幕間4:祭と炎

 祭の日の朝は早い。


 エマトは薄暗い中、水を汲むために外へ出た。ツンと湿った空気がまとわりつき足元を濡らしたが、空は高く澄んでいる。きっと良い天気になるだろう。


「おやエマト。おはよう。お父さんたちは、もう祠かい?」

「おはようございます。そうなんです。昨晩から、なんだか一昨日の雨で、準備がズレ込んだみたいで……」

「あらそうなの。たいへんねぇ」


 すでに水汲み場には、結構な人が集まっていた。今日はどの家も祭当日の準備に忙しい。エマトも挨拶はそこそこに、水を汲んで帰り道を急ぐ。


 父さんと兄さんの二人は昨晩から森の祠に泊まり込んでいた。準備が遅れていたこともあるが、他にも前日からやらなければならない、細々とした儀式があるらしい。

 エマトは母と二人で、村の篝火の準備をする。この炎を囲んで唄をうたい舞を踊る。『御霊鎮めの儀式』のための篝火だ。

 祭の日は外との出入りが禁じられるので、村はカリムの人間だけになる。普段は方々を巡って商売している行商人や、物々交換にやってくる近隣の村人の姿もあるのだが。いつも以上に自分の髪と瞳の色が目立ってしまうのは辛かったが、仕方がない。


 祠守の家の人間として、やらなければならない当日準備や裏方の仕事は山ほどあった。すでに篝火の骨組みは組み上がっているので、あとは当日分の飾りを加えてお供えの料理作りだ。物思いにふけるような余裕はない。

 日没にあわせ、祠から運んだ火を広場の篝火に移してしまえば、あとはおのおの自然に祭と儀式は進むはず。それまでの辛抱だ。


 エマトは汲んできた水を瓶に移し、芋を手に取った。



 予定は順調に進み、日没を前に篝火前の祭壇の準備を終えた。エマトと母はやっとのことで息をつく。あとは祠守の二人が祠から種火を運んでくるのを待つばかりだ。


「一度、着替えに戻ろうか?」


 母から声がかかり、返事をしようとした時だった。



 突然、エマトの目の前に『ナァト』が現れたのだ。驚いて声をあげる暇もなく、ナァトはエマトの手を握り、焦りの声を上げる。


「エマト! ここは危ない。森へ逃げて」

「え?」

「急いで! ムルトがこの村を攻撃しようとしているの!」

「どういうこと? ここじゃ……」


 ここは広場のど真ん中だ。ナァトの姿が視える人はいないだろうが、絶対とは言えないし、目立つのは避けたい。エマトは小声で訊き返したが、ナァトは関係ないとばかりに彼女の腕をひっぱった。エマトはそのままつんのめって転んでしまう。

 何もないところで、前触れもなくいきなり転んだのだ。はたから見ると、さぞ滑稽なことだろう。

 母が駆け寄って助け起こしてくれたが、その表情はどこか硬かった。


「言葉のとおりよ。早く!」


 詳しいことを訊きたかったが、ここでは難しそうだ。いったん森へ向かおう。腕を引くのを止めようとしないナァトの様子に、エマトはそう思った。


「母さん、ごめんなさい。ちょっと森まで行ってくるね」

「え? ちょっとエマト! 今は駄目よ」

「日没までには戻るから!」

「エマト!」


 ナァトは走り出し、母の声は遠くなっていった。



 祠の森へ入ってしばらく走ったが、ナァトはなかなか手を離そうとしない。


「ナァト! いったん止まって! 詳しい話を聞かせてよ!」

「…………」

「ナァト!」


 しびれを切らしたエマトは、無理やりその手を振りほどいた。ナァトはやっとのことで足を止めたが、振り返るとエマトの手を再びつかむ。

 エマトは引っぱられないようにと脚を踏ん張った。


「ナァト! ごめん。ちゃんと、分かるように説明して?」

「……ムルトが、すぐそこまで来ているの」

「ムルトが? どういうこと?」

「武器を持って、この村を攻撃しようとしている」

「なんでムルトが? 今までそんなことなかったよ?」 

「詳しい目的までは解らない。でも、カリムの民を焼こうとしている」

「そんな! それなら皆に伝えないと!」

「駄目よ。戻っては、駄目」

「なんで!」


 エマトは踵を返して戻ろうとしたが、ナァトはそれを許さなかった。


「……エマト。祠へ行きましょう」

「え……?」


 質問に答えてくれないナァトにエマトは戸惑った。しかし、確かに祠には父さんと兄さんがいるはずだ。そちらに助けを求めた方が良いかもしれない。ナァトの意図するところはわからなかったが、エマトはうなずいた。


「わかった。まず父さんと兄さんに、知らせに行く」

「…………」


 ナァトはそれでも、何も応えなかった。エマトは不気味な恐怖に駆られたが、他にどうしようもない。黙って祠へと足を向ける。


 祠へ着くと父と兄の姿はなく、代わりにリロンが座っていた。


「お、エマト。来たのか」

「リロン……」


 リロンはエマトの隣に立つナァトを認めると、一度大きく目を見開き、そして破顔する。本当に嬉しそうだ。


「それに『ナァト』も。……久しぶりだな」

「リロン。そうだね、久しぶり」

「おう。積もる話もあるが、どうやらそんな雰囲気じゃあないな。村が火の海だ」


 リロンの言葉に、エマトは飛びあがった。


「リロン! 村が火の海って……どういうこと?」

「ああ。ここから直接は見えないけど、村のほうから炎と煙と血の匂いがする。何があったんだ? 村が襲われているのか?」

「わからないよ。急にナァトが現れて、村が危ないから逃げろ、って引っぱられてきたの。父さんと兄さんに相談しようと思ってここまで。……二人はどこ?」


 リロンは眉をあげ、森の奥を指差した。


「エマトの親父さんと兄貴なら、しばらく前にこの先、たぶん泉のほうへ行ったけど」

「泉へ?」

「夕暮れだし、そろそろ祭の本番でしょう? 禊に行ったんじゃないかしら。いつものとおりなら、禊の後に祠から種火を移すはずよ」


 首をかしげたエマトに、ナァトが説明してくれた。ということは、二人と入れ違いになったわけではないようだ。ほんの少し、安心する。


「じゃあ、はやく父さんと兄さんに知らせて、村に戻らなきゃ……」


 飛び出そうとしたエマトを、ナァトが止めた。


「戻っては、駄目」

「なんで!」

「もう、間に合わない」


 ナァトの言葉と同時に、村の方から大きな音が、何かが爆ぜたような音が響いた。振り返ると、樹々の向こうの夕焼けに黒い煙が昇っているのが見える。


「そんな、母さん!」

「駄目っ!」


 反射的に動いたエマトを、ナァトは再び力づくで引き止めた。


「やだ! 離してナァト! 早く行かないと!」

「駄目。ごめんなさいエマト。私には、『こうすることしかできない』の……」

「やだ! 母さんが!」


 エマトは泣き叫んで暴れたが、ナァトは彼女を抱え込むようにして離さなかった。

 そこへ、ホンの叫び声が割り込んでくる。



「エマト!? お前、なんでこんなところに居るんだ!」


 どうやら二人は、先ほどの爆発音を耳にして、あわてて戻ってきたらしい。乱れた装いのまま息をきらした祠守たちは、エマトの姿を認めて眉をひそめた。

 本来なら祭の儀式中に祠へ近づいたりすれば雷が落ちるところだが、エマトの取り乱した様子と先ほどの爆発音に、異常な事態を察したようだ。そのことには触れず、エマトの話の続きを待った。


「父さん! 兄さん! 大変なの! 村が……」

「村がどうした? 何かあったのか?」

「よくわかない! でも、火が……!」

「父さん……」

「なんということだ。よりにもよって、祭の日に」


 エマトは二人に向かって駆けていく。今度はナァトも止めなかった。


「兄さん!」

「エマト。お前は? 怪我はないか?」

「私は、大丈夫。でも母さんが、まだ村のほうに……」

「ホン。お前はエマトと、ここに隠れていなさい。私は村の様子を見てくる」

「そんな! 俺も行くよ!」

「いかん。エマトを守ってやれ。それに、他の者もここへ逃げてくるはずだ。その人たちを受け入れる用意をしなさい」

「……わかった。父さん、気をつけて」

「ああ。お前たちも」


 エマトとホンは父親を見送り、祠の側に腰をおろした。



「どうなっているんだ一体……」


 ホンが困惑と苛立ちのこもった言葉を漏らし、それでもエマトの頭を優しく撫でた。

エマトも全く同感だ。『何故?』の一言につきる。


 ふと見ると、少し離れた場所でリロンとナァトが何事か話しあっていた。先ほど言っていたように、積る話があるのだろう。こんな状況だが、邪魔をするのはしのびない。

 しかし、どうしてナァトは、村が襲われることがわかったのだろう。





「ナァト、お前。いったい何が視えているんだ?」


 リロンはナァトに訊ねた。その問いにナァトは、努めて淡々と語る。


「ムルトの民が、カリムの民を襲って全滅させる。生き残るのはあの娘、エマトひとりだけ。そう、視えた」

「そんな。どうしてエマトだけが……ちっ、あの色か」

「ええ。私には、結果を変えることはできない。『そういう種類』の未来だから、どうすることも……」

「それって……」

「リロン。訊いているかもしれないけれど、私は前からエマトのことを知っているの。エマトはこんな状態の私が相手でも『視えて』『話せて』『触れる』ことができた」


 ナァトの言わんとすることを、理解したリロンはため息をついた。


  ナァトはエマトを選んだのだ。《ラゥの司》として。



「やっぱり、そういうことか」

「わかっていたの?」

「なんとなく、だけどな。あそこまで揃っているのは珍しいし、何より俺も『この時に』『この場所で』しめし合わせたように居合わせているんだ。きっと『そういう思し召し』というやつなんだろう、と思ってさ」


 ナァトがエマトをラゥの司として選んだということは、ナァトが目覚めるということだ。

 そして、ナァトが目覚めるということは、リロンがナァトから選ばれた時と同じことが起こる、ということだろう。それは、エマトに孤独と絶望を与えるはずだ。

 彼女を助けるために自分は今、ここにいるのだろう。リロンはそう思った。


「ごめん……ごめんね。リロン」

「何を謝るんだ。お前はちっとも悪くないだろ。俺は、お前が『目を覚ましたい』という気持ちを、否定したりしない。それに俺が役に立てるなら、喜んで手を貸すさ」

「リロン。……ありがとう」

「こちらこそ、だよ。俺という存在が、これからどうなっていくのか分からないけれど、縁があればまた、どこかで会えたらいいな」

「……ええ。楽しみにしているわ」

「さてと。んで? 俺の役目はなんだ? 何をすればいい?」


 あっけらかんと笑う『元相棒』に、ナァトは静かに要望を伝えた。


「あのね。……ある《ラゥの司》たちを、ここまで導いて欲しいのよ」




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