4 欠席

 最初は、まあどんな人間にも具合が悪いことはあるよな、と思っていた。そのまま3日、悦子さんは来なかった。

 流石に気になり、先生に聞いてみると「無断欠席だ」と言われた。あの生真面目で素直な悦子さんが、である。


 悦子さんは病気だと自分で言っていた。

 なにかあったのかもしれない。


 でも他人だし。4月にギョッとしたのは覚えてるし。


 そう言い訳して、その日の授業を終わらせて家に帰った。

 家に帰ったらすぐ、何度も読み返してボロボロにした文芸部誌が目に入った。

 たしかに悦子さんはおばさんだし、ふつうなら仲良くするような関係になることはない。しかしどんなに言い訳しても、悦子さんは友達だ。間違いなく。


 あたしは次の朝、登校する途中で悦子さんのお家のほうに走り出した。悦子さんがいない学校なんていやだ。そんなところより、悦子さんの様子を確認しに行くほうがずっといい。


 悦子さんのお家の、古めかしいガラス戸を見る。とりあえずハエがたかっている様子はない。まだ生きている。


「悦子さん!? 悦子さん!?」


 朝のさびれた住宅街にあたしの声が響いた。反応はない。玄関には鍵がかかっている。前に悦子さんが玄関の鉢植えの下から鍵を取り出したのを覚えていたので、鍵を探してみる。大正解。

 玄関の鍵は悲しげに軋みながら開いた。建て付けの悪くなっているドアを開ける。


「悦子さん!?」


 奥の、台所の明かりがついていた。そこに向かうと、悦子さんは制服のまま冷蔵庫の前に座り込んでいた。


「悦子さん、大丈夫スか!?」


 声をかけると、悦子さんは震えた声で言う。


「真田幸村が」


 真田幸村? なんの脈絡もなく出てきた戦国武将の名前のように思ったが、悦子さんはぶるぶるしながら続けた。


「真田幸村が、馬上筒でこっちを狙ってる」


 馬上筒。確か戦国時代のピストルみたいな火縄銃だ。

 なにかで読んだことがある。スナイパーに狙われているとか、頭の中を覗かれているといった妄想に取り憑かれる病気があるらしい。


「悦子さん。落ち着いて。いま救急車呼ぶっス」


「莉子さん……?」


 あたしは救急車を呼んだ。数分で救急車と救急隊員が駆けつけた。悦子さんと友達だ、と言って、あたしも救急車に乗せてもらった。


 病院で、悦子さんはそのまま精神科の病棟に運ばれていった。身寄りがいないのだと聞いていたので、あたしが話を聞きたい、いや聞くと言い張って、お医者さまも根負けしたのか話してくれた。


 悦子さんは35年前から、統合失調症という精神病を患って、この病院にかかっていたらしい。高校生には想像できない昔のことだ、そういう病気に理解のない人もいたのだろう。それで高校進学を諦めたそうだ。


 今年の4月から、つまり高校に通うようになってから、月1回のスケジュールが組まれた通院に遅れたり来なかったりすることもあったらしい。それで高校に通う前はほぼ問題なく暮らせていたはずだったのに、薬が切れたせいで急に体調を崩して、妄想が出て「真田幸村が馬上筒で狙っている」と言い出したのだ。


 状況はだいぶまずいらしい。全日制の高校に通うのは無理だろうとお医者さまは言った。

 このお医者さまには、悦子さんがどんな気持ちで高校に通っていたのか、分からないのだ。


 次の日学校に行くと悦子さんが退学したことが先生の口から知らされた。しょうがないと言ってしまえばその通りではある。でも、悦子さんは高校が楽しくて通っていたのだ。しょうがなくない、と思った。


 ◇◇◇◇


 悦子さんが退学して、秋はだんだんと枯れ葉になり、冬になった。

 英語表現のスピーキングの問題がなくなり、中間テストも期末テストも赤点はなかったので、あたしは冬休みに郵便局でアルバイトしようと決めた。冬休みが始まる少し前、文芸部に行くと、なにやら立派なトロフィーが置かれていた。


 文芸部の顧問の国語教師に訊かれた。


「相原は貫井さんの家って分かるか?」


 分かるっス、と答える。国語教師はトロフィーを見た。


「これ、貫井さんの家に届けてはもらえんだろうか」


「……は?」


「貫井さんの部誌に載せた作品がな、あんまり出来がいいんで文学賞に勝手に投稿してしまったんだよ。そしたら見事に全国1位だ」


 トロフィーをまじまじと見る。有名な出版社の、高校生の賞で1位になったと刻まれている。すごいことだ。賞金は出ないんスか、と聞いたところ、図書カード1万円ぶんが出たらしい。所詮高校生の文学賞である。


 悦子さんに恐る恐る連絡してみる。もしかしたらあのまま精神科にいて、スマホを持っていないかもしれなかったが、驚いたことにすぐ返事がきた。もう家に帰っているらしい。



 あたしは学校の帰り道、トロフィーを届けるべく悦子さんの家に向かった。悦子さんの家の前には、パンジーがたくさん飾られていた。(つづく)

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