2 友情
おばさんと同じクラスで勉強するのは、次第に当たり前のことになっていった気がするのだが、しかしおばさんが目に入るたび、おばさんがクラスにいるという現実を認識して自分の意識を疑いたくなる。
おばさんは体育祭では得点係を務めて、校舎の屋上に置かれた巨大な得点板をめくる仕事をしていた。どうやら先生たちは「貫井さんを他の10代の生徒と同じように走らせるのは可哀想だ」と思ったらしい。
おばさんは部活にも入った。文芸部だ。あたしもおばさんの誘いを断りきれず文芸部に入った。ついでに言うと文芸部のポスターが夏目漱石と太宰治に炊飯器をかぶらせたイラストという秀逸かつ下品で多様性の時代にそぐわないダジャレであったのも大きい。
年に一回、秋の文化祭で部誌を出すので、その原稿を書きつつ読書の話をしたりする、という楽しい部活だ。
おばさんはせっせと読みせっせと書き、あっという間に書いた文字数が1万字を突破した。顧問の先生によるとここまで書ける人はなかなかいないらしいが、あまりたくさん書いても部誌に載せきれないから、とストップがかかったのであった。
さて、定期テストの季節がきた。
偏差値どっちかっていうと低めのこの学校である、対して難しい問題は出ないだろうと踏んでいた。テスト前には授業でほとんどネタバレみたいなこともしていた。赤点を取らせないための配慮だ。
それだというのに英語表現で赤点をとってしまった。なぜかというとALTである外国人の先生と英語でおしゃべりする、という配点かなり大きめの問題があって、それで思いっきりしくじったのである。
話したいことがないわけではないのだ、話したいことに英語の語彙が追いつかなかったのだ。
クラスのみんなはだいたい出川イングリッシュで乗り切ったらしい。そういうわけで英語表現で赤点をとったのはあたしとおばさんだけだった。納得いかない。
補習のプリントの、文中のカッコに英単語を書きながら、これならいくらでもできるのにな、と考えていると、おばさんが小さなため息をついた。
「これならいくらでも書けるけど、外国の人とじかにおしゃべりするのとはわけがちがうわよねえ……」
「そうすね……」
思わずナチュラルに返事をしてしまった。
おばさんはカバン――野暮ったいパッチワークのカバンだ――からお菓子を取り出した。ルマンドとアルフォート。わりとおばあちゃんちにありがちなやつだ。それをあたしの机に置いて、にまっと笑った。
「先生来る前に食べて」
「わかりました」
ルマンドとアルフォートをポリポリする。うん薄味だ。コンビニのお菓子みたいに派手においしいわけではないが好ましい味である。
お菓子をポリポリして、これは宮崎駿の映画でいうところの仲間の証ではなかろうかと思う。あるいは早川書房の百合ホラーSFでいうところの「共犯者」とか。
おばさん、いや悦子さんと仲間になったというのはなんだか変な気分だが、一緒に赤点の居残りをさせられている、というのは妙な連帯感を生んだし、そのトドメにお菓子なんかもらったら友達以外のなにものでもないではないか。
お菓子を食べ終わって、プリントを見直していると先生がやってきた。英語が得意だから英語の先生になりました、という風情の、なんとなく好きになれない男の先生だ。
「プリント、終わった?」
というわけで悦子さんと一緒にプリントを提出する。先生はプリントにばーっと目を走らせた。
「なんでこんなにちゃんとできてるのにテストで赤点取ったの?」
「だって先生、ミスター・スミスとおしゃべりしてみろ、って言われたって、そんなにたくさん英語の語彙はありませんよ」
悦子さんが素直に言う。流石大人。あたしは赤べこのごとく頷いた。
「なに、文法とか単語とか正確に話したかったの? そういうんじゃないよ気持ちだよ」
「語彙が足りないと分かって話せなかった人間と、気持ちとやらでお笑いみたいなブロークンな会話を強引にした人間と、勉強しているのはどちらでしょうね?」
悦子さんの正直かつ辛辣な質問に、先生は苦い顔をした。少し迷ったようになにか口をモゴモゴしてから、先生はため息をこらえて頷いた。
「まあここまでできているのだから単位は追試なしであげます。ただし次に赤点取ったら追試します。絶対に」
やったぜ。あたしは嬉しくなった。悦子さんも頬を赤くして喜んでいる。
補習の教室を出る。悦子さんは嬉しそうだ。
「これで明日からまた部活に出られるっすね」
そう声をかけると、悦子さんは穏やかに微笑んだ。
――友達ができた。ずっと年上の、本来なら友達にならないような、そういう友達が。
校舎を出て、あたしは悦子さんに手を振った。
「悦子さん、また明日!」
悦子さんも応える。
「莉子さんも、また明日!」
なんだか機嫌よく帰り道を歩く。悦子さんという、特別な友達ができた。そういう気分だった。(つづく)
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