第10話 気球

 山彦少年は、すでに竜の民を見たから『魚人ぎょじん族』を見たくらいでは驚かないと、思っていた。

 しかし、ラン・カルプ号からやってきた人物に驚いた。

 ネッドと名乗った魚人族は上半身は人間であるが、下半身はイルカである。さすがに歩けるわけではないので、和邇号の露天甲板では車輪の付いたイスで移動していた。それを人間の彼の副官が押している。

「あの兵器の事は聞いておりませんが――」

 挨拶もそのそこに艦長が、あの音波を発生する兵器に苦言を申し入れた。

 ネッドは不快感も見せず、悪びれも無くも無しに、

「まだ試験段階でしたので、そちらに連絡はしておりませんでしたな。

 しかし、急とはいえ怪異モンストルに対して効果があったことは喜ばしいことです」

「――こちらにも少々被害が及びましたが……」

「まだ試験段階の為、欠点はあります。しかし、我々の目論見をよくお判りになった。の連絡用の周波数を共有していないにもかかわらず、見事にモンストルを打った子には感心しておりますぞ」


 ――食えないヤツだ。


 艦長のネッドに対して思った事だ。

 結局、相手の連絡不足を詫びることもなく、こちらの行動を褒めてうやむやにしようとしているようだ。

「正式採用の暁には我が方の全艦に搭載予定です。『竜の民』にも提供を考えております」

「ああ、それはしばらく様子を見てから――」

 あのやかましい音波兵器を、艦長は今のところ嫌っていた。他の和邇号の乗組員に聞いたところで、恐らく同じように拒絶するだろう。

 あの源内師範もここにはいないが、「所嫌わず攻撃するようなものは好かない」といっていたのを、艦長は医務室で聞いていた。

 原理だけは、源内師範、医師バクが丁度、医務室に揃っていたために推測は出来た。

 これは水中に特殊な音波を放ち、潜水艦の鋼板さえ突き抜けて攻撃するものだ。そして、生物……人間や竜の民の内耳等に振動を与え、不快にさせるという。

 そのために、タコの怪異は、船体から離れずにはいられなくなったのだ。

 だとしたら、魚人族側のラン・カルプ号の乗組員にも、症状は現れているはず。

 味方まで被害を及ぼすものは兵器とは呼べない。

 その答えも知恵袋のふたりが推測した。

 自分達だけ耳栓をしていると――

 竜の民も魚人族も人間も、耳の中の内耳がこの音波攻撃に一番ダメージを受けた場所だ。そのため、特殊な耳栓で乗組員の健康を保っていたのではないかと――

「不要とおっしゃるか?

 失礼した。もしかして我々とは違う武器アルムをお持ちなのか? それは是非とも――」

「申し訳ないが、まだこちらも試作段階。ご覧に入れられるようなものではございません」

「謙遜を……竜の民の作るアルムは素晴らしいものがあります。是非とも――」

 ネッドは中々引き下がらない。


 ――少し前まで、戦をしていたことだしな。


 艦長がこの地位に就く前の世代。遙か昔に竜の民と魚人族は、大海を巡って争いをしていたと聞かされた。しかし、今は共通の敵『怪異』が現れるようになり、わだかまりのある中で和睦が結ばれたのだ。

 そう聞かされている。そして和睦の一環として、あのフタヒメの留学があった。

 彼女の留学は短期間であったが、いわば人質交換だ。


 ――和睦は上手くいっている。フタヒメ様が帰ってきたことだしな。


 艦長はそうは思っても、相手側の警戒心が抜けないのを気にしていた。

「さて、本題に移りましょう」

 と、ネッドは話を切り換えた。

「我々が、このダグラス礁に来たのは、そちらの姫様を送りに来ただけではあるません」

「そうでしたな……こちらは現在準備中です」

 と、和邇号の露天甲板から艦尾の方へ目を向けた。

 丁度、船体中央のパネル4枚分が展開されていた。そして、そこから巨大な気球が顔を出している。



 ※※※



「これから何が始まるんですか?」

 山彦少年はそのパネル近くの艦内に、源内師範と一緒にいた。

「まあ、見ておれ!」

 と、師範は近くのパイプについているバルブを回している。何かの気体がその先に繋がっている気球に送り込まれていた。

 送り込まれているのは水素だ。和邇号は発電力にものを言わせて、水を電気分解し酸素と水素を取り出していた。酸素は艦内への呼吸のために使われるが、水素は再び海水に混ぜて廃棄していたのだ。だが、今回のために一時保管されていた。

 それは目の前の気球を膨らますためだ。

「先生。そろそろ、既定値です」

 黒い竜の民のユキが、師匠の作業のサポートをして、気球への水素量を測っていたようだ。

「判った!」

 見上げても先端どころか、気球の底しか見えない。少し前まで空が見えたはずだが……。

 気球の大きさ高さは、100メートル近くになっていた。現在は引っ繰り返したようなイチジク型をしている。そこから何本もロープが垂らされており、艦内に置いてある円筒形の物体に繋がっていた。

「ああ、源内じゃ。気球の準備完了じゃ」

 マイクハンドルを掴むと、計画を統括している発令室へと連絡する。



 ※※※



「気球の準備が完了したそうです」

 源内の情報を受信したのは、発令室の後方側にある海図室兼作戦室に届けられた。

 中央に置かれたテーブルの上には海図やら天気図、その他、各種のメモ書きが乱雑に広げられている。

 ここを統括しているのは、九郞副長だ。

 艦長は外の露天甲板――この部屋の上――で、魚人族の接待をしているので、これから行われる作業は副長に任させている。最終的な許可は艦長であるが――

「天候はどうだ」

「しばらく低気圧等は問題ありません」

 副長の問いに、気象担当の隊員が応える。

「位置も緯度、経度も問題ないかと――」

 円盤状の器具で何かを計算している航海担当もそう答えた。

「出航前の説明では……気球を飛ばして、指定した高度に到着したら装置が起動する。それから――」

 発令室主任が書類をパラパラめくる。

 九郞副長は不安そうな顔をしているが、準備は整い始めているようだ。

「上空の天候は相変わらず判らないか――」

「艦に搭載されている気象装置ではそこまで……そのために、今回の作戦があるんですよね」

「しかし、本当なのか? 地球の裏側の魚人族と通信が取れるって――」

 主任は咳払いをすると、

「今回の1基だけでは無理ですね。出港時の説明されたとおり、最低でも3基は必要と」

「それを我々が準備するのか?」

「魚人族との取り決めですから――」

「資材提供をしてくれるのはいいが、うちの艦を発射台に使うなんてよく思いついたな」

「元々、『神の槍』の発射台だった戦略潜水艦を、全部降ろして武装輸送潜水艦に改装しましたから」

「ようは何でも屋か――」

 副長と主任が談笑をしていると、

「源内さんから、『早くしろ』と言ってきてますが――」

 作業現場から催促が上がってきた。

 この部屋からも膨れ上がった気球が見える。作戦室をグルッと囲むように、小さな円い窓が付いているからだ。艦尾側の窓には気球が完全に視界を遮っている。

 主任は部下から渡されたチェックリストを見ながら、

「準備は完了です」

 副長は艦内電話の受話器を取り上げると、

「よし……艦長。準備完了です。これより策を開始します」

 現在、電話の先は外部スピーカーに繋がっている。しばらく様子を見ていたが、艦長から特に何も言ってこないので、

「――では始めよう。源内師範に連絡。気球の切り離しを許可する」



 ※※※



 山彦少年は上がっていく気球を見上げながら、疑問に思っていた。

 しなびたイチジクのような気球がフラフラと空に放たれると、床に置いてあった円筒形の物体を引き連れて昇っていった。

「全く、竜の民と魚人族の知識は凄まじい」

 気が付いたら横に源内師匠が立っていた。

 そして、同じように飛んで行く気球を見上げている。

「なんのための機械なんですか?」

「ああ……遠い場所と場所とを結ぶ装置だ」

「遠い場所と?」

「判らない顔をしているな。まあ聞いているだけでは解らないだろう。そうだなぁ――」

 と、源内師範は頭をかきながら、考え込むと、

「お前の生まれはどこだ?」

「オラは……」

 救助されて数日が経っているが、未だ少年の記憶は戻っていない。自分が何者かと、考えると頭痛は相変わらず起きる。

 頭を抱えだした山彦に少し驚きながら、

「なんだ? 判らんのか?」

「――思い出せないんです」

「頭でも撃ったか? バク殿でも治せないとなると――」

 と、アゴをさすりながら源内師範は呟いた。

「オラの記憶は治らないでしょうか?」

「いや、この艦では無理だろうなぁ。治せるとしたら、竜宮だろうな――」

「竜宮……あの竜の民の都――」

「そうじゃ。そうなってくると、ワシらに付いてくることになるな。

 竜宮への帰り道、日の本の近くを通る。その時が最後の決断するところだろ」


 ――そういえば、この艦に残るか、日の本に返るか決めろと言われていた。


 山彦少年はふと思い出してきた。

 自分の身の振り方……記憶も曖昧で、身内もいなさそうなのに、戻るべきだろうか。金子を渡してくれると入っていたが、故郷も分からない。日の本に戻ったとして、どこかで野垂れ死んでしまわないかと――

 だからといって、この戦船に残るか? 弁慶保安長の話から、竜の民の配下で彼らのために働いている、よく分からない機械に囲まれて。だが、それは少年としては、好奇心がくすぐられていた。

 何も知らないこの世界のことを、もっと知れるかもしれない。

 それよりも、この戦船には食事には困らない。そんな気がしている。

 曖昧な過去の記憶から、自分の昔の食生活はその日ぐらいで満足に食べられなかった…… それは、かなり魅力的だ。

 ただ、あのタコのようなバケモノ……怪異の存在が気になる。しかし、今はあまり気にならかった。それは、この和邇号の力をもってすれば恐れることが無い。盲信ではあるが、今のところ勝っている。


 ――もう陸に戻らなくても、この人たちに付いていこう。


 山彦が見上げている気球は、上空を登り続けてすでに見えなくなっていた。  

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