第10話(前編)

 体育祭当日。

 開会式では、生徒会長と体育祭実行委員長を兼任する宇留鷲うるわしはじめがあいさつを行います。

「我々、選手一同はスポーツマンシップに則り――」

 いかにも体育祭らしい挨拶が、スピーカーを通し、会場に広がります。本日の会場は陸上競技場です。学園の持つ巨大な陸上競技場であり、普段はもっぱら体育科の生徒たちが使っています。公的な大会にも使える本格的なスタジアムです。芝生のサッカー用のコートを400メートルトラックがぐるりと囲んでいます。そしてスタジアムの天井はぽっかり開いていて、上を見上げれば青空が広がっていました。

 芸能科の生徒たち約240名は芝生の上に整列し、日差しの下で話を聞いています。

「――正々堂々と戦うことをここに誓います」

 南北に設置された大型スクリーンそれぞれに、東軍大将の宇留鷲うるわしはじめと、西軍大将の鴻戯 こうぎめぐみの顔が映し出されました。万来の拍手と、喝采が鳴り響きます。

 これは単なる体育祭ではなく、先祖返りの、果ては国の行く末すらも左右しかねない戦いです。その熱い火ぶたが切って落とされ、競技場が揺れんばかりに盛り上がっています。

 そしてアナウンスが流れます。

『第一種目の玉入れに出場する生徒はその場に残り、ほかの生徒は各自テントに移動してください』

(いや玉入れからなんかい)

 と、鳩井はといほがらは心の中で突っ込みました。

「いやぁ腕が鳴るね」

 などと言うのは、3年生の鶯原うぐはら春音しおんです。初夏の季節にあって、長袖のジャージを着ています。

「玉入れに腕とかあるんですか……?」

「さぁ? 毎年恒例の『運動興味ない人向け種目』だからね」

「ああ……百人一首とかもありましたよね」

「それには私が出ます」

 同じく先輩の鶴雅つるがみことが覚悟を滲ませた声で言いました。こちらは半袖短パン、やる気十分の姿です。

紅蓮ぐれんは強敵ですからね……、今日に向けて万全の準備をしてきました」

「そっすか……」

 みんなのテンションがおかしいなぁと思いながらも先輩には強く出られないほがらです。大人しく突っ込みを我慢して、テントに向かいます。

 本陣と毛筆で書かれたテントには、レジャーシートが敷かれています。パイプ椅子が並ぶテントもありますが、胡坐の方が楽だと思い、レジャーシートの上に腰を下しました。

 そして数分後、玉入れがスタート。

 男女混合で、お手玉を拾い集め、かごを目掛けて放り投げていきます。生徒たちの中にはあまりやる気のない人もいて、緩慢な動きも見受けられました。あと単純に運動が苦手そうな人も多くいました。ちなみに、春音しおんはあまりやる気のない人の1人で「そーれっ☆」とさわやかに、かつ適当にお手玉を投げていました。その姿を観ながら瑠璃音るりおは「ああ、いい。すごくいい」と真顔でお手玉を投げていました。結構チームに貢献しました。

「なんか普通の体育祭と変わらんなぁ」

「そ、そうだね」

 横に座った鷹峰たかみね千呼ちこが同意します。白色の鉢巻でポニーテールを結んでいます。

「玉入れは体育祭に乗り気じゃない人でも参加できるように、能力の使用は禁止だそうです。あと百人一首なんかもそういう意図だと、ハジメくんが言ってました」

「ふーん」

 まぁそれは正直助かる、と思いました。

「そもそも能力が使えない人もいますからね」

「先祖返りじゃないってこと?」

「いえ、怪我や事故につながる能力だから、ということだとか。あとは――、あまりにも強力だったり貴重だったりすると体育祭でも利用許可がでません。それこそ神気煌耀シェンメイの方々は――」

 などと言っている間に玉入れが終わりました。

『次は借り物競争です。出場する生徒は待機位置に――』

「では、行ってきますね」

「お~、いってらっしゃい」

 千呼ちこがたったと待機用テントに向かっていきます。結ばれた髪が揺れるのを見送り、小さくあくびを噛み殺しました。

「眠そうだな、鳩井はとい

 今度ははじめが横に来ました。武士のように、片膝をつきながら正座をしました。

「ワシ先輩、仕事とか大丈夫なんですか」

「もちろんだ。鳩井はといが楽しめるように解説でもしようと思ってな」

「解説って、借り物競争の?」

 お題の書かれた紙を引いて、それを誰かに借りに行く。よくあるものなら有利ですし、珍しいものなら不利でしょう。ただそれだけの競技です。

(実況なら盛り上がりそうだけど)

「解説なんてするとこあります?」

 ほがらの疑問に、はじめはにやりと笑います。

「もちろんだ。なにせ先祖返り同士の戦いなんだから――」

 借り物競争に出る生徒が芝生の上に立ち並んでいます。東軍と西軍でそれぞれ12人ずつ、よく見れば学年と男女は均等に分かれていました。全員さえずり学園のジャージ姿です。

「あ、スズメとクロツグ先輩も出るんや」

 すばしっこい忠太ちゅうたと、運動神経の良さそうな黒嗣くろつぐが出るのはいかにもという感じです。そう考えると千呼ちこが出るのも納得です。日々のレッスンで鍛えた体力で活躍できるでしょう。

「んで、女子の方のスオウ先輩も出るんか」

 赤い髪に、妙に煌煌とした瞳。男子寮で会う紅蓮ぐれんに、部分部分で似ています。背が高く、大人びた顔立ちをしているので全体で見るとやはり別人です。

紅霞こうかがいればまず負けない。対抗策になる紅蓮ぐれんがいないからな」

「……?」

(借り物競争なんて運と足の速さだけだろうに。いや、でも――)

 ほがらは思い直します。

朱凰すおう紅霞こうか先輩の能力が、借り物競争で有利ってことですか?」

「ま、そういうことだな」

 借り物競争に参加する生徒たちが段ボール箱に手を突っ込み、封筒を手に取ります。そして中身を確認してポケットにしまいました。

『よーい……、ドン!』

 軽快なピストルの音が鳴り、か細くて白い煙が立ち上ります。

 生徒たちは一斉に走り出します。

 そして一部の生徒は歌いだします。

「え」

 西軍の生徒の一部が、足を止めました。視線の先にいるのは――。

「まずチコの能力は『夢中』。曲を聴き入らせることで、競技に対する集中力を削ぐ」

 千呼ちこは素晴らしいフォームで走り、そして歌っています。まったく歌声はぶれず、素晴らしい歌唱力をそのまま披露しています。

 さりとてすべての生徒が足を止めたわけではありません。

 忠太ちゅうた黒嗣くろつぐなど一部の生徒はそれでもまっすぐ自軍のテントに物を借りに行きました。かと思えば、忠太ちゅうたが足を止め、不思議そうにあたりを見渡します。それに気づいた黒嗣くろつぐが声を上げます。

「チュータ! テントに走れ! 借り物競争はもう始まってる! お題の紙は右のポケットにある!」

 声に従い、忠太ちゅうたは走ります。

 しかし今度は黒嗣くろつぐが足を止めます。

 別の女子生徒が、黒嗣くろつぐ忠太ちゅうたにしたように、大きな声で指示を出します。走れ、と。借り物競争はもう始まっている、と。

「なんなんすか、あれ……」

 千呼ちこの能力に足を止めるのは分かります。ただでさえ素晴らしい歌声ですし、能力によって注意をさらに引けるのは納得ができます。しかし、忠太ちゅうた黒嗣くろつぐの挙動は明らかに変です。

「これが能力なんすか」

「そうだ。ちなみになんだと思う?」

 足を止めた味方に対し、走れというのは普通です。

 しかし、借り物競争が始まっているというのは? お題の紙が右ポケットに入っているというのは? 言われなくても一分も経っていないません。忘れるわけがない。

 にも関わらず、伝えるのは。

 ほがらはごくりと唾を飲み込みます。

「忘れさせる能力ですか?」

 ほがらの答えに、はじめは満足そうに頷きました。

「そうだ。朱凰すおう紅蓮ぐれんの対になる能力――、記憶の忘却だよ」

 西軍の生徒たちはテントに行ってもてんやわんやでした。ゴールに向かったかと思えばUターンしてもう一度おなじものを借りようとしたり、競技中であることを忘れて平然と座り込んだりととても競技に集中できる状況ではなさそうです。

 そんな混乱を尻目に、東軍はお題のものを手に入れ、ゴールに続々とたどり着きました(千呼ちこのお題が『炊飯機能付き弁当箱』だったのでほがらが貸しました。横にいたはじめはちょっと引いてました)。

 結果、借り物競争は東軍の圧勝でした。


「これが先祖返りの戦いなんだよ」

「え、えぐい……」

 西軍は西軍で「忘れた人にすぐ指示を出す」という対策を練っていたみたいですが、それを上回る忘却の速度と正確さでした。このタイミングでそれを忘れるの!? と悲鳴のような声が聞こえたのが能力のすごさの証明です。

「運用法としてはまだ可愛いものだがな」

「はぁ、というと?」

「生まれたときから今までの記憶を全部消すことすら――」

「あ、もう大丈夫です。聞きたくないです」

(怖すぎるわ!)

 新人戦を乗り越え、中間テストも終わり、一般的な青春が謳歌できると思ったらコレです。

「いやぁしかし、状況をしっかり見定め、能力を逆算できたのは偉いな!」

「あざーす……」

 などと話していると、借り物競争に出た生徒が戻ってきます。

「お疲れ、チコ」

「ありがとうございます! ハジメくんはお仕事大丈夫?」

「まぁな。鳩井はといに借り物競争の見所を伝えつつ、みんなの活躍を観てたぞ。――朱凰すおう女史も助かった。さすがだ」

 朱凰すおう女史こと紅霞こうかは涼しい顔で、

「ありがとう」

 と淡々と賛辞を受け止めました。プロフェッショナルの佇まいです。

鳩井はといはお前の能力をしっかり見抜けたぞ」

「……そうか」

 足を止め、じっと紅霞こうかの眼がほがらを捉えます。

「ど、どうも……」

「うん。期待している」

(何を!?)

 妙な迫力のある先輩に目をつけられたものです。はじめといい、なにか思わせぶりなセリフを言う先輩に絡まれます。背中にじっとりといやな汗が流れてきました。

 と、次の競技のアナウンスが流れます。

『次はパン食い競争です』

 すっくとほがらは立ち上がります。そこには先ほどまでの愛想笑いを浮かべた、気弱な男子生徒の面影はありません。

 傍にいた千呼ちこいわく「かつてないほどのやる気を感じた」そうです。

「ふっ、いい顔だ。行ってこい」

「――はい」

 はじめからの激励を受け、ほがらは集合場所へと向かいます。その堂々とした足取りは一流のアスリートすら思わせました。軽く体を動かしつつ、集中力を磨いていきます。

 歌うのは鼻歌。ほがら自身の能力『リラックス』を自分のみに作用させます。こうすることで、不要な緊張感を抑え、競技に適したメンタルに持っていきます。

 トラックに立つと、50メートル先にパンが吊られていました。それほどの高さはありませんが、今は風が強く、紐の先のパンは揺れています。また各パンは一本の紐で吊ってあります。片側にはパン、もう片側にはトラックのレーンを横断する長い紐があります。つまりすべてのパンは元をたどればおなじ紐に結ばれています。

 すなわち、誰かがパンに噛り付き、振動を加えれば、ほかのパンも動きます。

(速さが正義……)

 耳を澄ませ、ピストルの音を待ちます。

(――唸れ、俺の食欲!)


 たった一人、クラウチングスタートをかましたほがらは、ほかの生徒を置いてけぼりにし、見事一位を獲得しました。クラスでのあだ名が一時「妖怪パン食いメカクレ野郎」になるのですが、それはまた別の話。



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