海洋編

第8話 戦闘

 和邇号の発令室に声が飛び交っている。

「艦長及び露天甲板にいたものの安否確認完了」

『――蓑亀より入電ッ! フタヒメ様ともうひとりを救出したそうです』

 突然の怪異の奇襲に手間取っているようだ。

 発令所があるのは、艦橋の根元のあたり、外側から見ると球状の窓が並んでいた。視界は強化ハーキュライト製の窓で良好に保っているが、目視できる距離は限られている。

 現在、発令室にするのは航行担当と通信係のみ。責任者である副長の『九郞』は、発令室の後方にある作戦室を兼用している海図室で、今後の航路について広げられた海図を眺めていた。

「艦長はこちらには?」

「確認は取れておりますが、こちらに向かっているかと――」

「見えるまで、俺がこの船を操るのか――」

 副長の九郞は、暗い顔をしている。

 艦長もいない。相談できそうな、大柄の弁慶保安長もいない状態だ。

「頼みましたよ、総大将!」

 次席の発令室主任が軽口を叩いた。頼れるのは、この竜の民の主任だけだ。

「いつもいっているだろ? 俺は……偽物だ。だが、艦長よりこの艦の責任は果たす!」

 そういう九郞副長は、転倒防止用の手すりを強く握り締めた。

「外部に取り残されたものはいないか?」

「はい。確認は取れています。海面に投げ出されたふたりは、ミノ――潜航艇『蓑亀』号――が救出したそうです」

 耳にインカムを付けた『竜の民』の女性が答えた。

 すぐさま副長は壁の艦内電話を取り、

「聴音室へ怪異の情報知らせ」

 発令室から有視界活動は可能であるが、今は荒れる波しか見えない。探知できない程の海底真下から、突如現れたタコの怪異は、鼻先をかすめると再び海に潜った。


 ――こちらを舐めてやがる!


 怪異の知能を計り知れていないところもあるが、あきらかに挑発行為だ。

『――こちら聴音室。現在、魚人ぎょじん側の潜水艦に取り付いています!』

「なんとッ!?」

 副長が小さな窓越しに邂逅した魚人族の潜水艦を探した。

「らん・かるぷ号はあちらです」

 先に見付けたのは、発令室主任だ。彼が、左前の小さな窓を指さした。

「ちッ、ここではらちがあかない」

 副長が確認しようとしたが、巨大な波間に船体が見えただけだ。この時、魚人族側の潜水艦『ラン・カルプ』号はタコの怪異から攻撃を受けていた。


 ――艦長もお見えにならないとなれば、俺がやるしかないか……


 露天甲板から長く見積もっても、5分も掛からず発令室に着くはず。それなのに艦長が来ないのは、途中で何かあったと考えていい。

 副長は渋っていたが、覚悟を決めるしかないと、

「ミノには速やかに本艦より待避を命令。合戦用意! こちらは一旦、潜望鏡深度まで潜る」

「合戦用意! バラストタンク釣合主缶注水! 潜望鏡深度へッ!」

 発令室主任が副長の指示を復唱すると、発令室内の動きが活発になった。

 ゴボコボと、艦体全体から空気と水が入れ替わる音が聞こえ始めてくる。船体を揺らしながら、そのままゆっくりと、和邇号は潜水していった。

「前進微速2」

「――前進微速2」

 発令室の一番艦首側に座る航海担当の指示の元、レバーが動かされた。そのレバーの動きが電気信号となり、機関室に届く。ゆっくりとモーターが回転し、スクリューが海水を掻き始めた。

「医務室からです。艦長及び数名が負傷中のこと」

 インカムを付けていた――通信担当からだ。

 どうやら露天甲板から、艦内に入ったときに負傷していたようだ。そのために、発令室に現れなかった。

「なんと!? で、艦長の御容体は?」

 副長の顔が険しくなった。だが、通信内容を聞いて頭に安堵する。

「腰と足の捻挫程度で、命には別状無いそうです」

「それはよかった――」

「それから、『よろしく頼む』と――」


 ――簡単にいってくれる……。


 によろしく頼むなどといわれて、副長はますます緊張をした。

『――聴音室より。らん・かるぷ号が沈み始めました!」

 その時、艦内電話ではなく、艦内放送で伝えてきた。危機的な状態であろうか。

「らん・かるぷ号が潜行したということはないのか?」

 副長は受話器を掴むと、聴音室に質問をした。だが、

『排水音が聞こえません。怪異により、海底に引きずり込まれているのかと思われます』

 潜水艦は、艦内の釣合主缶バラストタンクに海水を入れて浮力を調節し、海に潜る。それを行っていないというのであれば、怪異による攻撃……海底へと引きずり込む気なのであろう。

「主任、このあたりの海底深度は?」

「かなりの外洋で地図はありませんが、小笠原諸島を越えておりますので……ざっと、2里7854メートルほどかと」

「そんなにか!? この和邇の安全潜行深度が……1320尺約400メートルなんだぞ」

 副長は悩んだ。

 怪異は基本的に巨大であっても、生物に近い。1,000メートルは軽く潜ることも可能であろう。先程の奇襲といい、1,000メートル以上の深海から一気に上がってこなければ、話が合わない。接近すれば、音なりで発見できるはずだ。

 そんなものに、もし深海へ引きずり込まれ続けたら……いや、海底に着く前に魚人族の潜水艦は、海水によって押しつぶされてしまう。

「あちらの船がどれだけ頑丈かは判りませんが……こちらと同じぐらいでしょう」

「下手をしたら、押しつぶされる。警告するか?」

 それを主任は否定した。

「あちらも怪異との戦いは経験しているでしょう。こちらから、『お宅の釣合主缶が不安だから注水しろ』なんて忠告したら――」

自尊心プライドとやらが傷つくだろうな」

 そういっている間に、聴音室から連絡が入った。

『らん・かるぷ号から排水音が聞こえます。怪異に合わせて潜行しているようです』

 怪異に引きずり込まれることに、抵抗するよりも潜ることを選んだようだ。

 副長は、

「こちらから言わなくても解っているようだな。さて、どんな戦術を見せるか――」

 魚人族側の戦術が見えないが、自分達に置き換えた場合、張り付いたままの敵には攻撃が出来ない。なんとしても、タコの怪異を艦体から引き剥がさなければ――


 ――自分ならどうするか? 最大速力で振りほどけるか?


 そうするのであれば、潜行をしたとき、同時に加速するはずだ。

「聴音室、らん・かるぷ号は速力を上げたか?」

『――いえ、特に加速するような様子は見受けられません』

「なんと!? 怪異と潜水比べでもする気か!?」

 信じられないと、副長が主任を見る。

 意見を求めたが、彼の方も謀りかねているようだ。

 潜ることでタコの怪異を引き剥がすことなど無理だ。だが、それを目の前の潜水艦はしている。いくら潜ったところで、潰れるのは自分達だという事は解っているはずなのに――


 ――何をするつもりだ、魚人族。何か秘策でもあるのか?


 秘策はあるのだ。と、副長は直観した。

 あちらも同じ敵である怪異を相手にしているのだ。線内電話の受話器を取ると、

「前部武装室に連絡。1番から4番管まで、自走機雷装填。新型を使うな」

『――こちら前部武装室。1番から4番管まで、自走機雷装填。承知!』

「装填後、射出扉を開放。いつでも撃てるようにしておいてくれ」

『承知ッ!』

 副長は、艦首の鼻先にある武装室に命令を下した。続けて、

「速力上げ! 潜行舵を下げ舵へ……らん・かるぷ号を追う」

「承知ッ!」

 各部門に命令を下す。

「主任、通常の自走機雷は――」

「使用限界深度は、330尺約100メートルです。それ以上は、発射管の方に支障をきたします」

「それまでに、あっちが何か策を講じてくれればいいか――」



 ※※※



 潜り初めて30分ほど。

 太陽の光も届きにくくなり、ジワジワと周りの海水が暗くなっていく。通常航行なら、左右に装備された強力なサーチライトで前方を照らしているが、今は戦闘中だ。

「深度は?」

「――300を切りました」

 九郞副長の言葉に、震度計を睨んでいた隊員が答える。アナログの針が現在の深度を指している。文字盤には青い帯が引かれており、その先は危険と攻撃不可能を示す黄色が……更にその先は安全深度を超えて危険を表す赤で引かれている。

 現在の深度は海面より約90メートル300尺。自走機雷が使える……つまり、和邇号の攻撃が可能なギリギリにいる。そして未だ潜り続けているのだ。

「何をやるのでしょうか? 魚人族は――」

 さすがに竜の民の発令室主任も焦っているような表情を見せた。

「判らん。判らんが、無策で引きずられて沈むことはしないだろう。あちらの宗教で自害など認めないらしいからな」

 副長はそう言っているが、自分自身どうなるかわからない。

「こちらの武器が使えない深さまで潜られたら――」

 そう思っていると、急に耳が痛くなった。精神で気ではない。ツーンとした何か外部から、耳には聞こえない音で攻撃を受けている感じだ。

 副長や発令室にいるもの全員……いや、確認は出来ないが艦内にいるもの全員が、この謎のに悩まされ始めた。

『――こちら聴音室。らん・かるぷ号から、音波のようなものが出ています』

「音波だって?」

 聞こえないが、耳の中に痛みを伴うような何かしらの兵器が使われているようだ。ただ周りの……友軍たる和邇号内部にも被害が及んでいる様子。

「何かの兵器か!?」

 副長は、耳を押さえていても頭の中に響く音に我慢ならない。それは竜の民も同じ事。ひどい頭痛も伴い始めた。それに――

『――怪異が動き出し始めました。らん・かるぷ号から離れていきます』

 超音波の所為で全員が朦朧としはじめたところに、待っていた情報が入る。

 この魚人族の潜水艦が何らかの音波兵器で、タコの怪異を引き剥がしたのであろう。タコの怪異は取り付くまで、俊敏に動いていたが音波兵器で頭の中をかき回されたようだ。こちらからは、前方からぼんやりとした巨大な影が迫っているのは見えた。

 フラフラと勢いもなく、和邇号の方へ――

「前部武装室ッ! いけるか!」

 フラつきながら、九郞副長は命令を出すべく受話器を取った。

 発令室がこのような状態ならば、もっとも先端に位置する前部武装室がどうなっているか、隊員たちは大丈夫なのか、見当が付かなかった。

『――こちら武装室。問題ありませんッ!』

 声は空元気といったところか。実は、鋼鉄で囲まれて外の見えない前部武装室の方が、超音波兵器の被害は軽かったのであった。とはいっても、声でしかやり取りが出来ない。

「各自走機雷、左右に2度ほど調整。発射準備!」

 副長はなんとか、正面からやって来るタコの怪異に照準を合わせるよう命令を出す。

「取り舵15度。潜行舵水平。速力このまま」

 あまり近づきすぎると、自走機雷の爆発の激しい水圧で、艦体に傷が付きかねない。

『――自走機雷、準備良し!』

 その言葉を待っていたかのように、副長は下した。

「1番、2番、発射! 続けて3番、4番!」

 奇数番と偶数番の発射管はそれぞれ上下に並んでいる。同時に自走機雷を放てば、それぞれのスクリューから発生した海流により、干渉しあってしまう。思っていた方向へ機雷が進んでくれないのだ。そのために間隔を空けて発射命令を出した。

 発令室の窓から、計4本のスクリューにかき混ぜられた海水が、僅かに拡がりながら進むのが見えた。

 自走機雷の発射を確認すると、

「最大戦速! 取り舵いっぱい、潜行舵上げ舵いっぱい!!」

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