第10話 水龍の正体と地に伏す雇い主


 数日後。

 俺とシルフィは、水龍が目撃されたとされる、切り立った崖にある滝に辿り着いていた。


 イレーヌの滝と呼ばれるその滝は壮大で、膨大な水が勢い良く流れ落ちる風景と、ドドドドッと言う水の落下音が良く合わさり、目も耳も楽しませてくれる、わりと有名な景勝地だ。


「それじゃあ事前の打ち合わせ通り、まずは俺が行くから何かあればフォローを頼む」

「解ったわ。……気をつけて」


 若干心配そうな様子のシルフィに俺は手を上げて答え、そのまま滝へ向かっていく。情報だと滝壺に近付くと渦が発生して、そこから水龍が飛び出してくるって話だったか。


 ざざざっと緩やかな斜面を滑りながら降りると、目の前にはちょっとした湖よりも広い一面水辺の光景が広がる。さて、この滝に近付こうとする者が居ると襲ってくるって事らしいが。


ズズズズズッ!


「話の通りだな」


 大きな音を立てて渦が発生したかと思うと、その渦の中から水龍が現れる。巨大な蛇のような姿で、全身に水で出来た鱗をまとい、まさに水龍と言う風体の姿だ。


「……あれ?」


 だが、俺はその水龍の様子に違和感を感じる。

 こいつ、確かに水龍のなりはしてるけど、なんか迫力に欠けるというか……


「んー」

「ギャウウウウウウ!」


 水龍の咆哮が辺りの空気を震わせる。こういうところは確かに水龍っぽいんだが……


「まぁ、悩んでいてもしょうがないか」


 剣を鞘から抜き放ち、目の前の水龍に向かって正眼に構える。すると、それに呼応するかのように水龍が顎を開いて迫ってくる。


「ともあれ、行ってみるか……!」


 迎え撃つ形で俺も地を蹴り跳躍する。直後に先程まで俺が立っていた場所が水龍に噛み砕かれ地面が弾ける。本当に水龍ならこの位はやってのけるか。


「はぁっ!」


 水龍の激しい一撃を回避した俺は、そのまま水龍をすれ違いざまに一閃する。


「!」


 水龍を切り裂いたその手応えに、俺の中の違和感が確信となる。こいつは……


「なるほどな。水龍なんてそうそうお目にかかれないと思ったら……」

「グルゥゥゥゥ……」


 唸り声を上げて少し距離を取る水龍……いや、水龍モドキ。


「そういう事なら」


 俺は水龍モドキへ剣をまっすぐ前に差し出し、剣を突き出すようなポーズを取る。すると脳裏にある名が浮かぶ。これがこいつの真名か。


「『我が意に応え従え、其の名はウンディーネ』!」


 俺の発した言葉に呼応して、掲げた剣の先から一筋の光が水龍モドキに向かって飛び、そのまま水龍モドキを貫く。

 すると水龍モドキはみるみる小さくなり、最終的には手の平サイズの小人になった。


 この小人の……と言うか、水龍モドキの正体は、ウンディーネという水の精霊だ。


 先程水龍の身を切り裂いた時に感じた違和感、それは軟すぎるという事。

 見た目は水龍そのものだったが、本来の水龍の鱗はもっと硬く、いくら俺の剣でもそうやすやすと斬れるものじゃない。


 けれどもさっきの水龍の身は簡単に切り裂けた。全身を覆う鱗の強度がまさに水そのものだったからな。大方、水龍を模すのが精いっぱいで、いわゆる張子の虎ってやつみたいな状態になってたんだろう。


 とは言え、姿だけなら間違いなく水龍に見えるあれ程の擬態は、そんじょそこらの魔物では出来ないだろう。そこで精霊が水龍の姿を模したモノと当たりを付けて……どうやらビンゴだったようだ。


 ……それにしても、水龍が精霊の擬態した姿だったと言う事は……


「どうもただの依頼じゃないな、今回のは」


 精霊は基本、勝手に顕現する事は無い。必ず誰かに使役されて現れるものだ。

 そして水龍に関する依頼書は本物だった。正式にギルドが受理した依頼だ。


 依頼の主か、シルフィか、あるいはその両方か……水龍の正体が精霊と知っていたと見る方が良いな、これは。

 本来なら複数人で当たるのが定石の水龍討伐に、わざわざ俺を指名するような形で雇ってきた訳だからな。しかも他には誰も雇ったり声を掛けたりはせず。

 ウンディーネだって精霊の中では割と高位な存在だ。簡単に倒せるようなものじゃない。下手を打てば余裕で命を落としてしまうような相手だ。俺みたいに対処法を持ってるやつでなければ。


 そう……ただの冒険者なら、これが不幸な偶然って可能性もあるんだろうが、俺には先に行使した特殊なスキルがある。ここまで都合が良いと、何か仕組まれている気がするな。


「最悪、俺のスキルの事を知ってて頼んだと思った方が良いな」


 それはあんまり面白くないな……と言うか、放置しておいたらまずい事になる。


「まぁともあれ、だ……お前さん、俺と契約するか?」


 とりあえず今考えても仕方ない事は置いておき、俺はウンディーネに問い掛ける。

 するとウンディーネはこくりと頷く。小人サイズなのもあってなかなかに可愛らしい。


 ウンディーネが頷いた直後、その足元が光り魔法陣が発生する。契約を受諾した精霊に起きる現象だ。この魔法陣が浮かんだ時点で契約が成立となる。


「じゃあ、これからよろしくな」


 そう言うとまるで敬礼するような格好で答えたウンディーネは、背を向けて駆け出し、滝壺へ飛び込んで水の中へ帰っていく。


「さて……それじゃあ戻るか。」


 無事にウンディーネとの契約を済ませた俺は、先程降りてきた斜面を登っていく。

ともあれ、これで此処に水龍(実際にはウンディーネだが)が現れるなんて話も無くなるだろう。後はあのシルフィとかいう女に事情を聴かなければ……だな。


 そんな事を思いながら斜面を登りきった俺は、一瞬驚き絶句した後に、シルフィに声を掛けた。


「……なぁ」

「はい」

「なんであんた、土下座してるんだ?」


 斜面を登り切った俺の目の前には、先程俺を見送った時と変わらない位置で、その黒髪を地に着ける事無く、綺麗な土下座をしているシルフィが居た。




「あー……とりあえず、どういう事か説明してもらえるか?」


 そんな奇妙な情景に遭遇してから少しして。

 無事に水龍……もといウンディーネが擬態した水龍モドキを排除した後、頑なに土下座をし続けていたシルフィを何とか立たせて、近くの岩場でお互い手頃な大きさの岩に座りながら、何故こんな事をしたのか彼女に尋ねていた。


「はい、全部包み隠さず話させていただきます」

「あ、土下座はしなくていいからな?」

「はい」

「正座もな?」

「……はい」


 ……なんでちょっと残念がってるんだお前は。そもそも岩場で土下座や正座なんて地獄だぞ?


「まず、あんた俺の持ってるスキルの事を知ってるな?」

「はい。アルス様」

「あー……様付けも無しで」

「……はい」


 いやだからなんで残念がってるんだおい。俺は他人に様付けで呼ばせるような趣味は無いからな?


「それで、何処まで知ってる?」

「アルスさ……さん、が、精霊を従える事が出来るスキルである精霊従技<スピリットマスター>を使える事です」

「やはりスキルの事は知っていたのか……他は?」

「あとは、何故か五年程前から精霊との契約をぱったりと断ち、パーティーも解散して、ただの剣士として活動していた事くらいですね」

「そうか」


 なるほど、それくらいなら肝心なところは知られて無さそうだな。

口振りから判断する限りではあるが、俺がスキルを使ってなかった理由についてまでは知らないようだし。


 少しだけ安心した俺の脳裏に、ふっと別の疑問が浮かぶ。


「なぁ、あの水龍……いや、水精霊か。あれはひょっとして」

「私が呼び出した物です」

「……って事は、もしかして依頼も?」

「はい、私が出しました。アルスさんが実際に精霊従技を使うところが見たくて、つい」


 つい、じゃねぇ。そんな事の為に依頼まで自作自演で出してたのかこいつ。


 俺は今回の依頼書を改めて確認する。

 確かによく見りゃこれ、こいつが俺に声掛けてきて雇われたあの日に張り出されたばっかりのやつじゃねぇか。

 俺とした事が違和感持たなかったのは不覚だった。いや、あれは途中で絡んできたギランが悪いな。あれで意識が逸れたのが悪い。うん、ギランのせいと言う事にしておこう。


 やや現実逃避気味に全ての責任をギランのせいにしていると、依頼書を睨みながらあれこれ考えている俺の横顔を、シルフィがのぞき込んでいるのに気付く。


「ん? どうした?」

「あの、私からも一つよろしいでしょうか?」

「……あぁ。何だ?」


 何故か猛烈に嫌な予感がしたが、とりあえず話を聞いてみる。


「私と夫婦(めおと)になってくれませんか?」

「……はっ?」


 彼女の言葉の意味が理解出来ずに、俺は間の抜けた声で返事をした。

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