アオハルおばさん
金澤流都
1 遭遇
ここはわりと底辺の、でもそれほど荒れていない、ふつうの、ふつうの高校である。そう思って入学することにしたし事実そうなのだと思う。いや思っていた、入学式のときまで。
なぜその思いを捨てたのかというと、同じクラスにおばさんがいたからだ。
おばさんは白髪のおかっぱで、顎やら体やらは年相応にたるんでおり、しかしあたしたちと同じくブレザーを着ている。なんというかコントで芸人がコスプレをしているやつみたいだ。セーラー服でなくてよかった、というしかない。
そのおばさんがクラスにいるのは明らかに異様だし、服装を見るかぎり教師とかではなさそうだし、同級生におばさんがいるという衝撃的な事実を、あたしたち15歳の子供に納得させるのは難しいのではあるまいか。
しかしおばさんはいる。厳然としてそこにいる。制服を着てそこにいる。なんで。わからない。納得するほかないのだ、問答無用で。
先生が教室に入ってきた。男の先生だ。先生もおばさんに目がいったようだった。先生の口が(えっ、定時制じゃなくて?)と動くのを、あたしは見逃さなかった。
おそらくおばさんは先生より年上だ。先生はしばらく立ち尽くしたあと、話を始めた。入学式の段取りを説明する様子は、極力平常心でいようとしているのが感じられる。
入学式の、名前を呼ぶところで、そのおばさんは「貫井悦子」であることがわかった。あたしは「相原莉子」だ。クラスに「子」のつく名前の女子はあたしとおばさんだけである。
入学式が終わって教室に戻ってきた。みんなで自己紹介の時間だ。あたしは「相原莉子です。趣味は読書です」とだけ言って、さっさと席についた。
おばさんは、「貫井悦子です。夢は小説家です。よろしくお願いします」と、すごく嬉しそうに言った。先生がわざとらしく関心する。
「夢は小説家か。すごいなあ」
おばさんはニコニコしている。
挨拶が終わって、帰ってヨシとなったところで、おばさんが近寄ってくる前に教室を出なければ、と思ったが、ドアのあたりでいわゆる腐女子の子たちがスレッタとミオリネの百合が、と熱く語っており、ちょっと出られそうにない。もう一方のドアのほうはウェーイが溜まっている。基本的に陰キャのあたしにはどちらも突破できそうにないのだった。
そうやって困っていると、おばさんがつかつか近寄ってきた。
「このクラスに『子』のつく名前、あなたとわたしだけね」
「そう、すね」
「ねえ、お友達になってくださらない? 一緒に文芸部に入らない?」
「あー……」
曖昧にこたえて誤魔化すしかできない。
でもひとつ気になったことを訊いてみる。
「作家になるんだったら家にいてもできるじゃないすか。なんで高校に?」
おばさんはふふっと笑った。
「大好きな作家が、SNSで『小説家になるなら大学を出てちゃんと働きながらにしなさい』って言ってたの。だから病気で行けなかったぶん、高校からやり直そうと思って。大学に行って、ちゃんとした職場で働けたら、きっといい経験になるでしょう? わたし、そういう人生がよかったのよ」
どうやらこのおばさんはえらく素直なひとらしい。
「結婚してるんすか?」
「いいえ? 15で病気を拾って、両親を看取って、そのまま働かないで50になったいまは障害年金と両親の遺産で細々と食い繋いでるの」
つまり35年間無職だったということだ。結婚もせずに。信じられない。そんな人間がいるのか、と不思議に思った。
あたしは18で高校を出て大学に入り22で大学を出て社会人になる人生しか想像できないし、多分そうするのだと思う。
そして結婚して子供を産み育てるのが、大人の務めだと思ってもいた。
子供のわたしには、50になっても独り身の、このおばさんの暮らしは少々理解しがたいものだった。
でもよくよく考えてみれば、親戚にも何人か40代で結婚していない人もいる。その人たちがそのまま年をとるとこうなるのだろうし、病気をしているなら子供を持つのは難しいのだろう。どんな病気なのかは知らないが。
尋ねてみた。
「仮に大学出たとして、作家になるまではなんの仕事で繋ぐんすか?」
「なにかしらねえ。そうねえ……派遣社員でもいまよりはお金をもらえてずっと夢だった猫を飼えるから」
「猫飼いたいんすか」
「ええ! ずーっと夢だったの。名前はチイってずっと決めてたの。中学のときからずっと」
障害年金というものをこのとき初めて知ったわけだが、それでは猫を飼うほどの余裕はないのだろうな、というのは流石に察する。
そこで腐女子数名が教室を出ていきドアが通れるようになったので、あたしはおばさんに頭をさげて、帰ることにした。
◇◇◇◇
この奇妙なおばさんは、次の日授業が始まった高校にも当たり前にいて、当たり前に授業を受けていた。流石に体育の授業はしんどそうにしているが、それ以外はふつうの高校生となにも変わらない。
こうして、おばさんとの高校生活が始まったのであった。(つづく)
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