寿命はないんだから、気長に考えておかないと」

「なるほど。そういうものですか」


 なんともいえない、微妙な表情になったノルカだったが、説明を受けて自分なりの落としどころを見つけたらしい。


「わかりました。では今回の進軍については《朱の制圧》ということで開示させていただきます。加えて《ラゥ探し》は、あえて噂として流しましょう。多少の混乱はあるかもしれませんが、これなら状況がどのように転んでも対応しやすいかと」

「うん。面倒かけるね。ありがとう」

「いえいえ、これくらいでなければ。ユタ様の副官は務まりませんよ」


 馬車は、白い山道へと入っていった。


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