第6話 自信持ってる作品は一発でわかるんや
ビル街が広がる大阪市内には、人々の目を楽しませる大きな公園がいくつか存在する。
あめりの家がある靭の街は、都会のイメージに似合わないぐらい緑の豊かな地域だ。
「ねえあめり、こんなところに神社があるよ」
「お祖父が病気になった時、お祖母がここに百度参りしてたんやで」
「それ、どういうお参り?」
「病気の回復を祈って百回神社に行くことや。百回目に願いが叶うねん」
はるか昔から立っているであろう大樹に抱かれた
あめりにとっても思い出深い場所を過ぎると、靭公園の西エリアに到着する。
「この公園って東西があるんだね」
「こっちはスポーツやっとる人が多いさかい、うちにもすぐに区別つくで」
なるほど、言われてみればその通りだ。
テニスボールが弾み、ラケットが風を切り、さらにはサッカーボールが飛ぶ。
ちょっと意識するだけで実に様々な音であふれているのが分かる。
「サッカーってこんな狭いコートでやるんだ」
「この音やとブラインドサッカーやね。なんか鈴みたいにチリンチリン鳴ってへんか」
「いや、さすがに聞こえないよ」
「うちら目ぇが見えんけど、その分だけ耳には自信あるで。聴力でやるサッカーなんや」
ブラインドサッカーとは視覚障がい者でもプレイできるよう、金属球の入ったボールを使用する。
あめりも盲学校で少しやったことがあるそうだ。
「ほら、ボイ、ボイって聞こえてくるやろ」
「あー、それは分かる」
「あれは選手同士が互いに声を掛け合ってるんや」
ちょっと覗き見るだけでも、目隠しをした選手たちが今にもぶつかりそうになっている。
真っ暗な中で走り回れるだけでも驚きなのに、多くの人に囲まれてプレーする怖い競技だ。
選手は私たちと同じぐらいの年齢、大学生だろうか。
だが私自身スポーツにそれほど興味がない。
ワールドカップも日本代表の試合すらろくに見ていない。
鷲見のやつがサッカー部だったせいで、競技自体に偏見があるのが事実だ。
「ずいぶん親子連れが多いね、今日は土日じゃないのに」
靭公園はバラ園の美しさでも知られている。
私は初めて来たが、あめりが好きな場所だと言うのも納得だ。
「あー、ええ色があふれとる。ここはいつ来ても最高や」
「見ごろは五月らしいよ、まだまだ先だね」
「ええの、うちにはそう見えとるんやから」
あめりは得意げな表情で花壇近くへ駆け込む。
『インスタグラマー:GrapeCandy撮影中』と記された黒い看板を設置する。
あめりの顔を模したのだろうか、安っぽい感じのイラストまで描かれている。
「この文字とか絵とか、自分で書いたの」
「さすがに字を書くのは無理や。ボランティアサークルに頼んだんや」
「絵もすごく上手。これもサークルの人?」
「……ああ、そうや」
あめりは一人で黙って写真撮影したりはしない。
必ず看板を立て、あたかも公式のイベントの如く振る舞うのがポリシー。
はっきり言って、私は自己顕示欲まみれのムーブが恥ずかしくて仕方ない。
だがあめりは「何が恥ずいんか分からん」と一言で返す。
芸能人にでもなったつもりかと尋ねても「その通りや」とさらっとしている。
「うちな、写真ってのは上手いとかやない思うねん」
「でも世間の評価は厳しいよ。下手だとまず人目に止まらないし」
「ちゃうな、それは『見て!』って気合が足らへんからや」
あめりは自らのiPhoneを音声頼りに器用に操作し、インスタグラムを立ち上げる。
彼女がフォローしている写真家の作品が液晶画面に映える。
想像がつかなすぎて嫉妬を覚えるほどのフォロワー数、本当にあめりは人気インスタグラマーなのだと実感する。
「なあ桃ちゃん、この鳥なんていう名前や」
「カワセミって書いてるよ」
「エメラルドに蛍光ピンクに、それにレモンやコバルトやらが差し込んどる。綺麗やな」
あめりの色を見る、いや感じる能力は特殊なものである。
スマホやテレビみたいなデジタル画像では感覚が鈍るというから、かなり繊細だ。
「でもインスタは分かるんだ。液晶画面なのに」
「自信満々に撮ってる人の作品は一発で気付くな。何と言うかオーラがちゃうねん」
「私には無理だな。マンガを友達に見せるのも恥ずかしかったし」
絵でも写真でも、自信を持つ人間は強い。
私もノートに絵を描くのが趣味だったが、中学時代に鷲見たちにノートを奪われ嘲笑されたのを機にやめた。
でもいずれやめることになっただろう。
ミカのような才能はないし、仮に上手く描けても他人に見せるだけの度胸がなかったから。
「マンガ描いてはったんやな。なんで辞めたん」
「伸びる見込みもないのに続けるほどバカじゃないよ」
「それはちゃうわ。苦しい時ほど努力するのがほんまの能力や」
まだつぼみのままの花壇にカメラのレンズを向け、あめりは何度もシャッターを押す。
何かを発見したのか、時々もの凄い速さでダッシュする。
当然前は見えていないので、思い切り柵に膝をぶつける羽目になる。
「痛っ!」
「あめり、大丈夫?」
「写真ってのは痛いもんや、ケガした分だけええのが撮れる」
「それは絶対に違うと思う」
あめりは臆することなく、フィルムを巻き、狙いを定め、撮る。
ひたすら色の世界に没頭し、耽溺する。
あれだけ夢中になれることこそが、あめりの持つ才能であり、能力だと思った。
羨ましいな。
自信があれば何でもプラスに考えられる。
それに引き換え今の私は、などと考えた時だった。
「すみません、有森さんのご友人の方ですか」
「はい、塩飽と言います」
淡い色合いの春物を身に着けた清楚な女性が声をかけてきた。
柔らかい物腰と言葉遣い、圧倒されるほどの空気を醸し出している。
「私は
「今朝あめりに連絡してた方ですか」
「ええ、今日は西公園でブラインドサッカーを見る約束があったんで、そのついでに有森さんもお誘いしたんです」
弘原海先輩は、年に一度大学の自治会主催で行われる「つつじ祭」の実行役員らしい。
同じ大学生だというのに、学年が一つ違うとここまで雰囲気が変わるのかと、憧憬と同時に諦観さえ覚える。
「彼女から最近同学年の子と同居していると伺いましたが、もしかして塩飽さんとご一緒なんですか」
「まだ昨日から住み始めたばかりですけど」
自己紹介をそこそこに済ませると、弘原海先輩は私の手を握りしめた。
「塩飽さん、有森さんはとても繊細な神経をしているので、どうか大切にしてあげてくださいね」
「むしろ私みたいな陰キャを引っ張るぐらいメンタル強い人ですし」
「そんなことないんです。以前もインスタで口汚く批判されて、写真撮影を一時期やめたぐらいですから」
私がリモート授業で大学に行かなかった時期の話だ。
校内が閑散としていた頃から、あめりは写真を撮るために何度もキャンパスに足を運んでいたという。
「目が見えないはずなのに、白杖片手に撮影し続けている有森さんを見て、凄いと思いました」
今年のつつじ祭は、三年ぶりのリアル開催となる。
いろいろと企画を考案していた先輩は、あめりとの出会いからインスピレーションを得たと言う。
「あの看板も最初は全然読めない文字で書いていたんです。だから私たちで手伝って、綺麗に仕上げたんですよ」
「デザインしたの、ひょっとして弘原海先輩ですか」
「実際は私の彼氏に書いてもらったんだけどね。でも上手に描けているでしょう」
「で、あめりに何か用なんでしょうか」
「そうそう、今日は学祭のイベントについて話に来たんです」
久々のリアル開催で行われるつつじ祭で、有森あめりの写真展をやりたい。
学祭実行委員会が出した結論はそれだった。
大阪国際語大学は視覚や聴覚に障がいを持つ生徒を昔から多く受け入れてきた。
学校と学生が一丸となって学習を支援する体制を築き上げており、つつじ祭でも毎年障がい者関連のイベントを行うのが恒例となっている。
「あめり、喜んでたでしょう、個展をやるのが夢だって熱く語ってました」
「いえ、私が話しかけたときは『もう写真をやめたい』と言ってたんです。例のインスタの件で」
何気なくアップした一枚に、窓ガラスに反射したあめり自身が映っていた。
もちろんあめりはそんなことに気付くはずがない。
自分の顔が入ってますよと優しく伝えるコメントに混じって、
「このブス、撮った写真もヘタクソ」
「顔も写真も不細工」
さんざんな内容が書きこまれ、そのショックで落ち込んでいたという。
「だから言ったんです。こういう頭の悪い奴らを気にしても仕方ないって」
「無理ですよ、こんなの書かれたら眠れなくなるし、何倍にもして返したくなりますし」
「反撃したら相手が図に乗るから、逆にお礼を言うんだって。調子が狂うよ、とアドバイスしたんです」
あめりが見せた強気の態度は、決して自分だけで身に着けたものではなかった。
「ありがとうございます、今のあめりがあるのは、先輩のおかげなんですね」
「いやいや、凄いのはあくまで有森さんだから。私は手伝うだけだよ」
昨年一年間、彼女を優しく見守ってくれていた先輩には私も感謝した。
「桃ちゃん、何の話をしてるんや」
「ごめん、弘原海先輩との会話に夢中になっちゃって」
「三葉先輩、もう来とるん。早く教えてや」
「有森さん、到着が遅れてごめんなさい。サッカーが長引いっちゃって」
「そっか、やっぱり彼氏の試合を見とったんやな。そんな気がしてたで」
「……わかる?」
弘原海先輩が見せた照れくさそうな顔は、同じ大学生だと思わせてくれるものだった。
「有森さん、バラ園の入口のところで動画を撮りたいんだけど」
「派手なアクション入れよっか?」
「そこまでしなくていいよ、さすがに危ないから」
「行くで、GrapeCandyの撮影会や!」
先輩が構えた動画撮影用スマホの前で、あめりがぴょんと大きく跳ねた。
満面の笑顔と紫色の瞳が、陽光に映えている。
この人であれば、あめりの夢を叶えてくれるはずだ。
「せっかくだから塩飽さんも一緒に入ってくれないかな、二人の絵を撮りたいんだけど」
どくん、と心臓が激しく鼓動した。
カメラを向けられるだけでも苦手なのに、まして動画なんて無理だ。
私の顔は、撮られるように出来てない。
「すみません、それだけは勘弁してください」
腰が直角に曲がるまで、大きく頭を下げた。
「三葉先輩、言うとらんかったけど、桃ちゃんは写真アカンのや」
「そうなんだ、個人の意思だったら仕方ないんだけど」
先輩、申し訳ありません。
悪意がないとはいえ、他人にカメラを向けられるのは精神的にきついんです。
マスクの下まで汗でびっしょりだ。
先輩とあめりの明るさに心が圧倒されている。
ここにいてはいけない、そんな気持ちにさえなってくる。
「私はちょっと席外しますんで、二人で撮影を続けてくれませんか」
「じゃあうちはしばらく三葉先輩と一緒におるねん。終わったら連絡するわ」
「悪いねあめり、公園からは出ないようにするから」
あめりを置き去りに、私はバラ園から大急ぎで走り出す。
後ろを振り向く気にもなれなかった。
一秒でも早く遠くに逃げたい、それだけを考えていた。
「なんで私、三人で仲良く撮ろうって思えないんだろう」
あめりにとって格好のアピールとも言える動画撮影から逃げ出したことが、今さらになって心に刺さる。
個展の協力だと思えばいいはずなのに、手伝うどころか足を引っ張っている。
「私、あめりと一緒に暮らす資格なんてないんじゃないか」
沈んだ気持ちのまま、楽しく遊ぶ親子たちの間を縫うこと数分。
気が付けば公園の周縁部、道路沿いに木々が立ち並ぶエリアへと入り込んでいた。
空いているベンチに腰掛け、大きく息をつく。
誰もいないのを見計らい、こっそりとマスクを外して外気にさらす。
湿った皮膚に風を送ると、少しだけ気分も晴れてきた。
だがその時だった。
「違う、ここの景色はこうじゃない!」
サングラス姿の女性がスケッチブックから紙を一枚引きちぎり、くしゃくしゃに丸めている。
そのままゴミと化した紙を地面に叩きつけた。
「ぜんぜん正しくない、こういうのじゃない!」
慌ててマスクを着け直し、急いで逃げる支度を整える。
せっかく安らげる場所に来たと思ったら、まさかおかしな人がいたなんて。
「ここは東ヨーロッパ、気持ちさえ重くなるような針葉樹の森」
だが彼女はすぐさまスケッチブックを睨みつけ、新たな絵に取り掛かった。
想定している場所のイメージだろうか、目の前のビジュアルを呟き続けている。
「少しベージュがかった空気と湿気を帯びた深緑の木々が、石造りの古城を覆っている」
彼女は顔を紙にくっつかんばかりに近づけると、あらん限りの力を込めて鉛筆をふるい始めた。
芯が何度も砕ける。
その度に新しい鉛筆にに取り換える。
周囲の声も一切耳に届かないという表情で、額に汗を浮かべながら描き続ける。
「この迫力、間違いない、プロの作家さんだ」
付着した鉛粉で黒光りする頬、ぎりぎりと音がするほどに食いしばった奥歯。
まるで求道者のような視線で周囲の景色を凝視し、それを力強い筆致で写し取る。
「もしかして、ミカ……?」
私はピンときた。
鬼気迫るまでの激しい描画スタイル、燃えるように真剣な目つき。
交通事故で頭を強打した後、人間が変わったように絵に取り組み始めた同級生の姿に酷似していた。
「ミカ!」
私の声など完全に無視し、振り向きもしない。
もしかしたら呼び方が悪いのかもしれない。
「いずみ!
急ブレーキをかけたみたいに、彼女の手がびくりと震えた。
「ひょっとして、塩飽ちゃんかな」
図星だった。
顔を漆黒に染めながらスケッチをしていたのは、長年の友人である三ヶ野原いずみ――
世間に知られる名前で言えば、泉川ミカであった。
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