第3話 河童

 山彦やまひこ少年が目を醒ました原因は、周りの異常な明るさであった。


 ――あの世か?


 日の光ではない、浴びたことのない白い光だ。視界がハッキリしてくると、それは天井から降りそそいでいることに気が付いた。

 そして、自分が布団の上に寝かされていることに驚いた。布団はしかも床に直接ひかれず、空中にでも浮いているかのように高い位置にある。それに寝かされている布団は、今まで触ったことも、見たこともない真っ白で肌触りがよいものだ。


 ――漁に出て、船が襲われて……


 ここが何処であるか。それよりも、何があったのか。

 記憶を呼び戻そうとすると、ひどい頭痛がする。それに体中……特に上半身が焼けるように痛い。ふと腕を見ると左手は何かの貼り薬なのか、和紙のようなものがべったりと張り付いている。次いで右腕を見ると、くだのようなものが繋がっていた。その右腕の管は腕から生えているように見えた。それをたどっていくと、透明な瓶に繋がっていた。

 それを追っていた山彦少年は、

「うあぁー!」

 自分の体に、何か得体の知らないものが流し込まれている。

 それだけで恐怖だ。

「先生、患者が目を醒ましました!」

 続いて人の声が聞こえた。

 声の主は若い青年である。だが、少年の曖昧な記憶でも、明治になってチョンマゲは廃止になったと聞いていた。しかし、その青年は未だにチョンマゲをしていた。格好は白い甚平。山彦少年の頭の中にそのような格好をするのは、医者かあたりだ。

 隣村の老薬師やくしが、未だにそんな格好していたのをかすかに思い出した。

「うッ!」

 ひどい頭痛が襲ってきた。

「大丈夫か? 先生、早く来て下さい!」

 青年は寄り添って、背中をさする。そして、しきりに彼の師匠らしい人を呼んだ。

「やかましいのぉ……聞こえ取るわい」

 声の主……声のほうへ視線を向けると、ひとりの人物がこちらに背を向けていることに気が付いた。

 チョンマゲの青年同様に、白い甚平のようなものを来ている。しかし、それはあきらかに人ではないことが、後ろからでも分かった。

 灰色の散切り頭の間、ちょうど剃り込みあたりから後ろにかけて木が生えていた。いや、木ではないようだ。鹿のつの、それを短くしたようなものが生えていた。

 そして、ゆっくりと振り返った顔はやはり人とは違う。

 その姿に海彦は悲鳴を上げてしまった。

 体の色は緑。顔は三角形のトカゲを平たくしたようなでもので、人の倍ありそうな大きく裂けた口。それに大きな目玉。瞳の色は金色で、黒目が縦に入った蛇やトカゲの部類の目だ。

「かっ河童かっぱ!?」

 山彦少年にはそうとしか見えなかった。だが、そのに対して青年は『先生』と呼んでいる。やたらに大きな目の中で、もう1枚の透明なまぶたが瞬きをした。山彦少年には河童の表情など読めない。しかし、不機嫌そうにしているのは判る。

「誰が河童じゃ! 罪人と一緒にするな」

 と、河童は怒鳴った。


 ――河童には頭に皿があり、角なんか生えているのか?


 目の前の河童は皿がない。前進は緑色の産毛のようなものが生えているし、それに角も気になる。

「こちらはバク先生。この戦船いくさぶねの医師だ」

 山彦少年が混乱するのも無理はない……そう思ったのであろう。チョンマゲの青年がふたりの中に割って入った。

 河童……いや、青年の説明通り、バク医師は椅子から立ち上がると、山彦少年に近づいて全身をさわり診察を始めた。

 山彦少年のバク医師の観察は以上の通りだ。

 まず指は3本。うち1本はものを掴むために、他の2本と向き合う方向にある。脚の見た目は膝の関節が、人とは反対を向いている――実際は足首でありつま先立ちをしている。やたらに大きく頑丈そうな足袋――革靴――を穿いていた。皮膚は先程言った通り、緑色であるが、よく観察すると、短い羽毛だ。頭の毛もよく見れば、鳥の羽毛のような構造をしていた。

「左腕と左上半身の火傷がひどい。何か被ったか?」

「えっ、ああ……料理中の汁物を……」

「とりあえず、軟膏を塗っておいた。海水にさらされたからな、後は残るかもしれんが、よくなるだろう」

 山彦少年はいわれながら、自分の左腕を見る。和紙のようなもので包まれているのは、治療のためだ。

「他に何か悪いところはあるか?」

「他に……」

 今は思い当たることが……いや、その時、激痛が頭を走る。あまりの痛さに自分の頭を抱え込んだ。

「おい! 自分の名前は分かるか? 出身は?」

「名前? ヤマ……頭が――」

 思い出そうとすると、頭に激痛が走る。怪異バケモノに漁船を破壊されたときに、小さな部屋の中で振り回された。その時、準備中だった汁物を被り、火傷を被った。それに強く頭をぶつけたことは、なんとなく覚えている。だが、それ以上のことは、思い出そうと頭に激痛が走った。

「頭が逝かれているのか?」

「先生、もう少し優しい言葉はないのですか?」

「ああ……この船の設備では分からんが、脳に傷を負ったのかもしれん。そのために記憶が曖昧になっているのかもしれん」

 医師バクは、自分の頭をトントンと叩いて見せた。



 ※※※



 医師バクは、壁に備え付けられた艦内通信機に手を伸ばした。

 受話器を取ると、耳と口元に持っていく。この医師バクの耳は、人間のような突起はなくても同様の位置にあるようだ。

「ああ、バグじゃ。発令室に――艦長に代わってくれ」

 艦内通信用の電話であるが、この当時、人類の間では発明されていない。そもそも遠くの人物と会話できる機械どころか時計さえ、山彦やまひこ少年は見たことがないだろう。


 ――何故、独り言をいっているのか?


 そんな程度の認識だ。

 まあ河童が医師をしている戦船だ――青年の言葉通りなら。何か不思議な仕掛けがあってもおかしくないと、妙な納得感が生まれていた。

 艦内通信の交換手が、医務室から艦の発令室に回線を接続すると、

「艦長? ええ、例の救出者が目を醒ましまたしたぞ。はい? ですが、問題が――はあ、直々に? 驚きませんか――はあ、分かりました。お待ちしとります」

 医師バクは独り言を――実際は電話の相手がいるのだが――言い終わると、再び山彦少年のところに戻ってきた。河童の表情など分かるはずがないと、思っていたが、あの独り言の間に何か重要なことが決まったようだ。

 真剣――空気がそんな感じになっている。助手の青年も、医師バクの態度に何かを察しているようで、先程まで微笑んでいた顔が引き締まり、急に背筋を正した。

 しばらくすると、聞き慣れないピューィと高音が聞こえてきた。

「開いております」

 うやうやしく医師バクが応えると、ふたりの男が入ってきた。

 先に入ってきたのは、山彦少年の親ぐらいの年齢をした人物。医師バクに「今から向かう」と連絡を入れていたから、この戦船の艦長であろうか。顔立ちもスマートであり、髪型も肩までの長髪をキレイに切りそろえている。身分の違いであろうか。西洋の黒い服軍服を簡易型にはしているが、襟元や肩、袖口に金で作られたマークが何個か並んでいる。そして何故か、西洋の格好なのに高級そうな扇子を握っていた。

 もうひとりの男は2メートルある、あの潜航艇『蓑亀』号に乗っていたヒゲ面の人物、弁慶保安長だ。先程とは違い、態度が少々よそよそしい。

 艦長と思わしき男が口を開くと、

「この者だけか? 生き残ったものは?」

「申し訳ございません。我々の到着が遅れてしまったばかりに、このような結果となりました」

 巨大な男が体を曲げて話しかける。

 そしてチラリと、今度は医師バクに問いかけた。

「どうだ? 悪いところはあるか?」

「体の火傷は治るでしょう。だが……」

 ためらったように医師バクは、少年を見た。記憶が曖昧な話をするか迷ったようだ。それが間接的に後ろの保安長の不手際になりかねない。

「申せ……」

「分かりました。

 どうやら自分が何者なのか、分からない様子。頭に強い衝撃を受けたのでしょう」

「つまり記憶がない? 治りそうなのか?」

「この艦の設備ではなんとも……」

「うむ」

 そして、艦長は黙り込んだ。畳まれた扇で自分のアゴを叩きながら、何かを考えているようだ。

「名前も分からぬのか?」

「ヤマまでは分かるようで……」

「そうか……」

 艦長はベッドに近づいた。

「すまぬ事をした。親のことも分からぬか?」

「親は……いない……」

 山彦少年は、自分のことを思い出そうとすると激痛が走る。だが、なんとか絞り出した。

「そうか……」

 少し悲しそうな顔で、艦長はうなずいた。

「故郷も知らぬか?」

 首を振るのが精一杯だった。

「如何したものか。いつもなら、金子きんすを渡して、帰すところだが――」

 と、またしても畳まれた扇で自分のアゴを叩く。と、あの弁慶保安長は、

「艦長。この和邇わに号は只今、作戦のためにダグラス礁――現代でいうところの沖ノ鳥島――へと向かっております。日の本へこの者を送り届けますと、予定の刻に少々遅れますぞ」

「そうであったなぁ……」

 この艦長は考えるときに、扇をアゴに当てる癖があるようだ。

 そこへ医師バグが提案してきた。

「如何でしょう。リュウキュウへ戻るのに日の本の近くを通ります。その時まで保留にしてはいかがでしょう。この者の治療もありますし」

「そうか。貴様が言うのであればそうしよう」

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