幕間5:ナァトの約束
逃げてきた村人だと思った人影は、武器を持ったムルトの民だった。あわてて祠の陰に隠れたが、見つかるのは時間の問題だろう。
何より『カリムの村人ではなくムルトの民がここまで来た』ということが、エマトの身を震わせた。父さん、母さん、村の皆は……。
カタカタと震えていると、ホン兄さんが小声でささやいた。
「エマト、祠の左脇に地下へ降りる入口がある。そこに隠れるんだ」
「兄さんは?」
「俺は、あいつらを何とかする」
「いやだ。危ないよ。一緒に隠れよう?」
「駄目だ。ひとりで隠れなさい」
「なんで?」
「どうしても、だ。……お前だけなら、助かるかもしれない」
そう言って、ホンはエマトの頭を撫でた。その言葉の言わんとする意味に気づいたエマトはうつむいて、ただただ首を横に振った。
「……そんなの、ちっとも嬉しくない」
そうつぶやいて顔を上げたエマトは、兄の向こうに、光る大きな刃を見た。
「あ、あ、あああああああああぁぁぁぁ!」
ひゅっ、という小さな音がした。
ホン兄さんの首が胴体から離れ、地面に落ちる。そしてごろりと転がった。
喉からあふれ出した声にならない悲鳴は、自分が出しているとは思えない。どこか遠くから響いているようで、水に潜った時のような、膜におおわれているような感じがした。
エマトは腰を抜かして、その場にしゃがみ込んでしまう。逃げなければ、と頭では思ったが、脚が動かなかった。
ムルトの民たちがこちらに向かって来て、「自分は死ぬのだな……」と、どこか他人事のようにエマトの頭は考えた。
しかし彼らは、エマトに刃を向けてこなかった。不審な表情で見てきたが、仲間内で何事かを話した末に、彼らはエマトをそのまま放置して行ってしまったのだ。
ホン兄の、想定していた通りになったのだろう。
『本当に、こんなの、ちっとも、嬉しくなんかない』
エマトは心底、そう思った。
そう思うと、なんだか涙がとまらなかった。
『もう、世界の全てが、どうでもいい……』
そう、思った。 ——そう、思ってしまった。
エマトの視界は紅く染まり、その向こうにナァトの姿が視えた。
エマトがふたたび目を覚ますと、あたりは真っ暗だった。
どのくらいの時間が経ったのだろう。ふらふらと立ちあがると、エマトは周囲を見まわす。日の暮れた森は暗く、驚くほど静かだった。樹々の向こうにちらついていた炎も煙も、ムルトの兵たちの姿も、見当たらない。かろうじて残っていた祠の灯りが、ぼんやりと周囲を照らしていた。
あの人達が壊してしまったのだろうか。エマトは薄暗い光に浮かび上がる祠の岩が、大きく割れてしまっていることに気がついた。すぐ近くに居たはずなのに、全く気がつかなかった。
気を失っていたようなので仕方ないが、『わからないまま』というのは、なんとなく気持ちの悪いものだ。
それからエマトはほとんど無意識のまま、足を村へ向けた。村に戻らなければ。そしてホン兄さんを、弔わなければならない。あの炎と爆発で、村がどうなってしまっているのか分からないが、父さんと母さんを探さないと……。
霞がかった頭でそう考え、もう一度周囲を見渡すと、祠の側にたたずむ『ナァト』に気づいた。
『ナァト……』
エマトは声を出そうとしたが、うまく言葉が出てこない。喉が張りついたように熱い。それでも彼女はふらふらと近づくと、見知った姿にすがりついた。人のものとは似ているようでどこか違う、ラゥ特有の暖かさがじわりと伝わってくる。
「エマト……」
ナァトも多くは語らず、ただエマトを抱きしめた。そしてその表情を歪ませる。
「ごめんなさい。私は、あなたに伝えることしかできなくて……」
エマトはその言葉を否定するように、首をふった。村が襲われた原因が何であれ、これはナァトが謝ることではないはずだ。
「エマト。あなたに言いたいことが、いいえ、訊きたいことがあるの」
「?」
ナァトはその場でしゃがみこみ、エマトと自分の目線の高さをあわせた。
「エマト。あなたは、私と一緒に生きる気はある?」
「?」
声を上手く出せないエマトは、首をかしげて疑問を示す。ナァトは今にも泣きだしそうな表情で、エマトの左の手をとり、そして袖口をまくった。
「ごめんなさい、エマト。私には、こうすることしかできなかった」
エマトの左腕には、小さな石がくっついていた。不思議な石だ。腕に半分めり込んでいるように思える。おそるおそる触れてみたが、痛みはない。なんだろう? これは。
「エマト。私は、あなたを選んだ」
「……?」
「だから、あなたはナァトの《ラゥの司》になった。おそらく身体はもうしばらく成長すると思うけれど、それ以上に老いることはない。本来の『人という生物として』の流れからは外れ、私たちラゥと同じ時間を、おそらくはとても長い時間を、生きていかなくてはならなくなってしまった」
「……」
「あなたが、『それ』を放棄しないかぎり」
「……」
「そのかぎり、私はあなたの側を離れず、あなたを護るでしょう」
「……」
ナァトが語る言葉はとても難しかったが、自分が《ラゥの司》になってしまった、ということはわかった。しかし、だからといって何がどうだというのだろう。エマトは麻痺した心で、地面に横たわる『ホン兄さんだったモノ』を眺めた。
——もう、何も感じない。
どうでもいい。何も考えられない。……何も考えたくなかった。
固まってしまったエマトの前に、ナァトは手を差し出した。
「エマト。ひとまず、村のほうへ行ってみましょう」
「……」
エマトは無言で、その手をとり――
ナァトはエマトの手を引いて――
暗い森へと、脚を踏み出した。
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