幕間3:ナァトの唄
エマトはリロンの隣に腰をおろし、せわしくなく手を動かしていた。
「それ、今度の祭で使うっていう刺繍か?」
「そうだよ。祭までに、あと5枚は作らないといけなくて……」
「うへぇ、気が遠くなるなぁ」
「うん。なにもこんな、細かい模様にしなくてもいいのにね」
エマトはぶちぶちと愚痴をこぼしながら、赤や青、黄色に橙、様々な色の花の紋様を縫い取っていく。
しばらくは黙々と針と格闘していたが、どうやらあきてきたらしい。気を紛らわせたいのだろう。色糸をよりわけながら、鼻唄をうたいだした。
「お前、どこでその唄を?」
「え? 『御霊鎮めの唄』のこと?」
「御霊鎮めの唄?」
「うん。カリムで、カリュムントの術として伝わっている唄。迷った魂を、死者の世界に送るための唄なんだって」
「なるほど。そういう風に、カリムには伝わったのか」
その説明に、リロンは心得たとばかりにうなずいた。
一方エマトは針を止め、肩を落とす。
「うん。たぶん、前にリロンが言っていた『自分を失ってしまった魂』を送るための唄、なんじゃないかな」
「え?」
「唄と舞、あわせて『御霊鎮めの儀式』って教わったよ。今度の祭でも踊るんだけど、私、唄うのは好きだけど踊りは下手くそでさ。刺繍よりはマシだけど」
「そう、なのか」
『エマトは賢い』リロンはそう思った。
カリムに伝わっていたのかもしれないし、自分で勝手に気がついたのかもしれないが、以前にリロンが話した『過去のナァトの暴走の結果』と『現在の御霊鎮めの儀式』の目的を、きちんと関連づけて考えている。
もしかしたら、『それだけ』ではないかもしれないが……
そんな彼女の手元を眺めているうちに、あることを思い出し、リロンは訊いてみた。
「そういえば、祠に供える花はどうやって選んでいるんだ? なにか決まりがあるのか?」
「祠に供える花? ううん。儀式のときは決まっているけど、普段は特に決まりはないよ。この森に生えている花を、適当に摘んでくるだけだもの」
「ふぅん?」
「何か、変?」
「なんだろうな? エマトが選んでくる花は、ナァトの好きだった花ばかりなんだよな。この間、兄貴のほうが供えに来たんだけど、そのときの花は違ったんだ。だから、なんだか釈然としないというか」
「そうなんだ? よく、わからないけど。うーん……ん? あれ?」
エマトの動きがピタリと止まった。呼びかけても反応せず、何かをじっと考え込んでいる。すごい集中力だ。戻ってくるまで、放っておくしかない。
そして意識を取り戻したエマトは、「おそるおそる」といった面持ちでリロンを見上げてきた。
「お、考え事は終わったか? どうした?」
「あのさ、リロン。訊いてもいい?」
「なんだ? あらたまって」
「あのね、ええっと。その、ナァトって」
「ナァト? ナァトがどうしたんだ?」
「うん。ナァトって、髪の毛がすっごく長かったりする? 足首くらいまでの……」
「あ、ああ」
「で、髪は白っぽい緑で、目の色は銀色で……」
「……そうだな」
「それから、えっと、なんだろう? 耳? が人とは違う、うーんと、耳のあたりから、樹の枝が生えているような、かんじ?」
「エマト?」
「右目の下に、古い刀傷があって」
「おい!」
「唄声が、とっても綺麗な」
「エマト!」
淡々と語るエマトに、リロンは背筋を凍らせた。エマトが言ったことは、まさしくナァトの特徴だったからだ。どうやってエマトは、ナァトのことを知ったのだろう。 祠守の家系に伝わっていたのだろうか? いや、それなら「唄声が綺麗」という言葉は出てこないはずだ。
「ああぁぁ、そういうことかぁ……」
愕然としているリロンを横目に、エマトは両手膝をついた。そして盛大なため息を漏らす。
「な、なんだ? どうした?」
「あのさ、私が今言った姿って、リロンの知ってるナァトと比べてどう?」
「そうだな。見てきたのか? って思うくらいには、そっくりだよ」
「そっか。じゃあ、やっぱり『そう』なんだ。……あのね、リロン。私、森でナァトと会ったことがある、と思う」
「え……?」
森の奥にある泉のそばで、たびたび『そのラゥ』は唄を口ずさんでいた。
いつも居るというわけではなかったし、あきらかに他の眷属とは雰囲気が違って視えた。力が強いことはわかったので少し近寄りがたかったのだが、その唄が『迷っている魂』を鎮めていることに気がついてから、エマトはその唄が聴こえるたびに足を運んだ。
村に伝わる唄とは少し違う旋律だったが、それはとても心地のよい音だったのだ。
何度か言葉をかわしたこともあるが、そのラゥは自身のことを『名前もないただのラゥ』だと言って微笑んでいた。
「ごめん。祠では視たことがなかったから、『ナァト』とは繋がらなくて。気づかなかった。ごめんなさい」
「ふうん。どういうわけか、エマトの前には姿を見せているってことか」
今度はリロンが押し黙ってしまった。目覚めるのを待っていた相手が、自分の前には出てきてくれないのだ。心情穏やかではないのでは……とエマトは思い、なんとか励まそうと試みた。
「たぶんだけど、祭の日には会えると思うよ」
「そうなのか?」
「たぶんね。祭の日は、森には『そういう魂』がいっぱいだから」
「ああ、そうか。『御霊鎮めの儀式』だもんな」
「うん。祭の日は祠に来るのは父さんと兄さんだから、私は来られないかもしれないけど。でも、抜け出せたら来るよ。私もちゃんと『ナァト』と話してみたいもの」
「そっか。待ってるよ」
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