第2話 救助

 山彦やまひこ少年が見た水柱海坊主が消えて、再び海は何ごとも無かったかのように静まりかえった。

 破壊された漁船は潮の流れに乗って、バラバラに拡散し初め、巨大なタコの足はゆっくりと海に沈み込んでいく。

 あれから四半刻30分ほどしたところで、海面の一部が膨れ上がると、ウミガメのようなものが現れた。長さは9メートル29尺7寸ほど、幅5メートル16尺5寸はある。あきらかに人工物だ。甲羅と思われる場所は、正確な六角形のブロックで敷き詰められている。しかも、首がない。本来首がある根元には、ガラスのような透明なパネルがはめ込まれている。その左右には、周りを照らすためかサーチライトが備わっていた――現在はネコの目のように光が絞り込まれている。甲羅の後部――亀で言うところの後ろ足――からは、スクリューによって推進力をえているようだ。

 破壊された漁船へと近づくウミガメ。ふと、甲羅の頂点部分に動きがあった。

 そこだけは周りの六角形の装甲板とは違い、人が立って作業するためか、周りに落下防止用の鎖で囲んであった。その中央のハッチが開いた。

「海面確認! 異常なし!」

 男がひとり飛び上がってきた。

 作業着の甚平のようなもの着ているが、西洋風のアレンジもされている。散切り頭にハンチング帽を被った、ギョロリとした大きな目の日本人と思しき男だ。

 続いて出てきたのは、ヒゲ面でやたらにデカい。2メートル6尺6寸近くはあるだろう。袖から見える腕も太く、肩幅も広い。

 3人目は、ふたりとは違う。あきらかに日本人ではない。背の高さはヒゲ面の男と同じだが、スッとした長身に金髪碧眼。

 この者たちは何者であるか――

「非道くやられたなぁ……」

 ヒゲ面の大男はそう呟くと、懐から数珠を取り出すと片手で鎖を掴んで体を支えた。そして、もう片手には数珠を巻き片合掌。ブツブツと念仏を唱えてはじめた。だが、よく聞いてみると作法も宗派もバラバラの念仏だ。

「保安長のお経は、相変わらずデタラメですね」

 最初に顔を出した男は、その念仏が気になったのであろう。手にした双眼鏡を降ろす。

「弔いをせんよりは、マシだろ? たとえ伴天連バテレンの宗教だからとか、人の供養には関係ない」

 と、そのひげ面の『保安長』はデタラメな念仏を唱え続けた。

 3人が見ている海面上には、漁船の残骸以外にも、沈んでいない漁師たちの死骸が浮かんでいた。腕や脚、胴体や頭など……ほとんどが何らかな欠損があり、生きてはいないであろう。

 突然、保安長の二の腕に取り付けられた黒い箱――携帯通信機トランシーバー――から、連絡が入った。

 隙間風のような甲高い呼び出し音と共に、女性の声が聞こえ始めた。

『――怪異の反応は現在、見受けられません』

 このウミガメのような潜航艇を中で動かしているひとりからだ。

「あれだけで、やられると思うか?」

 保安長は独り言なのか、踊り場にいるふたりに問いかけているのか、判らない言葉を発する。

「海中から見た限りでは、腕1本で100フィートほどデシター」

 金髪の男は双眼鏡で海面を眺め、死骸を見ると胸で十字を切っていた。

「しかし、保安長殿。源内師範の新型魚雷自走機雷。さすがに威力が強すぎませんか? これでは怪異バケモノから助けたのか、疑問に思えます」

 ギョロリとした目玉の男が愚痴のように応える。

「師範は、「炸薬を2倍にした」言ってました。私も、この実験結果には疑問デェース」

 金髪の男も、たどたどしい日本語で抗議の声を上げた。

 山彦少年の見た、先程の海坊主。それは自走機雷――爆弾にスクリューを付けて水中を走り、目標に当てる兵器が炸裂したときの水柱であった。だが、少々欠陥があるかもしれない。

 破壊力を増すために火薬を倍にしたが、思っていたよりも強力だったのだ。

 そのため、助けたつもりの漁船も破壊したことになる。しかも、彼らが呼ぶ『怪異』――タコのバケモノ――の撃退には成功したが、息の根を止められなかった。タコのバケモノは腕を1本失ったのみで、深い海底へと逃げ込んだことを確認している。

「しかし、怪異に食い殺されるのを、のんきに見ているわけにはイケマセン」

「暴れ出した怪異は皆殺しにするだろうなぁ……

 それに新たな怪異連中を相手にするには武装強化が必要だが、使い方を間違えると――」

 そんな話し合いをしている最中に、目の大きな男が指をさした。

「保安長殿! 生存者です!!」

 漁船の残骸の中に動くものを発見したようだ。

「西川君、どこだ?」

 今まで首や胴体が無くなっているものばかりだったのに、動いているものがあるのに違和感を覚えたのだろう。

 ぎょろ目の西川隊員が、指さす方角に保安長は双眼鏡を向けると、

「子供のようです。怪異に襲われたときに、どこかに隠れていたのか?」

「推測は後だ。袋船を出して救助する!」

 保安長の号令の元、すぐに袋船ゴムボートが、踊り場中央に開いたハッチ昇降口から畳まれた状態で運び出された。踊り場から左右には、タラップ梯子で海面に降りられる仕組みだ。一抱えするような大きな袋だ。海面に袋を浮かべると、空気を入れられ船の形に展開されていく。同時にオールと担架が運ばれて乗せられる。すぐさま生存者の元に向かった。

 西川隊員と金髪がオールで漕ぎ、副長が目標を指示する。

 見付けられたのは、あの山彦であった。小屋を破壊されて、吹き飛ばされたが、運良く木片に引っかかり波間を漂っていたようだ。そして、海面を観察していた西川隊員に見付けてもらえたようだ。

「担架準備! 慎重に……」

 保安長は自ら海に飛び込むと、山彦少年を持ち上げた。生きているのが不思議なぐらいだ。一目で、酷い火傷も負っているのがわかった。が、息もある。こちらの呼びかけに若干であるが反応もあった。

 動かないように、山彦少年を担架に固定すると、に戻っていく。

 西川隊員たちが、担架でハッチに入っていたが、保安長はどうすべきか悩んでいた。

 タラップの端にゴムボートを縛り付けて、再び海面を見た。


 ――他にも生存者はいるだろうか?


 だとしたら助けないといけない。怪異に襲われていたとは言っても、漁船の破壊は自分達の不可抗力で起きたことだ。


 ――ひとりでも助けるべきだろう。


 そう考えている保安長のトランシーバーから、

『先程の生存者ですが、極めて危険な状態です。あまり時間をかけますと――』

「死ぬということか?」

『――はい』

 返事は短かった。

「残骸をもう一回、一周してみて他にいないか確認する」

『――了解しました』

 単調な回答が返ってきたが――恐らく、無駄だと思っているのかもしれない。



 ※※※



 保安長の期待も虚しく、やまびこ以外に生存者はいなかった。

 あの潜航艇ウミガメは水中に潜り、目的の場所……母艦に戻ろうとしていた。元来、この潜航艇は形状から、水上を航行するよりも水中を移動する方がスピードが出る。

 そして、正面の窓……左右のサーチライトが照らす先に、母艦が見えてきた。

 ゆっくりと前方から近づく。

 建造時は水中排水量18,750トン5,000,000貫、全長170メートル560尺、全幅13メートル42尺あった。そこから何度となく改造を繰り返したのが、現在の母艦である。

 巨大な葉巻状の胴体。その上に艦体前後に長方形の箱が乗っている。箱の船首に近い場所には楕円柱の艦橋がそびえていた。その少し前、葉巻状の艦体側に水平に潜行舵が、艦尾には十字に舵が付き、円筒に囲まれたスクリューが収められている。

 潜航艇の補助操縦士の女性が目視で確認すると、

「こちら蓑亀みのかめ号。和邇わに号、聞こえますか?」

 操作パネルから突き出している棒状のマイクに向かって話しかけた。それに合わせて、パネル上の何個かあるボリュームを調整する。

 その操作を二度ほど繰り返すと、バリバリと雑音ののちにスピーカから声が聞こえた。

『――こちら和邇。感度良好』

 あの母艦……潜水艦『和邇』号からの返事が返ってきた。

「こちらも感度良好。回収をお願いします。海面にて負傷者を発見」

『――了解。これより格納扉を開放する』

 それと間をおかずに、母艦『和邇』号の方に動きがあった。

 艦体の上に乗っている箱……その上部には、約5メートル16.5尺四方の正方形のパネルが片方10枚ほど左右対称に2列で並べられている。艦橋のすぐ後ろには木張りの甲板がみえる。元々、ここも正方形のパネルがあったのであろう。その4枚分が海上航行時の露天甲板に作り替えられているようだ。落下防止用の鎖が取り囲んであった。

 それを横目に見ながら、潜航艇『蓑亀』号は後部へと近づく。するとどうだろう。後部の4枚のパネルが少しだけ持ち上がると、左右に分かれて艦体に空間が開いた。

 操縦席内の後方にいた保安長が、最前列の操縦士に話しかけた。

「横山君。慎重に頼むよ」

「承知してます」

 横山隊員はステアリングと、フッとバーを巧みに操作すると、潜水艦『和邇』号の後部に開いた格納庫の扉の前にピタリと止めた。そして、180度回転させて、艦橋側……艦前方を向く。すると、カンッと、金属の当たる音が潜航艇の下部から聞こえる。格納庫内部からかぎ爪の付いたロープが発射されたのだ。

 かぎ爪は、潜航艇の下側にある横棒を引っかけると、

「位置よし。格納庫侵入――」

 母艦からのロープの牽引と本体のスクリュープロペラの力で、ほぼ垂直に格納庫に収まっていった。

 潜航艇が格納庫内の所定の位置に停止すると、床から金属の腕が現れ、先端の電磁石でガッチリと掴んで固定した。それに合わせて格納庫の扉……正方形のパネルが解放時とは反対の動作をする。先程まで僅かばかり、海面からの光で包まれたが一瞬で暗闇と化す――。

「排水開始!」

『――排水開始』

 スピーカから次の作業の連絡が入った。潜航艇が入った格納庫から、海水を排出しなければならない。ポンプの稼働音と排水される海水の音、入ってくる空気の音が始まった。

 保安長は、海水が抜けなければ出られないことに、もどかしさを感じていた。

「なかなか、時間がかかるなぁ」

 この蓑亀号を潜水艦『和邇』号で運用するようになって、何度か経験していたが、今日は妙に長く感じる。


 ――救助者の所為か?


 今、あの山彦少年は担架で固定され、未だに意識が朦朧としている。潜航艇には場所がないため、廊下で寝かせているが、こんなこと何度となく行ったことだ。怪異退治のや輸送作業に遭難者を助けることはよくあることだ。難破船や無人島で、海上の戦闘などで――


 ――どうせ回復したら、おかに戻すのだろう。俺達のように帰る場所あるだろうし……


 気が付くと格納庫の海水が抜き終わっていた。

 潜航艇のハッチが開き、海水と混じった別の空気が入り込んでくる。この艦の中で人工的に作られた空気だそうだが……長年吸っていても、保安長はあまり馴染めないでいた。

「救助者を医務室に運びます」

「ああ、頼んだぞ」

 西川、ヘンリーの各隊員に声をかけられてハッと、物思いにふけっている場合ではないと、自分の頬を叩いて気合いを入れた。    



 ※※※



 潜水艇『蓑亀』号の構造自体は小型ながら複雑だ。外部との出入りする水密扉ハッチは、甲羅部分の頂点とその反対側の腹部にもうひとつある。

 潜水艦『和邇』号の格納庫内の固定された潜水艇は、下部のハッチから出入りしている。こちらの方が長方形の形をしており、機材の搬入等が楽に行えるからだ。

 ヘンリーと西川隊員は、少年を乗せた担架を運び出し、その後に保安長は出る。

 すると、

「ベンケイ! 上はどうだった」

 小柄な男が格納庫の開いた小さな水密扉から、滑り込んできた。

 保安長の前に立つと、彼の小柄さも相まって、まるで大人と子供のような体格差が発生している。細目で面長の顔をしている。顔の輪郭に沿って顎髭を生やしているのが、あまり貫禄がない。ただ、服装は他の隊員とは違い、西洋の軍服のような装いで、白いハンチング帽に黒い小さなツバが付いているものを被っていた。

「副長。申し訳ありません」

「だいたいのことは聴音で理解している。生存者は――」

 母艦であるこの潜水艦『和邇』号は、海底に身を潜めて静かに海面の様子を窺っていたのだ。

 それによって漁船が犠牲になったのを知っていた。音によって――

「あの者、ひとりです」

「そうか……致し方がない。あの怪異が、我々を付けてきたのか、たまたまだったか――」

「たまたまですか? 

 副長。怪異よりも我々の武器の方が、その者たちを殺したと思われます」

「そうか――」

 目の前の小柄な男はそれでも微笑んでいた。

 保安長は別に副長から、労いの言葉や弔いなどは期待していなかった。


 ――この人は昔と変わらない。俺の方が変わってしまったのか?


「だが、考えてもみろ。俺達は介錯をした。

 怪異に喰われるよりもマシな死に方だったかもしれないぞ」

 弁慶保安長は、ぶっきらぼうに応える副長の言葉に疑問を持った。


 ――確かに俺達が到着していなければ、怪異に喰われていただろう。


「そうでしょうか?」

 ふと口にした言葉に、気にするなと言わんばかりに、副長に肩を叩かれた。

「なまくら坊主が殺生について今更、悩んでどうする。俺達の手はあの時から、拭いきれないほどの血に染まっているんだ。人のさがを外れた今でも――」

「そうでしょうか?」

「それより、新型自走機雷の様子はどうかと、源内師範がうるさくてな」

 漁船に取り付いていたタコの怪異。それを退治したのは、強力すぎた自走魚雷だ。それを開発者である、源内師範が呼んでいるという。


 ――源内師範に相談すべきか、庶民を殺さない武器はないかと……。


「ところで、あの少年はどうするのだろうなぁ」

 先に医務室に運ばれていた海で見付けた山彦少年のことだと、ベンケイ保安長は気が付く。

 この艦の規則に則れば、救助者は怪我の治療を終えたら、選択肢を与えられる。

 ひとつは、この艦から降りること。その際は、金子を少し渡す。だが、別に口止めすることはない。どうせこの艦のことは、今の世に理解できる代物ではない。こんな海中を潜る鉄の船がある、などと誰が信じるであろうか。

 もうひとつは、このまま艦に留まり、隊員として働くことだ。その代わり、陸との縁はそこでお終い。陸で居場所が無くなったものや、天涯孤独のものが多い。副長もベンケイ保安長も、そして名前の出ている源内師範もそれを選択した。

「艦を操るものも、ミノ――蓑亀号の愛称――を操るものも、不足気味だ。艦長にご相談して――」

「クロウ副長。最後に決めるのは本人です」

「そうだな……」

 子供のようにぶっきらぼうに九郞副長は応えた。

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