第9話 蓑亀

 潜航艇『蓑亀』号は、遠くでふたつの場発音を聞いた。

 艇長を務めている弁慶保安長が、通信隊員に聞いていた。

「やったのか?」

「和邇からは連絡は無いですが――先程の音波はなんでしょうか?」

「判らん。ほとんど見えていなかったからな」

 和邇が戦っていた場所からは、数キロも離れ、海中であったことから姿は確認できない。

 蓑亀号は大海原にポツンと、取り残されたような感じだ。

「これからどうなるんですか?」

 操縦室に顔を出したのは、山彦少年だった。渡された毛布を身体に包み、暖を取っている。

「ヤマか? もう動けるのか?」

 服が濡れており、すぐにでも着替えた方がいいが、あいにくと潜航艇に詰まれていなかった。

「オラは問題ないですが……あの子が――」

 と、廊下を少年は見た。

 弁慶保安長が覗くと、そこには毛布を被り円くなっている塊が見えた。

 顔が少しだけ見える、フタヒメ様だ。海に落ちた恐怖か、寒さのためか、両手で毛布を握り締めて小さく丸まっていた。


 ――体温の低下もあるかもしれない。だとしたら、ますます早く母艦に戻らなければ!


 蓑亀号を預かる保安長としては、海に落ちたふたりの為にも母艦に戻りたいところだ。

「あのぉ……あの子は一体、誰なんですか?」

「ヤマは知らないか? まあ、話してもいいものか――」

「竜の民のことなんて、誰が信じるんですか?」

「確かにそうだな……」

 と、腕組みをしながら、操縦室の中に入り、廊下に聞こえないぐらいの小さな声で話し始めた。

「フタヒメ様は、竜の民の姫様だ。その名の通り、位は2番目だ」

「竜の民の姫って――」

 山彦にはもの凄いエラい人ということぐらいしか、理解できなかった。

「今回、我々の航海の目的はふたつある。

 ひとつは、魚人族のところに留学していた、フタヒメ様の帰国のお迎え。こんなことになってしまったからかな」

「留学?」

「ああ……お主は、寺子屋にも行っていなかったな。竜の民はワシらよりも知恵がある。だが、世の中すべてのことは知っているわけではない。人ひとり、民ひとつだけでは、知識には限界がある。だから、魚人の民のところで別の知識を得にいってきたのだ」

「そんなエラい人なのですか?」

「まあそうなのだが……あだのとおり、フタヒメ。の姫様だ」

「2人目ということは、別に姫様が――」

 山彦少年はチラリと操縦室の外へ顔を向けた。

 ため息をつきながら弁慶保安長は、

「ここからは竜の民のお家問題だ。これ以上は、さすがに話すわけにはいかない」

 そう言い切ると、保安長は口を閉じてしまった。

 ここまで言ってと、少年は不満を出そうにしているが、操縦室のある隊員が声を上げる。

「その先を知りたければ、我々について行くか、おかに戻るか――でも、保安長。その話、我々も知りませんよ。教えてくださいよ」

 と、数名しかいない隊員の目が、保安長に集まってくる。

「お前らまでもか……しかし、竜の民のお家問題だから、艦長とその他の数人しか知らないことだ。ワシから漏れたとしたら、艦長に怒られる」

 と、笑い出した。だが、すぐに静けさが戻った。

 何かあるかと、山彦少年が後ろを振りかえると、

「――なによ……」

 操縦室の入り口に、毛布を被ったフタヒメが立っていた。山彦の隊員服の予備もないのだ。彼女の、姫様用の着物など当然詰まれていない。

 お家問題の話もあり、好奇の眼差しに彼女はさらされていた。

 恐る恐る保安長が声をかける。

「どうかされましたか?」

「――さむい――」

「はい?」

「寒いって言っているのよ! 早く、船に返しなさい!」

 と、大声を上げだした。

「申し訳ありません。フタヒメ様。今、和邇からとの連絡は無く――」

「着替えはないの!」

「この少年の分も詰んでおりませんので……申し訳ありません」

 そう謝る保安長だが、フタヒメは大きな目でギョロリと目を動かした。トカゲのように縦に黒い線の入った、金色の瞳が睨み付けてきた。

「退いてくれない、猿人!」

 どうやら操縦室に空いている席があり、そこに座りたいらしい。それを山彦が遮っていた。

 少年は慌てて避けると、不満そうにフタヒメはその席に座った。

「そういう言い方は……よろしくないと思いますぞ、フタヒメ様」

「あなたは……弁慶、でしたか? どうせ陸に戻すのよね、この猿人は――」

「まだ彼は決断しておりません。それに……差別はよくありません、フタヒメ様」

「――わたし達の力が無ければ、この潜水艇のボタンひとつ知らなかったくせに、よくそんな口を――」

「助けて頂いた王には感謝しております。

 しかし、竜宮以外で活動したがる竜の民は少ない。我々には返る土地はない。そのために配下となって、世界中を駆け巡る仕事をしていることは確かです。ですが、人をサルだ、リュウだと、分け隔て無くするようにと、王のお言葉ではありませんか。それを――」

「お父様とは関係ないですよ!」

 激高するフタヒメに弁慶保安長は、

「大ありです。ヒメ様の発言は、王の尊厳に関わることと思われます」

「わたくしがお父様を傷つけたいとでも?」

「思っていないことは確かです。ですが、次に竜の民を治める事となるあなた様が、手を取りあって生きていこうと決められた事に反するのは――」

「黙りなさい!」

 と、声を上げたフタヒメであったが、少年が見た時には何故か泣いている。

 山彦少年が何か声をかけるべきかと思ったが、彼女は俯き、イスを回転させて背を向けてしまった。

「お取り込み中のところすみません!」

 と、インカムを付けた隊員が、耳に手を当てながら話し出した。

 どうやら、和邇号からの通信を受け取ったようだ。

「和邇から入電。現在、浮上中のこと。

 魚人族の『らん・かるぷ』号と共に健在。集合ポイントを送ってきています」

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