1:ルンファーリアの第一神官

 神殿の片隅にある小さな庭で、ユタは本を読んでいた。


 神官や参拝者に向けた憩いの場としての庭ではなく、また景観をとるための緑でもない。どちらかというと山をそのままくり抜いただけの空間で、色濃く自然を残している。

 神殿の建物とは面しているがちょうど死角になっていて、通路を歩く人々からは見えないようになっていた。どうやら神殿の内でありながら、意図して隔離された場所のようだ。


 そんな隠された庭の樹の根元に腰をおろし、ユタは分厚い本のページをめくった。

 緑がかった黒髪に深緑の瞳、ほどよく焼かれた肌と引き締まったその長身は、実に健康的な雰囲気を彼女にまとわせている。

 

 彼女の名前は『ユタ』という。


 正式な本名は別にあるのだが、中途半端に発音しにくいのと、その字面が仰々しすぎるという理由から、普段はただの「ユタ」で通していた。


 「全くもって『そう』見えない」としばしば話のネタにされるのだが、ユタは神殿のなかでかなり高位の位を持っている。責任も雑務も多い。多忙な彼女にとって、この庭は人目を気にせず気ままに過ごせる、そんな隠れ家のひとつだった。


 自ら進んで引き籠ることもあったが、今はすこし事情が違う。このところ仕事に忙殺されていた彼女は、体調を心配した部下と同僚の手によって、半ば無理やり庭に押し込まれたのだ。


 心遣いはありがたいが、そもそも「そのつもり」のなかったユタは、少々暇を持て余していた。積まれた本に目を通していたものの、どうにも気分が乗らない。


 ユタは手にした本を脇によけると両手を広げ、大きく伸びをする。そして庭の一画から、眼下の景色に目を向けた。



 北の大国 ルンファーリア。

 ユタはこの国の、(じつは高位の)神官だ。


 北大陸の7割の面積を占めるこの国は、その国土の広さだけでなく、政治的にも軍事的にも、良くも悪くも、他の地域や国家へ多大な影響力を誇っている。


 この神殿は、その施政の心臓部だ。ヘリヤ山脈のふもとに広がる市街地を通り過ぎ、北の門を抜けると、白い石造りの神殿が建っている。山の斜面を登っているように並ぶ建造物の群は『白の神殿』と呼ばれ、多くの神官が行きかっていた。


 神殿は広くいくつもの棟に分かれ、一般民でも自由に出入りできる場所、神官のみが出入りを許される場所と様々だったが、奥へ進むほど高位の神官の持ち場になっている。

 それこそ神殿の長である皇が居る棟まで行こうものなら、かなりの坂と石段を登らなければならなかった。


 ぼんやりと街並みを眺めていると、ふと神殿のほうから人の気配がした。見ると白い壁の向こうから一人の少年が顔を出した。


 彼はユタの姿を認めると、嬉しそうに近寄ってきた。


「こんにちは。ユタ様」

「やあ。ヒム」

「ちゃんと庭に居てくださいましたね。感心、感心」

「なんだよもう。みんなして同じことを言うんだから」

「おや、そうなんですか?」


 ユタがぼやいて立ち上がると、服から木の葉がはらはら落ちた。


「ああ。よっぽど私は信用がないみたいだ。主にノルカとアーヴェルだけど、一定時間ごとに様子を見にくるんだもの」


 お手上げといった様子で肩をすくめるユタを見て、ヒムと呼ばれた少年はくつくつと笑い、その浅葱色の瞳を細めた。


「そりゃあそうですよ。ユタ様といえば、行方不明の常習犯じゃないですか。ふらりと居なくなって、ふらりと数ヶ月後に戻ってくる。今まで何度あったことか。その二人は特にとばっちりを受ける身の上なんですから。気持ちは察します」

「うぐ。それはまあ、そうだけどさぁ」


 そう言われてしまうと、いつも大胆気ままに動きまわっているユタは、黙るしかない。


「遊びまわっているわけではないことは、重々承知していますよ。それに多忙がすぎるユタ様に休暇を、という意図はもちろんあります。でも今は微妙な情勢ですからね。ユタ様には、しばらく国内に居ていただかないと困るんですよ」

「そんなことはないでしょ。私がいなくなったところで、この国はなにも困らないよ。みんな有能なんだから……」

「そういうことでは、ありません」


 ぴしゃりと言い返すヒムに、ユタはあきらめて肩をおとす。


「はいはい」


「それより……」と、ヒムは少々バツが悪そうに言葉をにごした。どうやら都合の悪いことが起きたらしい。

 そう察したユタは続きを促すと、木に掛けてあったローブを手に取った。


 心底申し訳なさそうに、ヒムは口を開く。


「皇が。クルス様がお呼びです」

「クルスが? 珍しいね」

「はい。庭にいらっしゃることもお伝えしたのですが、どうも急事のようでして……」

「そう。何だろう?」


 ユタは、どこか釈然としない気持ちでローブを羽織った。


 クルスというのは、ルンファーリアの皇キューマ・ヴェレ・フルクティクルスのことだ。ユタやヒムにとっては、直属の上司にあたる。


 ルンファーリアの創始者で現統治者——という重い肩書きをもつにも関わらず、本人が表舞台に出てくることは少ない。

 それでいて事実、長として取り仕切っているものだから、「本当に存在しているのか?」と噂されるほど、謎の人物でもあった。


 しかしなんということはない。彼は確かに存在していたし、書類と文献の山に埋もれて神殿深く引き篭もっていただけだ。公の場に顔を出すことが珍しいだけで、ユタやヒムなど高位の神官たちは、「それなりに」お目にかかっていた。


 そんな彼が直々に、しかもヒムを介しての呼び出しとなれば、それは表立ってのことではない。ややこしい事情の戦でもあるのだろうか。

 確か、ムルト地方には軍が派遣されていたはずだし、ハーフェン王国の内政が怪しいという報告もあがっていた。


 立場上、軍の指揮をとることもあるユタである。つらつらと考え込んでいると、ヒムが急かしてくる。


「ほらほら、早くクルス様のところへ行きましょう。そしてさっさと終わらせるんです。そうしたら、めでたく休暇再開ですよ」


 元も子もないヒムの言い分に、ユタは笑った。







 二人がクルス皇の居棟へ続く坂をのぼっていると、端の棟から出てくる人影が見えた。ユタは知己を認めて、声をかける。


「ラタ」


 白みがかった金髪にアクアマリンの瞳を揺らした彼女は、名をラトゥータという。ルンファーリアで唯一の、ユタと同格の位を持つ者だ。


 組織において同じ位の者は、なにかと対抗意識を抱きがちだ。しかし付き合いが長いこともあってか彼女たちの仲はすこぶる良好だった。

 唯一、ユタだけが彼女のことを「ラトゥータ」ではなく「ラタ」と愛称で呼ぶほどだ。


 ルンファーリアで神殿に仕える神官は、上から順に第一神官、第二神官と続き、第六神官まで位が分かれている。

 それは役職や職務内容で左右されたが、なかでも「シリディーナ」とあえて呼ばれる、特殊な位があった。


 それがユタとラトゥータ、二人だけに与えられた位だ。

 側近として皇を支え、その言葉を伝える者。位としては第一神官あつかいとされるが、実際は他の第一神官よりも上位の権限、クルス皇に継ぐ権限を持っていた。


 とはいえ、国の運営に関する細々とした裁決は神殿の議会でおこなっていたし、クルス皇やユタたちがそういった部分に直接口出しをすることは稀だ。

 そのため、世間的には「他の第一神官に比べてちょっと偉い」くらいの認識に収まっている。


 他の第一神官と目に見えて異なるのは、彼女らがまとうローブの色くらいだ。古今東西、多くの国家や組織で採用されてきた『色彩』による階級分け。それにより第一神官とシリディーナは見分けられていた。


 実際、ひとつの能力だけで見れば、彼女らより優秀な神官もいたものだから「色違い神官」「皇のお気に入り」などと揶揄されることもある。

 しかし本人たちに、そもそもの権力欲が無いから通じない。ヒムたち周囲が腹をたてているのを、横目に笑いあう始末だった。


 ヒムこそそう言って比べられる立場の第一神官なのだから、おかしなものだ。


「あらユタ、ちょうど良かったわ。呼びに行こうかと思っていたのよ」


 ラトゥータも二人に気がつくと、ふわりと笑いかけてきた。分厚い本と紙束を両手に抱えている。相当な重さだろうに、微塵もそれを気取らせないから彼女も大概だ。


「ああ、ヒムから聞いたんだ。クルスから呼び出しだって」


 息をするような自然さで彼女の荷物を半分持つと、ユタは彼女の隣に並んだ。


「そうだったの。ヒム、助かったわ。ありがとう」

「いえいえ」


 やはりふわりと笑いかけられ、ヒムもふわりと笑いかえす。

 ふわふわと、どこか似た空気を持つ二人を見比べ、ユタはこっそり笑いをかみ殺した。


「ラタもクルスに呼び出されたの?」

「いいえ。私は、クルスに急の報告があって」


『クルスに急の報告』という言葉に、それまで和やかだった空気がピリリと締まる。


 色違い神官などと呼ばれても、国内で高い権限を持たされていることもまた事実だ。大抵のことは事後承諾で問題ない。

 にもかかわらず、法皇に報告が必要ということは、それだけ難しい事案であることが知れる。


「ええ。クルスがあなたを呼んだのも、同じ件だと思うわ」

「なるほど。それは?」


 何気なく切り込んできたユタに、ラトゥータは一呼吸おいて口を開いた。



「ムルトに派遣されていた部隊の司令官、ランダー第三神官が戦死したそうよ」


 その言葉に、ユタとヒムは息をのんだ。

 第三神官というと、軍の将を担うことができる位である。第一、第二神官の副官を務めることもあるが、いずれにしても知なり力なり一定以上の実力がなければ、得られない位であることは確かだ。

 そんな人物が敗れたという。


「ムルト地方というと、ラゥ探しで軍を出していたんだっけ。確か《朱》とかいう組織が対抗してきているって報告があがっていたような」


 頭をひねるユタに、ヒムが続けた。


「ランダー第三神官というのは、たしか第十隊でしたね。剣の腕は立つものの、少し凝り固まった思想の持ち主だったかと、思うのですが……」


 表情は穏やかだったが、なかなかに厳しいことを言う。しかしその言に異論はないのだろう、彼女たちも無言でうなずいた。


「確かなの?」

「ええ。生き残った彼の副官が、遺体を確認しているわ。残兵はその副官がまとめて、国境付近にまで撤退させているそうよ」

「そう。しかし仮にも第三神官を討ち取るとはね。《朱》というのは、ムルトの民が集まってできた組織だと聞いたけれど、それ程までに勢力が?」


 ユタは首をかしげた。



 ムルトという土地は、ルンファーリアの東方に位置している。

『四方を山々に囲まれた広大な草原地帯』をざっくりと指してそう呼ぶのだが、いくつもの部族や街が混在して、成り立っている土地だ。

 その文化や風習は実に様々で、その『違い』を原因とした部族同士の対立も珍しくない。


 そのため「ムルト地域」としての結束力は、無いに等しかった。


「ええ。あの土地の人々が一致団結して協力しあう、というのは想像しにくいのだけれど。どうやら、その《朱》という組織を率いているのが、かなりの人物みたいね。何といったかしら? 報告では、ランダーを討ったのも彼だという話だから、そうとう腕もたつはずよ。さしずめ《ムルトの英雄》というところね」

「なるほどねぇ」


 でも……、とヒムが割って入る。


「第三神官とはいえ、戦死することは無いわけではありません。わざわざ皇に報告するほどの案件ではないように思えるのですが……」


 もっともな意見である。しかし、ラトゥータは神妙な表情を崩さなかった。


「通常であればね。ただ、そのときムルトの草原は、炎に覆われていたらしいの。でも、かなりの勢いで燃えていたにも関わらず、ふと気がつくと消えていた」

「へえ」

「それって」


「ええ。もしかしたら『当たり』かもしれないわ」


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