幕間2:リロン

「ねえ。リロンは、はじまりの唄に出てくる『紅鷹』なの?」


 翌日、森の祠にやってきたエマトは開口一番、リロンに訊ねてみた。彼は目を瞬かせると、のらりくらりと応える。


「ん? ああ、そうだな。そう呼ばれていたこともあるような……」

「真面目に答えてよ。昨日はそれで父さんから、すっごく怒られたんだから」

「おや、どうしたんだ? 俺が紅鷹だと、何か都合が悪いのか?」


 エマトは、ぶすっと頬をふくらませた。


「そういうわけじゃないけど。よく分からないことが、よく分からないままだから気持ちが悪いの。父さんが『何』に怒ったのかすら、はっきりしないんだもの」

「ふぅん? ちなみに、なんて言ったら怒られたんだ?」

「『祠にナァトが眠っていて、いつか目覚めるの?』って訊いたの。そうしたら『祠はナァトを祀っているだけで、ナァトが祠に居るわけじゃない』って……」

「ああ、なるほどな」

「……なるほど、なの?」


 リロンがあまりにもあっさりと納得したものだから、エマトは驚いた。


「俺にとってはな。……この祠の中に、ナァトは居るよ。それは『紅鷹の幽霊』である俺には、間違えようのないことだ。おそらくエマトの親父さんは、ナァトを目覚めさせたくないんだろうな。だから隠す。まあ、その気持ちはわからなくはない」

「なにそれ。意味わかんない」

「『ナァトが目覚める』っていうのは実のところ、あまり善いことじゃないんだよ。だからナァトも自分から眠りについたんだ。でも、だからと言って永遠に眠り続けることも、ナァトの『起きたい』という思いを邪魔することも、俺たちにはできないだろう?」

「それは、そうだね」


 自分が「起きたい、動きたい」と思っているのに、「むりやりずっと寝かされたまま」というのはたしかに嫌だ。エマトは熱を出して寝込んだとき、治ってもなかなか外に出ることを許してくれなかった母親を思い出した。


 そう言ってうなずくエマトに、リロンは咳き込み肩を震わせている。


「そ、そうだな。それに俺は、『ナァトに目覚めて欲しい』と思っているし」

「そうなの? 善いことじゃないってことは、不吉ってことじゃないの?」

「ああ。それはそうだし、ナァトが自分で決めたことではあるけれど、あいつだけが犠牲にならなくてもいいはずだ。まあ、俺の身勝手でわがままな、気持ちではある」


 リロンがナァトについて話すとき、その声からはとても優しい響きがする。暖かくて、少しだけ寂しい。エマトはそう思った。


「ふぅん。リロンはナァトのことが、とても大事なんだね。ナァトが目を覚ましたら、またリロンがラゥの司になるのかな?」

「おいおい。俺はずっと前に死んでるんだぞ? さすがにそれはないだろう?」

「そうなの? ラゥが選ぶのは人とはかぎらない、ってきいたよ? 動物や、植物や石とかの《ラゥの司》も在るって。それなら『幽霊』でも大丈夫じゃない?」


 リロンはとうとう我慢できなくなったようで、草のうえにひっくり返って笑い転げた。本当に失礼な。『紅鷹』はともかくとして、全く『英雄』らしくなんかない。


「た、確かに、できるかもしれないな。でもきっと、それは無理だ。俺が死んだのは、ナァトの暴走が原因なんだから」

「え……?」

「《ラゥ》と《ラゥの司》が、……なんだろうな? すれ違い? 仲違い? ケンカ? ちょっと上手く言えないけれど、《ラゥ》と《ラゥの司》が離れてしまったとき、ラゥは狂う。そしてそのまま『仲直りできなければ』暴走してしまうんだ。あるとき俺とナァトは大喧嘩をしてな。結果、ナァトは暴走してしまったんだ」

「じゃあ、リロンはそれに巻き込まれて……?」

「ああ。ラゥの暴走ってのは、ラゥそれぞれの力が現れる。水のラゥなら大雨や洪水、風のラゥなら大風や竜巻、みたいな感じだな」

「そうなんだ。ナァトのはどんな力なの?」

「ナァトの力はちょっと特殊でなぁ。へんな言い方だけど、俺はずいぶん昔に死んだのに、今もこうしてここに在るだろう? 身体は土に還って消えるけれど、魂は消えることなく永遠にのこってしまう。そういうのがナァトの力だ。厄介だぞぉ? ナァトが暴走したら、あたり一面、幽霊だらけだ」


 リロンは肩をすくめた。


「俺はまがりなりにも《ラゥの司》だったから『自分のまま』でいられたけど、巻き込まれた多くの魂は恨みや妬み、怒りや悲しみ、色々な感情を拗らせて自分を失い、化物に変わってしまった。ナァトはその暴走を悔いて、眠りについたんだ」

「…………」

「悪い。ちょっと難しかったな。まぁ、そんなことが起こらないように、ナァトに眠っていて欲しい人もいるってことだ。親父さんは祠守なんだろう? 祠の、ナァトの秘密を守らなきゃいけない。エマトが怒られちまったのは申し訳なかったが、これ以上、俺と話したことは口にしない方がいいだろうな」


 エマトはうなずいた。


「わかった。そうする」

「ああ、それがいい」


 エマトはうなずいた。が、このまま終わらせるのは嫌だった。父さんや兄さんをこれ以上困らせるつもりはないが、ナァトや祠のことはもっと知りたかったのだ。


「でも、リロンの話は、もっと聞きたい」


 そう言うと、リロンは笑った。


「なんだ、こりないなぁ。まあ、俺としては話し相手をしてくれるのはありがたいけどさ。でもずっとここに居たりしたら、また怒られるんじゃないか?」

「ううん。それは大丈夫だと思う。私は『こんな』だから。もともと村のみんなと一緒に居るより、父さんの手伝いにかこつけて祠に独りで居ることの方が多かったの。『いつものこと』だから、怪しまれないよ」


 エマトは自分の髪の毛をいじりながら、つとめてあっけらかんと言った。


「だから、大丈夫」

「そうか。じゃあ、何が訊きたい?」


 リロンはそれ以上、なにも言わなかった。優しい人だ。


「ふふっ。じゃあね。リロン、聖霊言語はしゃべれる?」

「聖霊言語ぉ?」

「あのね、今、学び小屋で聖霊言語を教わっているんだけど。リロンが紅鷹ってことは、ユィートネルムの唄の時代を知ってる、ってことでしょ? だから、原語を生で知ってるってことよね? それで、今との違いを知りたい、というか……」

「……お前、何気に面倒くさげな凝り性だな?」

「へへっ」

「『へへっ』じゃない。俺は腕っぷしはともかく、お勉強は苦手なんだよ」

「じゃあ、その腕っぷしを教えてよ」

「お前なぁ……」

「へへへっ」

「『へへへっ』じゃない」


 リロンがエマトの頭を小突く。エマトはそれが、なんだかとても嬉しかった。




「エマト、お前ちょっと最近、祠に入り浸りすぎじゃないか?」


 学び小屋からの帰り、突然ホン兄さんが訊ねてきた。彼はすでに学び小屋を卒業しているが、今日はたまたま道具を借りる用事があったので、一緒になったのだ。


 『あれ』以来、父と兄、二人からの視線がどことなく痛い。リロンと話していて知ったことや気づいたことは、家では口にしていなかったが、「エマトが何かを隠している」ということは感づかれていそうだと思っていた。


「そう? 前もこんな感じだったと思うけど……」

「まあ、お前が森に居るのはいつものことだけどさ。この前みたいなことがあると、ちょっと心配なんだよ。エマト、あの後も家にある古い本や学び小屋の書庫で、なにかを調べているだろう?」

「う……」


 それは図星だった。リロンの話とカリムに伝わっている話の違いを知りたくて、また、リロンの望みの叶え方を知りたくて、エマトはコソコソと調べまわっていたのだ。


「父さんは気づいてないみたいだし、告げ口するつもりもないけどさ。あんまり変なことに首をつっこむなよ? そうでなくてもお前は見境のない凝り性で、なにより人よりも色々視えるんだから」

「うん……」



 カリムの民は、誰もがラゥの眷属を視ることができる。それゆえ聖霊言語を操り、カリュムントの術を使うことができるのだ。

 瞳の色は違ったが、エマトもラゥの眷属を視ることができた。

 しかもどういうわけか、エマトは他のカリムの民が視えないモノまで視ることができたのだ。祠守という血筋のせいかもしれない。しかしホンや両親にも視えないような小さなラゥの眷属や、逆に空に漂う大きなラゥの流れのようなものまで視えていた。

 目立つことを恐れたエマトは、それを周囲に隠した。知っているのはそれに気づいた兄のホンだけだ。両親たちすら『そのこと』は知らない。


 不思議と今まで『そう』考えたことがなかったが、リロンが言っていたように、エマトはカリュムントの力が強いのかもしれない。ただ、嬉しいわけでも悲しいわけでもない。エマトは不思議な気分だった。


「あのとき俺には祠の異常はわからなかったけど、エマトには俺には視えていないモノが視えていたのかもしれないだろ? そう思うとさ……」

「えっと、私にもよく分からないの。祠の側に、男の人が視えたのは夢じゃなくて本当。でも、色々わからないことだらけで、調べてみているの」

「はぁ。お前は意外と、『学者』とかに向いているのかもなぁ」

「……」


 エマトの言葉を信じたのか、追求することをあきらめたのか。ホンはそう言って笑った。そして、ちょっと意地悪そうに妹の肩を叩く。


「まあ、今は祭の準備のほうが大変だ。エマトも飾り花の刺繍、まだ終わってないだろう?」

「う……ん、そうだね。頑張らないと。兄さんも灯篭カゴ、だよね?」

「……おう」


 ホンがエマトの頭を小突く。エマトはそれが、なんだかとても嬉しかった。

 そして「ホン兄とリロンは、なんだか似てる……」そんなことを考えた。

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